見出し画像

四半世紀もちゃんと生きた

本日、25歳になりました!
ここ半年、幸せを感じる毎日を過ごしています。


まだ今の私の知らないこと、できないこと

25歳の私は、愛を知りたい。
多分、知らないわけじゃない。
でも愛をあんまり認識できていない。
だから愛を認識できるようになりたい。

他人のために全てを捧げる私を見て、「自分を大切にしてほしい」と言ってくれる人がいました。

他人のために生きている自覚も無かった私は、その言葉をきっかけに、数年かけてやっと、少しずつ、他人のためではなく自分のために生きられるようになりました。

そんな自分と出会ってくれた人、それを見守り続けてくれている人がいます。その人たちが向けてくれている愛情を受け止めるだけでなく、受け入れられる人間になりたいと思っています。

私にはまだくすぐったさすらわからないほど愛がなんなのかよくわかっていません。


私の生きる指針

私は、10歳で出会ったNHKの大河ドラマ“篤姫”が大好きです。史実とは違えど、脚本や演出も含めそのドラマが大好きです。つまり、篤姫を演じた宮﨑あおいさんのファンになって約15年が経ったことになります。

大河ドラマ“篤姫”

思えば私の生きる指針はあおいさんの演じる篤姫でした。篤姫のように無邪気で、興味の持ったものはとことん知りたがり、それでいて人の上に凛と立ち、優しさと強さに溢れる女性に私はなりたいと思いました。

大学を卒業する間近、改めて篤姫をイチから観直し、改めて私はこのドラマが好きだと思いました。社会人になる前に観直せて良かったと思っています。

平成や令和を生きる私たちにはおよそ想像のつかないような覚悟を持ち、強かに生きる姿に何度も何度も心を打たれているのです。時代という縛りがあるなかでどのように生きたのか、それを、何度も何度も繰り返し観ても、目の奥が熱くなるのです。


愛に溢れた人

篤姫のオープニング映像は、彼女と同じ時代を生きたクリムトの接吻をオマージュしているそうです。

“篤姫”のオープニング
クリムト“接吻”

共に、愛に溢れた人、作品という共通点があります。


いつも私の前を歩いているのは

私は知りたい。もっともっと広い世界を。

大河ドラマ“篤姫”第一話より

これは、篤姫が第一話の最後に云うセリフです。
私の好奇心の強さ、意志の強さは元から自分が持つものなのか、はたまた、このときから篤姫に大きく影響を受けているのかは定かではありません。

あーーーーかわいい(第一話の最後のシーン)

たまに篤姫を振り返り観ると、私は篤姫のように生きたいと願い行動しているのかもしれない、と何度も思うのでした。

あおいさんが篤姫の撮影をしていたのは21歳から22歳の頃でした。10歳の頃から、あおいさんが篤姫を演じた年齢のとき、私はどう生きているだろうかとよく考えていました。
いざ21歳になった誕生日、私は到底、あおいさんにも、篤姫にも全然追いつけていないと感じたのをよく覚えています。

それでも私はあおいさんが演じる篤姫のように生きてみたかった。時代を揺るがす重要事項に一心不乱に、大切な人を想い続け自分の役割を全うする。そんなかっこいい生き方をしたいと、私は今も思っています。

与えられた天命すらも、自らの意志でその役割を全うしようとする姿勢を受け、10歳の私はこのように聡く、強く、そしてしなやかに物事を捉えていきたいと思ったのです。


人生の目標

私には、ブレたくない人生の目的があります。
ひとつは、文句を言わない人生を送ること
ふたつめは、選ばれる人になりたいということ

私は幼い頃から癇癪持ちの文句ぶうたれっ子で、隙あらば誰かのせいにして生きることでしか自分を保てない人間でした。
しかし数年前、自分にとって尊敬できる人と出会い、その人に嫌われたくない、その人に認められる人になりたい、その人の眼中に入りたい、烏滸がましくも対等に立っていたいと思うようになりました。

