実家の畑 5月
先週の土曜日に、日帰りで実家の畑の様子を見に行ってきました。
冬に、農林公社の人が来て アカメガシワの 木を切り倒し、粉砕したり、燃やしたりなどしてもらったものが、そのまま奥の平地に残っています。そこに、きのこが生えていました。かわいいこと!アカメガシワの倒木は、えのき茸も育てることができるらしいのですが、これは、なんのきのこでしょう?残念ながら知識がないので、怖くて触ることさえできません。山の掟、知らないものに手を出さない。笑
このチップを少し剥いでみたら、粘菌も育っていました。いいぞ。
木々の間には早速、葛の芽があちこちから吹き出していて、見つけたものをプチっともいでいきました。冬の間に抜けるだけは抜いて、地面から引きはいでおいたので、無数というほどではない、という感じです。
新芽をみたら切り株から放射状に広がっていくその様子がはっきりわかります。除草剤を撒かずとも、でた芽をとにかく切っていけば、葛は成長を諦めるらしいので、その実験を今年はやってみたい。
実は、5月には3日に一度、帰っています。
母に朝電話をしたら、
「ちょうどいいひとがみつかってねえ、今、草刈りや木の伐採してくれてるんよ。」と。
どこ?ときくと、崖のところ。と。
え?あそこはそっとしていてと言ったはず・・
慌てて、車に飛び込み、高速を走らせたけれども、ときすでに遅し。
ぎりぎり、かたし(山茶花の野生種)が残っていたけれど、森のなかの日陰はなく、森に伐採した木が積み上がっていました。
そういえば、子供の頃、ある日突然、何年も私の布団で一緒に寝ていた猫をすてられたこととか、思い出したりして、もう、ちょっと母の気分についていけない、とメンタル的にがたっときてしまったのですが。
だから、実家に帰るのも正直もうやめようかと。
桑の木も、茶の木もなくなっています。
桜の広場も跡形なく、草刈りしてもらってた。ありがたいのか、ありがたくないのか。ただ、作業していただいた方は気さくな方たちで、途中から一緒に作業しました。
これが5月3日の写真。
この半年、いろいろ学んだことがあります。
どうして、植物の多様性がなくなっていったのか。
今は、うちの敷地内に、ネジバナどころかキツネノボタンやアザミさえ見ることがありません。オニノゲシやスズメノカタビラみたいな、一種類の植物が凶暴化したかのように、群生していて。あれが何故か。
母の畑の横一角を借りて、私はほったらかしの畑をやらせてもらっているのですが、そこは、今、ひよこぐさが生え始めていて、コオロギや蜘蛛がちょこちょこと走り回っています。そして、ひよこぐさだけではなく、タデや、ツユクサなども生え始めていて、春の草も夏の草も共存していました。
隣の畑、母が人に頼んで耕してもらった畑は春には雀の帷子だけ、今は猫じゃらしの苗ばかりが野菜と同じようにぐんと背を伸ばしてきています。耕すってそういうことなんだ。一度雑草をリセットしてしまって、程よく空気が入ったその土地には、その時芽吹く雑草がいち早く立ち上がってきます。
草刈り機で5月頭に刈りきった桜のところには、先週行ったときには、去年は目立たなかった、セイタカアワダチソウの芽が吹き出していました。抜こうとして気がついたのは、この、セイタカアワダチソウ、種だけではなくて、ねっこでも広がる、ということ。根っこの強い植物は、他の植物が生えないような物質を出して阻害するのだとか言うのを聞いたことがあります。秋に種を残し、ゆっくり時間をかけて育つ植物は、草刈り機で刈り取ってしまい、結果、根っこの勢いのよいチガヤ系やすすき、セイタカアワダチソウなどが、地面を覆っていく。。。という原理。これを、目の当たりにしました。
かといって、母に草引きはもう無理です。
それによく観察しないと、田舎の人でも、生えてきている苗がセイタカアワダチソウなのか、ヒメジョオンなのか、見分けの付く人はそんなにいそうにない、ということなんだろうなあと思います。
岩場にはえていたオモトを手伝いの人が抜こうとして、
「なんで抜くの?」と尋ねると、きたないから、と。オモトがどんな悪さをするというのか。「それ、わざとおいてるやつだから、抜かないでね」というと、その人は、おっ!という感じで手を引っ込めてくださったので、ありがたかったです。良い植物はびこる植物の生態の区別がない、というだけのことで。
今度いっしょに牧野植物園にいきましょう、という話をして、ほんと、楽しみになりました。一緒に考えて貰える人ができたのかもしれない。
大丈夫。ここはすみれものこっていたし、こんな雑草も。
私は、昔の景色がみたいなあ、ここに、とただ、それを思います。
セイタカアワダチソウとアカメガシワとチガヤだけを気がついたものは抜いておきました。まだまだこれから生えてくるだろうけれど。
そして、何より、母という生き物が読めないけれど。笑
もう、それも天災と諦めよう。
正直、まだまだ残っていた雑木類をのこでひとつひとつ切った行くことは私には無理でした。来年収穫するつもりだった茶の木はもうないし、持っていった山葡萄を這わせる雑木もなくなったけれど、私の体は結構前から悲鳴を上げていたことも知らないではない。それを気遣っての母の所業だったと、(なぜかみとめたくはないいけれど、)それもあったんでしょう。
一度耕運機で耕したもと田んぼは水路がまた埋まっていたので、再び水路を作って。
手伝いの方が土木関連のお仕事をされているというので、相談したら、田んぼ自体の区切りをとって、傾斜地にしてはどうか、と。私もそれをかんがえていたので、母とも相談し、いつか、お願いすることにしました。
ま、いいか。
なにより、土を触り、草木に触れていられるだけで、十分すくわれてる気がします。
帰り道で見た夕日。よく働いた。
愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!