見出し画像

起こらなかった出来事

実家に行ったら、その敷地をひと回りします。
行くたびにアカメガシワやセンダンやケヤキの小苗があちこちから芽を出しているので、小さいそのかわいい子をすいっと通りがかりに抜いて歩きます。

だれもこの土地を歩く者がいなかった2・3年の間に、人にとってありがたくない植物が大繁殖をしてしまいました。そう、だれもその小さな芽を抜かなかった、たったそれだけのことの結果はその時はっきりと誰の目にも明らかで、樹木は大木に、タチスズメノヒエは畑中に勢力を広げ、土地は荒れていました。樹木は切ったけれども、そのときいっぱい種が落ちていて、今もしょっちゅう芽を吹いています。

今日、一体何本の小さな苗をそっと抜いたろうか。

ほんの少し腰をかがめて、すまんな、と言いながらひょいっと。その仕草はものの数秒の出来事で、でも、もしその一コマが時間の中になかったら、この芽はまたのびのびと枝葉を広げていく未来があったはず。

昨日、今日とこのタチスズメノヒエの穂を刈り取ってきました・・

画像1

この元田んぼの足元には、こんなかわいい花たち。

画像2

姉と撒いたコスモス。

画像3

起こってしまった出来事の追跡はできるし写真にも残せるけれども
起こらなかった出来事の、未然の出来事は、跡形もない。

私なあ、でも、思うのさ。

仕事でも、そういうのがしたい。

それは形に残らなくていい。

たとえば、あるとき、ぎりぎりその子が思いとどまった、その我慢が開いていく未来。その心のしなやかさはどこからきたのか、それは誰も知らない。

そんな仕事な。

そっと、そしてほんの少し、大事なところで、ちょっと手を入れておく。

目に見える結果だけが結果ではないってことな。

画像4

いい朝日が射していました。

愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!