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音楽の背中・暮らしの奥に(日記)

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大人や子供がやってきて音楽をまなぶここutena music field での出来事と、日々のふりかえり、明日への希望などを。 音と音のあいだにある音楽と西洋音楽の仕組みへの敬意…
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2019年12月の記事一覧

明日は冬至の会(暗闇体験と地続きの感覚のこと)

音楽教室の年末行事の冬至の会明日は冬至ですね。 一番夜が長い日。 utenaの音楽教室では、この日に集まって、 暗闇体験をするのが恒例となっています。 ここから、365日。 365日って、昔は沢山あると思ってた、今はとても少ないと感じます。 365という点が俯瞰できてしまう、みたいな感じ。 一緒に集まる子どもたちの365日はどうなんでしょうねー。 きいたってわかりゃしないんで、ただ、この一年の底みたいな日に ろうそくを一緒に眺めるばっかりです。 闇の暖かさ 数年前に、東

月と闇と深い空

丘の上にたつ家の真西に向いた小さな窓は向かい合う別の建物がないから、 朽ちたカーテンを取り払った後、むき出しのままで暮らしていました。 それで、ここ3日ほどは6時まえにその西窓から誰かに見つめられているような気がして目が覚めてみると、沈む方向へ向かっていく丸い明るい月が無表情にこちらを眺め返してきてて、 そうか、月は鏡だった、なんて、思ったりしたのでした。 冬至が近いこの時期の朝の6時はまだ暗闇の中。 ふと、襲ってくる不安。 後悔や痛みや絶望なんかが、深い心の淵か

ふざけっこたち

時代時代で子どもたちの環境は変わるけれど音楽教室をして、30年ほどたってしまいました。 なんと。 それで、時代時代の傾向が少しづつ変わっていて、若い頃は、子どもたちが如実にゲームの影響なんかうけてると、これはいかん!!と思って、世の中、このまま、どうなってしまうんだろう・・と憂いていたりしました。 でも、今は、少し違ってきています。 世の中が悪いといくらいったって、何の薬にもなりゃしない。 それに、昔の子どもたちにはなかった、また別のフェーズで今の子供達はちゃんと、子ども

今日はホームページのご案内

私は東京で講座をするのと、愛媛で小さな個人の音楽教室との二足のわらじでやっています。 その教室のほうのあそびから一つ、HPにあげたので、ご紹介します。 うたもうたってます。 「音楽を描く」(utena.drawing)もこうした子どもの遊びも根っこは同じで、一つには感覚を伸びやかに広げる深める、ということ、それから、もう一つは、音楽を源から実感していく、ということ。 そこから音楽と出会っていったら、体験って、随分違ってきます。 うたもメロディも自作のものです。 きこ

深い音

一言で言い当ててしまっちゃいけない、 これが正解などと固めてしまったらもったいない そんな言葉が世の中にはたくさんある気がします。 先週のレッスンのときに、 私はきっとなにげに、その生徒さんの楽譜の隅に 「ふかい音」と走り書きしてて 書いた私も忘れてて まるで啓示をうけとったみたいに びっくりで、 ふたりで、ふかい音ってなんだって話しあいました。 底が見えないくらいの深い河の色とか、 そんな川に飛び込んだことある? なーい。 そりゃそうか。 じゃあ、想像してみよか、

確固たる自分ではなくて揺れながらちゃんと戻れる自分ならいい。

心の強度人の心の強度って、 確固たる信念とか、揺るぎない意志とか、 そういうのをついイメージするのですが、 柔軟さ、というのもいいかもしれないとお風呂でかんがえました。 揺れないぶれない強さなんかないけど 揺れながら、でも自分の あ、なんだ、ここ。 というとこにふっと戻れる。 我に返るみたいな。 ショパンのメロディって軟弱そうで折れない。 あれって、誰にもはできないメロディの降ろしてきかただとおもうんですよね。 ショパンはショパンの強度。 ならば、それなりに私なりに、私的