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練習の数より、理解と体験の補修が先

塾に行き始めてから、
ぱったりとピアノの方は成長がとまってしまった女の子。
家での練習までに漕ぎ着くエネルギーが残ってそうにはない感じ。

先週渡した曲の譜読みもおぼつかなくて、
それどころか、楽譜をじいっと眺めて、
しばらく遠のいているらしい五線の音符とにらめっこ。
五線は何もお返事してくれないらしく、いつまでもにらめっこ。

あれほどほとばしるような感性で私を楽しませてくれていた彼女が
どこか申し訳なさそうに日陰で見上げてくる子猫みたいみたい。
でもまっすぐな目線が変わらない。

家で練習できないのは分かってるから、
じゃあここで、たくさん弾いてみとこうか、
と声かけしたんだけれども、
そもそもが楽譜が読めなくなってるから
すぐに止まってしまうし、
すぐ止まると全体の流れも何回弾いても繋がらない。
繋がらないからわからない。
わからないけれども、一生懸命に
楽譜と手を交互にみては音をうつしていこうとしています。

わからないのにやらなければならない、って
実はちょっとずつ傷ついてることなのかもしれない。
みてるうちにちょっと可哀想になってきて、
無理に弾かせるのはやめて、
一緒にゆっくり楽譜の音読み。
この子はわかっている、と思い込んでいた私もよくない。

ひとつひとつ指を指して、
読み飛ばす癖のあるところを確認して。

とりあえず、音程もリズムも無視で、まずは音名の確認。
音名とキーボードの位置のマッピングはできている人なので、
それでタッチのミスは減せる。

そして、慣れてきたら、
早いリズムで音の多いところはリズム通りに読めるように。
よく観察してると、五線の読み違いのパターンもあるので
そういうのもこの機会に修正しながら。
指差しながら。
いっしょに。
間違ったら、大笑いしながら。

そうやってメロディのソルフェージュがしっかりとできてから
弾いてもらったら、
一気に間違いなく弾くことができました。
おお、ってことで、私が左手の伴奏を弾いてあげてもう一度。

「たのしい?」
ってきいたら
「うんうん、たのしい!」

ほころびた服を丁寧に修正するように、
理解、と体験で補修する。
音楽は、そういうものでありたいと
思う。

今時塾通いも一時的には仕方ないのかと思いますが
とかく、できる、暗記する、ということを求められる学習の中で
音楽教室の役割を改めて思いました。


大人になっても、体験の補修はだいじなメンテナンス。

個人ワークを受けていただいている
方が、記事をかいてくださいました。



愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!