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音楽の背中・暮らしの奥に(日記)

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大人や子供がやってきて音楽をまなぶここutena music field での出来事と、日々のふりかえり、明日への希望などを。 音と音のあいだにある音楽と西洋音楽の仕組みへの敬意…
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#共感覚

ひかり

ひかりに乗って一昨日と昨日、息子のところへ行ってきました。 愛媛から愛知までの道のりをJRで。 途中、岡山から名古屋までの新幹線、 のぞみだと1時間35分、 でも、私はひかりにいつも乗ることにしてます。 今回みたいな連休中でも、ゆっくり座れるのと、 時間がたっぷりある方が、本も読めるし、いろいろ考えもすすむ。 窓の外は秋たけなわの小春日和。 美しい山々と川と人の佇まい。 なにかに揺られながら、ものを考えるっていいもんで、 ゲーテもじっと机に座ってではなくて、歩きながら思索して

9/11音楽を描く'日々の記録

8月にはお休みを頂いていた、愛媛の固定メンバーでのワークの日でした。 愛媛の講座としては、間が開いたので ちょうど良い感じに忘れてて (私もです。) こういうときは、逆に新鮮にできるいい機会ととらえるのがいいと思いました。 ここまででやれてきたことのあいだに埋もれている まだ捉えきれないものや、良いドライブ感を掴んだときに忘れてしまった別の実感、みたいなものを思い出せる内容にしたいと。 今から思えば楽にできるとおもうようなシンプルでやり慣れたワークの中に私達がまだ拾えてい

五感って、感覚が5個ってわけでもない

ゲーテの目ゲーテは目の人だった、 と、なにかで読んだことがあります。なにだったかよくおぼえていないのですが・・それはどういう意味だったのだろうか、とときどきふっと思い出します。 よく、現代は視覚情報が溢れていて、人間の感覚も視覚過多だ、というようなことを耳にします。あと、視覚優位か、聴覚優位か、とか。現代人が視覚の情報過多、というのはそのとおりだと思うし、視覚に対峙させるのが聴覚、というのもわかる。でも、自分はどうなんだろう、ということでこれを考えてみると、私はどうも、ひ

連弾の練習もドローイングで。

リトルコンサートの前 8月に子どもたちのコンサートがあります。 仕上げの出来だけにこだわらないこと。 いつもレッスンの中で自分に言い聞かせていること。 みんな驚きの集中力ですが、中には、まだ途中で迷子になってしまったり、そもそも人前で演奏するってことにピンときてない子もいたり、で波乱万丈な毎日です。 6月までで譜読みが終わらなかった子は引きずらないように、曲を短くしました。なんでなら、結果だけが大事じゃないからです。 6月までにとにかく弾けるようになった曲を、7月は愛でる

身体の衰えと音楽との向き合いの話とか、ハモリの体験とか。

今日は愛媛講座の日7/10午後からいつもの4人の定期講座でした。 すっかり生活の一部になってきているのがいいです。 ハモリを導入東京のほうでは、和音を聞き取る分離唱をいいタイミングで始めたことで、体験が大きく動いた、という方がいました。期を同じくして、こちらでも、数ヶ月前から空間の縦を同時に体験する、ということが自然に講座の中に入ってきていたのを今回は一気にハモる、という体験に持ち込みました。 ハモる初体験、というと、メロディの三度下に平行の音を並べる、というパターンが一

音楽理論は点というより・と、7/7の庭

写真は生徒が描いたもの。 うまいヘタ関係なく、絵を描くのがみんな好きですねー、うちの生徒たち。 無意識領域では音楽が嫌いな人はいないと思うけど、絵を描きたいというのも、赤ちゃんのときからの自然な欲求なのかも。 音楽理論は点というより梁前回のnoteに音楽理論は点だ、と書いたけれど、あとから思ったのは、理論が導き出すのは点だけれども、理論自体はシステムだから、点を支える梁なのかも。 実音としての点に至る背景には、ほんとに複雑にいろんなものがあるな。そのシステムを生んださらに背

