見出し画像

コンサートと子どもたち

コンサートを肌で


生演奏で、しかも、ここち良い響の建物で、多分包み込むような音響だったろうと思われ、そこで音楽を聴いた何人かの音楽室に通う子どもたち。
決してわかりやすく子どものために噛み砕いたようなものではなかったので
退屈だったのではないかな、とちょっと思わないでもなかったのですが。

お父さんお母さんは、終わって「落ち着かなくってすみません」って申し訳なさそうにおっしゃったのだけれども、もともと
「音楽の敷居の高いのを取り払いたい」という思いのもとに行っているコンサートだから、全然気になりませんでした。
(写真のマイクは録音用、当日はリアル音響で聴いていただいてます。)

そして
レッスンをしていると、思いもかけなく、その子たちの演奏は少し今までと様子が変わって来たのを感じました。
ゴツゴツとしていた普段の演奏より、ふわりとした音になっていて
そして音楽がつながっている!
それはほんと微細な違いで、でも、確かに変わったのはその子の聞こえ方なんだろうと思います。
今まで聴いていた自分の音よりももうすこし「音楽」に耳をかた向けている、という感じ。音に表情が生まれている。
こんなことってあるのか・・・

グループワークの時はきもち良さそうにしっかりとした声で歌っていたし。

コンサートの感想として、どなたかが
「音が震えるのがわかった、あれは生でなかればわからない音だった」
と一緒に聞いた人が言っていたというのがあったのですが
子供達もダイレクトにそれをその振動が伝えるものを無意識に受け取っていたに違いないと思うのです。

やっぱり生の音で。

大人がこうしなさい、ああしなさい、なんていうことなんて
ほんと、限界があると思います。
このコンサートに足を運ばせてくださった保護者さんたちに感謝。

シンプルに精査したものはつたわる


良い演奏というのはきっと誰にでも伝わるはずだと思っています。
難解ではなく、すっと心に差し込んでいく光のように。

そのために、演奏する側がすることは
何か意図的な表現とかではなく、
超絶技巧でもなく、
ただ真摯に音楽をしていくことで、
その意味を紐解いて響きとして、流れとして、相として
形をなしていく。

音楽に関しては息子の主導で進めたのだけれども、
ちょっともう敵わないなあと思うし、
私はとにかく必死についていくばかりでしたが・・

朗読も良い手助けになったろうと思います。
でなければ、子どもたちは本当に
意味がわからない言葉を前に「敷居」の向こう側に追いやられてしまっていたかもしれません。
でもそれは子どものためにやった演出というわけではなかったのです。

「子どものため」は果たして本当に子どものためなのか

いかにも楽しそうに音楽をしているのもの、を見せるとか、
音楽は楽しいんだよということを伝えるための演出をするとか、
私はそういうのは苦手だし、手を出せません。

子ども向けに子どもの気を引くような、
オーバーなアクションとかいうのも無理。
オーバーなアクションは逆に音楽を見えにくくしてしまうことがあります。

私は幼児さんたちには、小さな童歌、その年齢にあった童歌をレッスンの中で行なっています。
それは、子どもむけに「演出」したものではなく、むしろ「音楽の肝」を年齢に合わせ一番伝わる方法で伝えるため。
それは、「子どもの気を引く」というのとは違うと思っています。
その時その時が「肌で伝わる」ものにしていくため。

逆に無理に大人っぽいものに触れさせるのも違うような気がします。
そこは、「縁」というのもあるかもしれない。

今回、保護者さんたちに無理に推奨したのではなく
「子どもも一緒にいて良いよ」というサインだけ。
「そろそろこういう機会があっても良いかな」とアンテナに引っかかった親御さんんが申し込んでくれて、それはみんなちょうど良い年齢の子達でもあったと思います。

子どもたちを舐めてはいないか

レッスンで子どもたちを
凛々しいなあ、と思いながら眺めていました。
自分で音楽に向かっていく、音楽と対話してる。

練習してくる子達もいれば、しない子もいるし
熟練度もまちまち。
でも、
その子がそこにいて、その子の演奏がかたちをつくっている。

子どもを舐めてはいけない。
子どもを今限界のある大人の尺度でその範囲のなかではなく、
子どもの受け取る力を信じてみるのは大事なことだと思いました。
自分の音に還元させる力をすでに持っているのだから。

それを改めて感じたのでした。

歌の花束オンライン演奏会

わかりやすく、噛み砕いて、
というのや
飾りをつけて、目立たせて、と
というのと

肝が伝わるために
足し算引き算を精査する、ということ。

それが結構うまくいったのではないかなと
思っています。











愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!