私の尊敬する人は私にとって太陽のようで、自分の言動に責任を持ち、自分に厳しくも明るく、しなやかに生きる人でした。また、大胆さと細やかさの混じり合う人格で、視野も広く、強烈に惹かれたのを今も覚えています。

もともと文句を言わない人生を送りたいなあ、というぼんやりとした願望はありましたが、その輪郭をくっきりとさせてくれた人でもあり、私の人生を大きく変えたその出会いは、新たな人生の目的となりました。

自分の現状を変えるつもりがないのに感情垂れ流しで文句を言う人間になりたくなかったんです。世の中は全て映し鏡だから、自分が選んだ人は自分の鏡だと思っています。類は友を呼ぶのは本当だと思っているからこそ、これまでの自分から変化し、尊敬できる人たちのそばにいて、自分を磨き続けていきたいと思いました。


自分が何をしているのか、迷い分からなくなってしまったときには篤姫の作中にある「人にはそれぞれ役割がある」というセリフをよく思い出しています。

人にはそれぞれ役割があるからこそ、今私がしていること、しようとしていることは私でなくても変わりはきくのか?を都度考えています。
私だからできることをして、私だからできる表現や言葉選びをして、誰かの特別として選ばれる人になりたい。それは、仕事も、友人関係も、恋人も、全てにおいてです。そのためには、あらゆる経験を積み、知らない言葉を吸収していく必要があります。

全ての感情に名前がつくのであれば、そんな図鑑があると面白いな、なんて考えています。


生きるのが楽しい

学生の頃はどうしてあんなに生きづらかったんだろうかと感じるほど、私は今を生きるのがとても楽しいです。

24歳も本当に楽しかった!

23~24歳は今まで生きてきたなかでも記憶が飛ぶほどに辛いことが続いたけれど、その辛さすら楽しかった!辛いのに幸せだな、と当時も感じていた私は、幸せのハードルが低いのではなく(それもあるかもだけど)、不幸は辛さではなく別の場所にあると認識しているんだな、と知りました。

歳を重ねることを嘆くのではなく、楽しみだと思えるような歳の取り方をしていきたいと思っています。そのために、たくさんの世界を知りたいんです。知ることで生きることが楽しみでありたい。
歳を取り皺が増え、また深くなっていくことを嘆く暇もないほどに、多くの世界を知り、多くの感情を味わい、幸せを感じたい。その上で自分が心から良いと感じたものを選び取り抱きしめていたい。

そう考える私を好きになってくれる人たちのことを大切にし続けたいです。


愛を知りたい

誰かに尽くせる人は愛を知っている人らしいです。

となると私は愛を知りません。
それもきっと、そこまで自分に余裕がないこと、人に渡せるほどの愛情を持ち併せていないこと、まだ、自分を満たすことで精一杯だからだと考えています。

日常生活でも、「なにそれ愛じゃん!」などとふざけて言うことはあるけれどそれが本当に愛なのか、正直よくわかっていません。

だから25歳の私は、自分を満たした上で余裕を持てるような生活を送り、これってもしかして愛なのかも?と思う気づきをたくさん得られるような年にしていきたいな、なんて思っています。

自己中”と“自分を大切にする”の意味を履き違えないよう、自分と向き合い続けながら、また1年生きることにします。


写真が好き!

いつもTwitterを覗いてくださり、いいねやコメント、リツイート等、ありがとうございます!

実は幼い頃からカメラが好きで、写真を撮るのも好きなので、Instagramにも写真を載せていきたいのでアカウントを作りました。Twitterにも載せると思いますが、Instagramもフォローしていただけたら嬉しいです✌︎

Instagram:@ushisblink

noteも定期的に書いていこうと思うので、またnoteも読んでくださると嬉しいです🫶🏻

終わりに

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
25歳も元気に楽しく生きます!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?