息を吐くように表現をする
わたしは人生を通して「表現」をしていく人間なのだろうな、と感じている。
表現。自らの内側から溢れるものを形にすること。
わたしにとってそれは、写真を撮ったり、言葉を綴ったり、ときには絵を描いたり、歌を歌ったりということだ。
上手だからやるのではない。他人に認められたいからでもないし、もちろんお金を稼ぐためでもない。
わたしにとって表現することは、息を吸ったら吐くのと同じこと。
吸ったまま息を止めていたら苦しいように、生きる中で何かを受け取ったのなら、それを何らかの形で出さないと息が詰まってしまう。
出会った景色、人との交わり、そこで感じた嬉しかったこと、悲しかったこと、浮かぶ言葉、湧き上がる衝動。
それらを写真に残したり、絵に描いたり、文章にしたり。そうするのが当然かのように、形にして外へ出す。
表現活動は、わたしが心地よく生き続けるための手段なのだ。
だから、たとえ受け取る人が誰一人いなくても、SNSという発信の場がなくても、わたしは表現をし続けるだろう。
吸ったら吐くを繰り返す。その繰り返しの過程で、吐き出したものがどうなったかをじっと目で追ったりはしない。
わたしの撮った写真がどう評価されるかとか、わたしの言葉を読んだ人になんと思われるかとか、お金になるかとか、そういうことを必要以上に気にしない。気にし始めたら、それは純粋な呼吸ではなくなってしまうような気がする。
何も考えず目を閉じたまま、はなうたを歌うように自分を放っていきたい。人を傷つけるようなことでなければ、多少無責任だっていいと思う。
一つだけ希望があるならば、その先でもし、わたしの放ったものに触れて、ぬくもりを感じてくれる人がいたなら、癒されてくれる人がいたなら。もうちょっと欲を言えば、少し生き疲れを感じている人が「生きるっていいな」と感じてくれたなら。
そんな奇跡がもし起こったら、すごくすごくラッキーだし、嬉しい。
だからその小さな奇跡のためにも、これからも自分を放ち続けていく。
いつかは、自分の歌を作って自分の声で歌ってみたい。
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