7/2 全と一

東京での音楽を描く’音楽リテラシー講座終了今日は東京の娘と東京散策したあと日本橋で別れ、 飛行機に乗って愛媛に帰ってきました。 東京での講座 (音楽を描く’ 音楽リテラシーと、 音程が不安の人のための音楽講座、個人レッスン) は昨日で終わり。 次は8月25日からになります。 東京での講座はまとまってあるので あとで振り返ってみて なんとなくひとくくりのテーマがあったような気になります。 今回は、全と1、といえばいいのかもしれません。 部分が全体を支え、全体性が部分に光を当

合歓の葉は夜眠ります。6/25

合歓の花実家の帰り道にまた寄ってみました。 周りの合歓の花は今が盛りですが、 ここは谷間の日の当たらないところ、それでも少し色づいてきました。 もう19時を越えていたので、薄暗くて、葉っぱがオジギソウみたいにしぼんでいます。そう、合歓の葉っぱは眠ります。少し拡大。 気になる背景ですが、多分砂防ダムというやつではないかと思います。 先週帰ったときには花はまだつぼみでした。その時の記事が下のです。 まだ明るかったので葉っぱも開いてる。 サピエンス全史 読み終わり母の病院のはし

つい二項対立のビジョンで捉えようとしてしまうこと。

今日の出来事生徒がおうちの庭先から小さな枯れた草の実の殻をもってきてくれました。 写真でみるよりもっともっと立体的で、レースみたいできれいなんだけどね。 少しでも、つたわるといいなあ。 今日は友人とお昼ごはん。 プライドってのは、ほんとにやっかいで、という話なんかをしました。 プライドっていうのがあると、なかなか腹を割って話ができないから、 私のワークは対話が前提だからそこで止まってしまうことがしばしば。 でもプライドのその奥にあるその人がそこを見せても良いかなくらいに信頼

共通感覚と今日のドライブ

今日のドライブ今日は実家に早朝向かい、 いくつかの用事をバタバタとすませ、 夕方帰ってきました。 一日が長かった。 写真の夕景は高速道路のパーキングエリアから。 実家を出た頃は、まだ日が残っていて あちこち寄り道しながら帰ってきました。 あー昔から、寄り道、激しくて、なかなか家に帰りつけなかったな、そういえば。 田んぼの足跡がかわいい、わかります? そろそろ、合歓の花が咲いてるかなと思って、いつも行く場所へ。 ちょっと、まだ早くて蕾でした。 そして、あの、最初の写真。

共感覚界隈のことと6/16の庭

いくつかのマガジンを整理しました。 このマガジンが日記代わりになっていく、はずです。 共感覚、に近い、ということで 共感覚界隈。このカテゴリーの名前を「共感覚界隈ノート」としました。 でも、実は、以前は「共感覚」ということばを自分の体験や仕事(音楽を描く、という講座をしています。)のこととして使うのは、ずいぶんと違和感がありました。 でも、自分の文章をいろいろ読み直してみて、私の言っていることを理解してもらう糸口としてやっぱり「共感覚」が近いっちゃ近い、そして他の言葉が浮か

きくことを・・・

きくことを支配しようとすると きこえなくなる。 でも、 きくことから 意味をひきださない と 霧のように消えてしまう。

小さい音ほど大きくきこえる

熊谷守一。 アリは二本目の左足から歩き始める、とか、 雫が水面に落ちたとき、できる水の玉の曲がる様子を絵にかいたりとか、 「見る」力の優れた人であったらしい。 絵画に時間を凝縮させている画家は多いけれど、 絵画の中で時間を引き伸ばしている、めずらしい画家。 それは子どもの目。 私は 熊谷守一にそんな印象を持っている。 その熊谷守一が言った言葉で心に残っているのが、 「小さい音ほど、大きく聞こえる」 これを情緒的に捉えるか、もっと体験として捉えるかで、全く違う局面が現れる