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【葛藤どうする?】やるかやらないか!葛藤する伊達公子さんの背中を押したコーチのひと言

1994年にアジア出身の女子テニス選手として史上初の世界ランキングトップ10入りを果たした伊達公子さん。

翌年には世界ランキング4位となり、さらなる活躍を期待していたところ、1996年に引退しました。

テニスにはさほど興味がない私ですら当時は落胆したものです。

2008年、37歳で現役復帰を宣言して12年ぶりにテニスコートでプレーしたときは引退時以来の騒ぎとなりました。

あの伊達公子が久留米のテニスコートに

2008年5月より福岡県久留米市にある新宝満川地区コートで「久留米市国際女子テニス」が開催されたときのこと。

復帰したばかりの伊達公子さんが出場するとあって、いつもでは見られないほどの人だかりができ、ニュースでも大きく報じられたものです。

2008年当時の戦友が久々に再会。伊達公子さんと松井知代(高岸知代)さん

現役復帰を決意するまでの葛藤

先日、12月10日(日)放送のラジオ番組『日本郵便 SUNDAY’S POST』(TOKYO FM)に伊達公子さんがゲスト出演していました。

鼻水が止まらないので布団に入ってラジオを聴いていた私はラッキーでした。偶然に素晴らしいお話しがきけたのだから。

細かくは覚えていませんが、次のような概要でした。

2008年3月にシュテフィ・グラフ、マルチナ・ナブラチロワと3人でエキシビション・マッチを行った伊達さん。

その時に小さな火がついたようです。

「エキシビションマッチじゃなくて、また本気でプレーしたい」という現役復帰への思いがどんどんふくらんだといいます。

しかし「自分だけのことではない。周りはどう思うだろうか」と葛藤するなか、お世話になった高校時代のコーチに打ち明けたのです。

「今から話すことをアホやなと思ったらズバリと言ってください…」と前置きしたうえで、現役復帰の思いを伝えました。

「おもしろいやないか」

伊達さんはコーチのそのひと言で、現役復帰を決めたといいます。

もちろん12年ぶりの現役復帰をするからには想像を絶する努力があったでしょう。

でも伊達さんは、世界ランキングでトップ10入りした頃よりも、テニスを心の底から楽しめたそうです。

もしかしたら、コーチは高校時代から人並み外れた努力や辛い思いをしてきた伊達さんに、今でこそ出来るテニスをさせてやりたいと考えて「おもしろいやないか」と背中を押したのかもしれませんね。

日本の若手が世界基準でテニスをできる環境が願い

長年世界でプレーしてきた伊達さんは、テニスコートは「赤土」か「ハードコート」が世界標準だといいます。

日本は人工芝と砂のコートがほとんどなので、世界進出したときに不利なのだとか。

少しずつ「ハードコート」を増やすよう活動しているらしいですよ。

2019年には「日本経済新聞」の取材を受けて「ハードコートの導入」を訴えていました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

【葛藤どうする?】シリーズをはじめたものの内容を選定するのに悩み、2回目にしてずいぶん葛藤しました(汗)。

次があれば、またお付き合いください。

#伊達公子 #現役復帰 #人工芝 #ハードコート #テニス





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