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心底音痴の人はいない。

はなうたが楽しそうな女の子



音楽教室での出来事。(うちでは音楽室と言ってます)今まで出会ってきた生徒さんの中でも最強に音程感を教えるのが難しい、と思っていたMさん小学校4年生。
でも、こないだのレッスン、何気ない鼻歌、音程が取れているばかりか、無意識だし、楽しそうだし。
あれ?と思ってお母さんに
「Mさん、きれいにうたってますよね」
と尋ねると、お母さんも驚いたように、
「そうなんですよ。」
と。ああ、おかあさんも気づいてたね。
そのくらいはっきりと変わってきました。

掴むというより、手放す

音程感を培う(音痴を克服する)には、何かを掴むことより、むしろ手放すことの重要性を、改めてMさんとのワークを思い出しながら思います。

身体がそうしてしまう、ということってあります。
そうしてしまう、というのをいくら制止しようとしても跳ね戻される、
そこを、歯を食いしばって正しいところを捉えようとすると、
ヘタをするといつまでも、同じループでぐるぐるしてしまうことにもなってしまします。

ふとした折に、今までの積み重ねてきた体験がそうした身体的な癖(聞き方であったり、声の出し方であったり)を溶かしていくような。
そういうときは、
きっと掴む、のではなく、手放す、なんじゃないかな。
少し勇気のいる行為なのかもしれない、無意識にしても。

今まで身体がやってきた方法でなくても、今までの学習で別ルートができていて、
ふっとそっちへ乗り換える、という感じ。

不思議と、音程が取れるようになった時にはリズム感の方もなにかわかっている、ということもよくあります。それはきっと、手放した時、自然流れ込んでくる音楽が全体性を持っているから、なのかなと思っています。

勇気をもらって言おう、心底音痴の人はいない、と。


この体験を、ワークの中でも何度も生徒さんと一緒に体験させていただきました。子どもだけでなく、大人も。
ああ、やってきてよかった、と私も思える瞬間。

Mさんの変化は、私にとっても、ありがたく、このやり方でいいんだ、というちょっと(というか、かなり)、自信にもつながってきています。
ほんと、よくここまで。
これを機に、私もきっと偶然なんてやり過ごさないで、次へ繋げていこう・

大人も、子どももそれは同じで、utena music fieldでは、
心底音痴はいないし、いくつからでも修正可能だ、というのが定説になりつつあります。

愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!