声
私は仕事でも人に向かって話をしているので、歌同様、声を使っている。
話す速度や温度、言葉の使い方にはとても気をつけ仕事をしたり、日々の生活でも気をつけているつもりだ。
私にも苦手な声や話し方はあって、なんでも省略したり、(あざす、りょー!など)
わかりやすく言うと、チャラチャラしたような話し方や、汚い言葉遣い、大きい声などの人には怯えて離れてしまう性質がある。
歌を歌う時も、語りかけるように、話すように届けているつもりだ。
声はその人そのもの。
生きて来た今までも、性質も全て声に出るのだと思う。
人の名前を呼び始める時にも、その人の性質がもろに出ると思う。
自分がいいか悪いかは、相手がわたしをどうとるかによるので、その人の好みではあるけど、
言葉は必ず自分に返ってくる
といっていた人がいた。
怒りには怒りで返したくなるし、ネガティヴな人にはネガティヴな人が集まってくる。
言葉の棘は自分に返ってくる。
分かっていてもつい、言葉を人に刺してしまうのも人間だ。
つい、いってしまったことで、その人がずっと悲しんでいることもあるかもしれない。
本人には気づかれないまま、とても傷ついているかもしれない。
眠れない夜を過ごしているのかもしれない。
考え出すとキリがないけれど、
大切な人には絶対に、乱暴な言葉や、ひどい言葉を投げるべきではない。
そんなつもりはなかった
と言う言葉も、相手がそう受け取ったのならそうなのだ。
たくさんの言葉に後悔をしても、大人になった今もいろんな言葉を発言している。
人は突然いなくなるもの。
いつか離れていくもの。
死んでいくもの。
当たり前にあったものが、明日にはないかもしれないと、分かっていたら大切な人にはみんなはなんで声をかけるのだろう?
大嫌い!くそだ!消えろ!
なんて言うかな
いや、言わないと思う。
大喧嘩した家族にも、しばらく喧嘩したまんまになっている友達にも、そんなこと言えないはずだ。
明日死ぬかもしれない時、私はなんて言葉を使うことができるのだろう。
一体家族以外に誰に声をかけるだろう?
そんなことを考える時間があるなら、たった今からその言葉を使って、伝えるべきだ。
大好き、愛している、そばにいよう、いつも大切に思っている、がんばって!応援してる!
いつもありがとう!
そんな言葉を言うべきなのだろうな。
そしてそんな歌を私は作っていくべきだ。
思いをこうして言葉にして、歌にして自分の歌で届けていけばいいんだ。
自分のために、自分の思いを歌にして、少しずつやってみよう。
この声は私のものだ。
私が一番大切にするべきは、自分自身だ。
この声だ。
自分のことをいつも嘆いて悲しんでいる。
だけどそれさえも歌にしていくべきかもしれない。
自分のために。
自分が大きな心で人と関わっていけるように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?