差別的世界の歩き方
その数学の先生は、日本人が嫌いなようだった。はっきりとはそう言わなかったが、たかだか14歳のわたしでも、歓迎されていないことは感じていた。
彼はいい歳だったが振る舞いは幼く、「日本人は九九がインストールされているんだから電卓要らないだろ」と言ってわたしから取り上げてみたり、わたしが答えを間違えると、「トヨダが数学間違えることなんてあるんだな。いや、君はホンダだったっけ?」と戯けてみたりしていた。わたしは辟易していたが、クラスのほとんどの子は「くだらなーい」と大げさに嘆く素振りをしつつも、彼の冗談に好意的だった。わたしの成績は、段々落ちていった。
考えて導き出した答えが正しければ「日本人だからできて当たり前」と評され、間違っていればここぞとばかりに先生が悪ふざけをする。そして「英語が下手だから」という理由で、100点を取ったところで成績はいつもBマイナス。数学の時間、わたしは授業に参加するのをやめた。
黄色のレポート用紙にボールペンで日本語を書き殴った。湧いて出る気持ちを言葉に託して書いて書いて書き連ねた。言いたいことはたくさんあったがそれを伝える英語力がないのは確かだったから、周りの誰に宛てるわけでもなく、文句からなにからすべてを叩きつけるように一心不乱に書き続けた。
先生は初めの頃は「気味悪い字を書いてないで問題を解け」と言ってきたが、わたしが無視していたらそのうち構ってこなくなった。
学期末のテストの日、わたしが今日ばかりは仕方ないから回答しようと着席すると、先生はドタドタと歩いてくるなり青い瞳でわたしを見据えて、「服を全部脱げ」と言った。
わたしは耳と自分の語彙力を疑った。クラスを見渡すと、みんな下を向いてクスクス笑っていた。先生は続けた。「日本人は真剣勝負の時に変なパンツ一丁になるじゃないか。相撲レスラー知ってるだろ?お前も日本人ならああやって真剣さを演出していいんだ、誰も止めやしないから」――。
”どのくらいの屈辱を我慢したら、誰かに、立派な日本人だって褒めてもらえるんだろう。何度この悔しい時間を繰り返したら、こんな馬鹿な人たちからジャップと侮辱されなくなるんだろう。わたしがあと何を耐えれば、教室という名のこの世界は、平和で理解に満ちたものになるんだろう”
そう考えたわたしは年相応に幼かった。どんなに正しく暮らしても、人生に闖入する敵がゼロになることはなく、差別は消えず、啀み合いはなくならず、"この数学の教師"がいなくなることはない。それに差別に抗っても、別に光栄な式典に招かれるようなことにはならない。差別は社会に織り込み済みだから。
淡々と目の前の災厄をやり過ごしては生き延び、手の届く範囲の人々と手を取り合って愛して暮らす。子どもにできるのはせいぜいそれくらいなものなのに、わたしは服を脱げと言われて、己の力不足を恥じた。わたしは彼の暴言を止めることもできず、そして彼は後に続く日本人を痛めつけ続けるに違いない。
脱いだら脱いだで「英語を聞き間違えたんだろう」と言われるのは目に見えていた。脱がなければ脱がないで「反抗的な態度だ」とさらに場を巻き込むだろうことは容易に想像がついた。わたしは本当に窮してしまって、ボールペンを掴んで自分の手の甲に突き立てた。
(ほかにいくらでもやりようがあったろうに、その瞬間のわたしは本当にそのようにしかできなかった。そして余談だが、自傷したのは後にも先にもその一度だけで、それゆえ「人が自傷や自爆する時はキャパを超えた困り方をしている」という想像を働かせられるようになったのが思わぬ副産物だった)
もともと非力なのでボールペンにもそんなに威力はなく、血とかそういうものも大して出なかったが、先生は「これだから日本人は!俺は悪くない!」と叫んだ。その瞬間わたしの近くにいた親日派の男子が立ち上がって「先生が悪い!先生が悪い!」とコールをし始め、その日初めて先生が悪いことになった。
数学の先生は辞めなかったし代わらなかったし、謝りもしなかった。次の授業から生徒いじりは控えめになったが、相変わらず廊下でわたしとすれ違うと「大豆くさいぞ」などとつぶやいていた。結局わたしにはなにも変えられないし、ボールペン一本じゃ世界は変えられないと思って迎えた学校最後の日。
数学の先生が評価表コメントより長い手紙を渡して来た。
自分の親戚が真珠湾で日本人に殺されたこと、日本人は野蛮なこと、神風特攻隊なんてものを思いつく日本人は世界のためには生きてちゃいけないと思うこと、それでも生徒として預かったからには教育して鍛え直して正しい方に導いてやりたいこと、使命感はあるのにうまくいかないこと、どうかわかってほしいこと、俺は君を嫌いなわけでも恨んでいるわけでもないんだ、ただ日本人というものが邪悪な存在だということに君も気づいてくれたら、きっと世の中はもっと良くなる、人生を正しく送ってほしい、先生たちは正しい人の味方だからね――。
あの手紙は独善的で断定的で気色悪くてすぐに生ゴミを砕く装置に突っ込んでしまったが、彼のように未熟な《正しい思想》を掲げる人による攻撃は今日もどこかで炸裂していて、その事実はわたしを奮い立たせると同時に、半径50cmのスペースにわたしを敢えて踏み止ませる。
生命が遺伝子の乗り物に過ぎないように、人間は思想の体現者に過ぎないとも言える。正しき迫害の体現者となるのか、差別に抗う戦士となるのか、わたしたちは誰でも選ぶことができ、選択は委ねられている。傍観者を選ぶことだってできる。差別に気づくことを拒み、なにも変えたくないならば。
わたしたちはいつだって自由で、世界をまるごといっぺんに変えることはできなくても、自分の在りようを決める力は持っている。だからわたしは思い続けるだろう、"孤独に歩め。悪をなさず、求めるところは少なく。林の中の象のように”。そして静かに抗うだろう、ヘイトと差別と侵害に。
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