ひとつ、年を重ねることの意味
8月24日、ひとつ、また年を重ねました。
中年になると生誕日は、未成年の時とは迎える心境・感覚は異なり、言葉にできぬものがあります。
生きていることは当たり前なようで、当たり前ではないのです。
生きていること、なんとか日々の生活を営む事ができていることに感謝しかありません。しかしながら、人は贅沢な生き物であり、健康は人生の標準装備だと思っている人が数多くいます。同級生でも、20歳の成人式を迎えることもできずに交通事故で命を失った友もいます。時々、この友を思い出すのです。この友を思い出すたびに、なんとか愚痴りながらも日々を生きていことの有り難みを噛み締めます。
とはいえ、平凡でありながら、この狭い生きる世界には、いろんなことが起こります。腹立つこと、納得いかぬことも数えきれぬほどあるのです。しかしながら、この中でも世をうまく渡る人はいます。曖昧な中を曖昧に生きること、納得いかぬことも受け入れ、自分の意なく生きる事が世渡り上手であることを学んだ日でもあります。良くも悪くも、周りに流されることもなく、自分の意のままに生きる、信念を持って生きることには妥協しません。この1年は、自分の生きる世界を決める年でありたいと思っています。決断の年でもあります。
自分に期待しながら、楽しみながらこの1年を生きたいと思っています。
来年の今日、どういう自分と向き合う事ができるのでしょうか?