見出し画像

行動・心理症状(BPSD)

 認知症看護認定看護師の実践活動として、グループホームを訪問した。
 レクリエーションやティータイムなど病院では実践できない関わりを目にする。病院勤務の私にとって、新鮮な光景。
  よくよく観察すると混乱し、スタッフに繰り返し訴えている人、入浴を勧められ断り続けている人、表情が硬く黙り込んでいる人、眠り続けている人、他者と談話を楽しんでいる人、居室でひとりで過ごしている人と過ごし方は様々である。

行動・心理症状(BPSD)

 認知症看護認定看護師教育過程の実習中に、BPSDとは・・と深く向き合った。今まで出会った患者さんの状況を振り返ったり、自分の看護についても考え直した。

IPA(国際老年精神医学会)の「BPSD」に示されている
・疾病過程の一部としてBPSDは避けられないものであり、患者やその家族、介護者、そして社会全体にとって深刻な問題をもたらす
・BPSDは治療可能であり、一般的に認知症に他の症状や症候群に比べると治療によく反応する
・比較的軽度のBPSDに対処するにあたっては第一選択薬となるのは非薬物療法介入である
・BPSDの治療こそ、認知症患者の苦痛を和らげ、家族の負担を減らし、社会的費用を抑える可能性を最も高くする
・BPSDには多数の病因がある
・問題行動を起こす背景を理解せずにBPSDを考えると、認知症の人の全人的に見るのではなく症状の集積としてみることになりかねない
・介護者の苦痛や不満、患者との不良な人間関係は、BPSDを憎悪させることがある

 日中に穏やかに過ごしていても、夕方以降から認知症症状の悪化がみられることが多いかもしれない。
  認知症の程度が中等度以上になると、行動・心理症状がピークを迎えるといわれている。臨床の場では対応に苦慮することが多いかもしれない。
 また在宅で過ごす認知症の人の家族も、苦労も計り知れない。誰にも言えずに、介護に苦しんでいる人もいるかもしれない。聞いて欲しいと思っている人もいるかもしれない。
 在宅で過ごす認知症の人、家族に対しての関わり方法も大切であると思われる。しかし、このような人がどこにいるのか・・を把握するネットワークが私にはない。自分の所属する施設以外の人たちと連携していく必要性を最近、感じている。

認知症の人だけの問題なのか?

しかしながら、この行動心理症状は認知症の人の問題だけではないことを、現場で働くスタッフに気づいて欲しいと心から思う。
 認知症の人は環境適応が難しい、理解力や注意力、判断力がどうしても低下している。この状況の中で、患者全てに同じ対応では、うまくはいかないのは当然だろうと思う。

高山成子氏は、「認知症の人の表面的な行動だけを捉えて、BPSDという烙印を押していないか、BPSDとみなす前にその行動の背景にある環境について、認知症の人の視点から捉え直し、整えていくことが必要である。」と示している。

 表面的な行動として例えば、臨床の場では排泄ケアを断り続けると拒否、暴力、不穏というキーワードが続出する。
 そうなると、ケア提供者は強い力で認知症の人をねじ伏せ、オムツ交換を実践する現状がある。また業務を遂行しようとする思いが強く、認知症の人の想いは置き去りになってしまう。
 認知症の人に適した関わり・環境の調整をせずに、ケア提供者本位のケアを継続していくとどうなるだろうか?
 認知症の症状が悪化し、行動・心理症状へ進展してしまう可能性が高くなる。

「拒否」

認知症看護を学ぶ途中、ある教授の授業が印象に残っている。例えば、友にランチを誘われたとする。しかし、体調がおもわしくなく、断らざるを得ず、ランチを断る。この時に、友はランチを拒否されたと認識するだろうか?というのだ。
 しかしながら、認知症の人が看護師の声かけやケアを断ると「拒否」と捉えるのは何故なのか?と疑問を投げかけられた。

 臨床の場では、上記のようなオムツ交換、入浴など身体ケア時、患者さんが断ると理由を記載することなく、「拒否」という言葉をよく使う。
 入浴する気分でなかったのかもしれない、加齢に伴う身体的変化による倦怠感があったのかもしれない、声かけや誘導が不適切で気分を害したのかもしれない。
 しかしながら、全てを「拒否」という言葉が専門用語かのように使ってしまう現状がある。
 認知症看護の学びを通して、言葉の使い方の大切さを学んだ。拒否、不穏、興奮、暴力、徘徊などの言葉は記録しないようにしている。観察した行動をそのまま記録していくこと、この行動の背景を思考し、ケアを工夫をしていくことが大切であると考えている。  

行動・心理症状(BPSD)への看護

高山成子氏は、「看護師は、認知症の人の認知症という疾患、中核症状をケアしているのではなく、BPSDそのものを看護しているものではない」と示している。


 BPSDが、その人の生活にどのように支障が出ているのかを把握していくことが大切であるといわれている。またどのような時に症状が強くなるのかを観察していくことで、BPSDを悪化させないようなケアへ繋がると思われる。
 煩雑な業務が多くなり、看護師が多忙で苦しい時こそ、認知症の人も私たちの同じように苦しいんだと思っている。

ケアの工夫

 ひとりひとり、生きてきた人生、生活背景、疾患、症状、生活に支障が出ていること等、十人十色である。といえことは、ケアもその人に適したような変化が求められる。
 しかし、病院だからという理由で、特に日常生活動作のケアの工夫をする視点に至らない現状がある。しかしながら、日常生活動作のケアは病院、グループホームなど施設の環境を問わず、同様であると考えている。認知症の症状を悪化させないためにも、身体的な治療と同時に必須ケアと考えている。
 申し送りの際に、昼夜逆転、行動・心理症状を呈している患者さんに対して、日中の関わり方などを付加するよう努めている。
 家に電話をして欲しい、帰りたいという人に対して、言葉による説得では難しい。逆効果になるけれども、ひたすらに言葉による説得をし続け、混乱に至ることもある。そのため、ベッドから離れられるようなケア、無理やりにベッドから離れる声かけではなく、目的を伝えながら納得してベッドから離られるような関わりが必要であると思っている。 
 申し送り時は、簡単な言葉でケアを提案していくことで、夜間の睡眠に繋がったり、機嫌よく過ごせられるのではないかと考えているが先日、その情報が不要的な言葉を返されたことがあった。

今後の課題

 BPSDが強く出現してしまうと、認知症の人を苦しめることになる。薬物療法により症状が緩和することも多い。逆に、効果が強く出てしまう現状もある。

 ひとりひとりの症例に向かいながら、丁寧に掘り下げながらアセスメントし、ケアに繋げていく過程を、見える形で伝えていけるように・・・
 精神論ではない、さまざまな知識を活用しながら、ケア実践に繋げていること、これは誰しもが思考し実践できると思っている。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?