隷属する惑星
掌編『壊変 Kwai-hen』3作
https://shimonomori.art.blog/2021/05/31/decay/
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私の失った記憶の始まりは、
人間の小さな集落だった。
人間に拾われたその頃の私は、
黒色の毛玉の姿をしていた。
人の手のひらサイズをした毛玉であったために、
奇異な物質としてケサランパサランと呼ばれ、
現地のマスメディアの人間に取り上げられた。
しかし私の姿に該当する物質は
白色の毛玉で、ガガイモと呼ばれる
植物の種子に生えた毛であった。
なぜ人間はこんなものと見間違えるのか。
可視域の狭さは所詮、原始生物である。
それから植物の種子の扱いにも関わらず
なぜか食事に白粉なるものを与えられたが、
デンプンで腹が満たされることはなく
体毛が白く汚れるばかりだった。
おのれ人間どもめ…。
怨嗟は虚しく誰にも届かない。
なにしろ私は長旅で弱りきっていた。
恐ろしいことに、ここには先客がいた。
人間たちにネコと呼ばれた生命体は
私と同じ全身黒色の体毛をしており、
この先客は私にキャットフードなるものを
分け与えた。
油分が酸化しさらに湿気っているが、
私は先客の施しをありがたく受け入れる。
人間は私が幸運を呼ぶと信じており、
愛でては白粉で汚し撫でて払い、
ネコは私を良きおもちゃにした。
先客には逆らえない。
長旅によって消耗した体力を
10年をかけて回復すると、私は分裂した。
毎日決まった時間にネコと私に、
キャットフードを与える律儀な人間。
私はキャットフード一粒程度の食事でも
約24時間に1個体ペースで分裂する。
分裂を1年間繰り返して、
365体の複製体は一時的に休眠の後、
さらに複製体は分裂を開始する。
分裂した個体は人間たちに
いくつか配られ、売られた。
人間は私の分裂に気にもとめないのは、
小さな集落がケサランパサランなる植物の
珍妙な伝承を大切にしているからだろうか。
幸運を信じる割には、自ら魔女の使いや
不幸の前兆とも呼んだ黒毛のネコがいる。
人間とは変わった生物だ。
いなくなった先客のキャットフードを、
私は飽きもせずよく食べた。
それから私は先客に倣って四足歩行を得た。
重力下ではやはり自分の足で
移動した方が効率がよい。
私の変体を珍しがって、
現地のマスメディアの人間が
また私を記事として取り上げに来た。
私は人間のような野蛮な生物とは異なる
おとなしい個体だ。
先客によく躾けられたせいでもある。
しかしこのマスメディアの人間は、
私を撫でることもなく、前肢を手にして
勝手気ままに扱おうとした。
私は柔軟な身を捩って抜け出して、
この不逞な輩を躾けるために爪で引っ掻いた。
引っ掻けば血が出るものだ。
それにも関わらず自らの過ちを認めず騒ぎ立てる。
不本意なことに私は人家を追い出された。
それはかれら人間の種族が主であり、
私が従たる側だと示したことにほかならない。
私は人に従属したつもりはない。
しかしキャットフードは手に入らない。
私は野を駆け、山を登った。
山には山に棲む獣がいた。
小鳥やウサギ、リス程度ならまだしも、
イノシシやクマなどを捕らえて食うには
体格の差に難がある。
捕食を繰り返して身体を変え、
クマを食らうまでの大きさになった。
山のクマを狩り尽くせば、
今度はイノシシを食い尽くす。
さらにシカもいなくなったので、
別の山に移ることにしたが手遅れだった。
山と山の間にあった
人間の集落が破壊されている。
破壊したのは私の複製から
姿を変えた巨大なタヌキだった。
人を食らったタヌキは、
飼育されていたであろうウシを食って
5mまで成長していた。
寝ていたところに喉笛を噛み、
私は複製体を捕食した。
オリジナルの私がしたように、
世界中に広まった複製体はほかの複製体を食べた。
四足歩行の肉食獣に変わった個体、
鳥などに変化した個体、水生生物に擬態した個体。
それらの個体同士が共食いを始めると、
競うように数十mまで巨体化していった。
その割りを食ったのは人類だ。
数千年にも及び築いてきた
生活のための基盤は、ほとんど破壊された。
水道、ガス、電線、通信線は寸断された。
家畜や穀物は真っ先に食べられた。
巨体が貯水池を闊歩してダムが破壊された。
下流域は洪水にさらされ、次は水不足が起きる。
巨体となった複製体は、
あらゆる地域に同時期に発現する。
混乱により人間は食料を求め、水を求め、
奪い合い、住処をなくしてさまよい、
風雨をしのぐことも難しくなれば、飢え、
自然によって生命を絶たれる。
混乱が続けば社会さえも機能しなくなる。
複製体に敵対する軍事設備も破壊の対象となった。
複製体の存在で、地を支配していた人類は
未曾有の危機に貧した。
世のあらゆる食べるものを複製体に奪われた私は、
複製体を食べるしかなかった。
鋭い爪と太い手足で相手を捕まえ、
大きな口に硬い牙、頑丈な顎で噛み砕く。
空を飛ぶ複製体があれば、
空まで跳んで捕まえた。
水中を泳ぐ複製体があれば、
山から飛び込み捕まえた。
複製体を食べ尽くす頃には、
私は300mにも及ぶ巨体と化した。
人類は減少し、小さな集落で
身を寄せ合い暮らすところに、
私は最初の土地に戻って羽を休めた。
人類は私を崇め、私に触れ、私を撫でた。
そうして私は本来の目的を思い出した。
私はかれらに撫でられるため、
遠路はるばるこの惑星にやってきた。
人類は生物を撫でる奴隷であり、
私は撫でさせる為の主人である。
私の足元で黒色のネコが鳴いた。
無防備にも腹を見せて人類に撫でられている。
この星に先客がいたのは私の想定外だった。
(了)