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音楽の背中・暮らしの奥に(日記)

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大人や子供がやってきて音楽をまなぶここutena music field での出来事と、日々のふりかえり、明日への希望などを。 音と音のあいだにある音楽と西洋音楽の仕組みへの敬意…
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2020年4月の記事一覧

4/30のutena music field

ひたすらピアノの日今日は、オンラインレッスンもなしで、一日ピアノを弾くという贅沢な日でした。思えば、utena drawingは私自身にとっても自分の音楽を振り返るツールになっていて、ずっと育ててくれ続けているのだけれども、その自分のピアノと向きあってその成果を自分の為に生かす、確かめる、という作業は抜け落ちたままだったのでした。いつか、と思いながら。 音がどこへ向かおうとしているのか。 指先が触れる瞬間にどんな音を選択するのか。 このモティーフはどこのどの音へむかい、

4/21ころのutena/オンラインレッスン

うちにしては、いつになく華やかな花瓶です。 オンライン個人レッスンたまたま、何人かやってみてもいい、と協力を申し出てくれた保護者さんがいて、子どもたちとオンラインのレッスンをぼちぼちやってみています。 なかなか難しい。 普段対面でのレッスンなら互いの伝達のパイプは幾つもあるもので、視覚と聴覚だけでやり取りしているのではないのだなあ、とつくづく感じました。その上スカイプやラインだと、音楽レッスンとしては致命的なタイムラグも生まれてしまいます。だから、一緒に手を叩いてリズム

「線は、僕を描く」を読んで

線は、僕を描く。 この題を見つけたとき、私は即座に自分のワークのことを連想したと同時に、ノヴァーリスの”森羅万象の相互表象説”を思い出しました。 宇宙の万物はたがいにみな表象しあっている。 と、彼・ノヴァーリスは言いました。 そして、実際この本の随所に差し込まれた、この青山という心を閉ざした青年に語りかける水墨画の師匠・湖山先生の言葉には、ノヴァーリスの引用かと思える表現が幾度も出てくるのです。 この小説は、両親をなくし、自分の内的な時間を止めてしまった青年が自分の

4月半ばのutena music field

なんとなく落ち着かないレッスンは幾つかのコロナ対策を、保護者さん、生徒さんと共有しながらなんとか続けていますが、なんとなく落ち着かない。 それぞれの危機感のずれがあったりで、小さな行き違いもあったけれど、理解のよい保護者さんにめぐまれているので、そこはキチンとメールで丁寧にやり取りしながら、調整することができました。 衛生面だけでなく、みんなどこか落ち着かないから、そもそもこういうことになる。うちはほんとに普段、全くストレスのない保護者さんたちなのに、こうなるって、なによ

変わっていく世界と暮らす

携帯電話のtwitterのアプリを消しました。 PCを開けたときだけみることにして。 大体私たちがおかれている状況がわかってきてて そうしたら、やらなければならないのは、 3蜜をさけることと、手洗い、日々の暮らし、人との向き合い方、仕事への方向づけ。 いつまでも不安に舵を取らせて置くわけにも行かない。 不安をそっと意識しながら、でも、それに方向性を委ねないように、 というか、 不安をちゃんと意識して、認めてやって、 不安が多少の悪さをするのも仕方ないと思いながら、 もう

4/4のutena music field

週末は スタジオと化します。 今買っておかないと後悔するとおもって、機材を揃えました。 正解だった、マイクが違うと、今まで諦めていた音が取れる。 ヘッドホンでピアノ聴くとあらがよく聞こえていい練習になります。 火曜日には、ちょっと風邪気味の子がいて、それで慌てて、教室のコロナ対策をしっかり考えて、保護者の皆さんにも共有することに。その頃はまだ愛媛はのほほんとしてるのに、私だけびっちり対策してバカみたいだったんだけど、悲しいかな、世の中があっという間に追いついてきて、あのタイ