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喪中じゃねえ❣️

今年の1月に母が亡くなっており

「喪中はがき」は早めに出さないと、と言われ
慌てて昨日、印刷用の「喪中はがき」を買ってきて
午前中のうちに印刷しよう、と思ったんです

が、

何で喪中なんだ????

というそもそもな素朴な疑問が湧き

いや、そりゃさ、母ちゃんは死んだよ。確かに。
だから「おめでとう」とか言っちゃいかんってことで年賀状をお断りする意味で喪中はがきを出すんだよね。
でも、人が死んで、おめでとうって何で言っちゃいけないんだろ。
年が明けてお互い元気で、めでたいじゃないか。

私は普段はお世話になった同級生や同僚や先生、先輩、上司などにまめに連絡はしないけど、年に一度の年賀状交換で「あ、お元気なんだ、良かったな」と思い出すわけで、年賀状も好き好きだけど、私は逆に過去を振り返り感謝できるありがたい習慣。
喪中はがきを出すとみなさんからの年賀状も受け取れないしなあ・・・・。

そんで、やめた。喪中はがき。

両親を失ってわかったことは

父親も母親も私の中にしっかり生きている。
生きているうちはわからなかった父親と母親の価値が死に様を通してより鮮明になり、私の中に刻印された。
彼らの素晴らしい希望や生き方や考え方が、私の中にあって、
それらを私の人生の中で体現していくことこそが、私の供養だ、と思う。
命は継がれる、というけど、直接的な血ではなく、その生命のエッセンスが継がれていくということだと思う。
だから子供がいなくても、命はどこかで誰かに継がれていくのだ。
誰もがこの地を去るのだから、死んでいくことが重く悲しいことではなく単なる旅立ちなのだ、と思える。

改めて喪に服さなくても
私は彼らの愛を生きるだけでいいのだ、と思っている。

ああ、喪中やめた❣️
神妙な顔で落ち込んでなきゃいかんなんていう感覚はさ。

母のこと、「通販マニアで無駄遣いの女王」って思ってたけど
母の形見、通販で買った有能なフライパンを使うたびに「これ、良い商品だわあ、お母さん、いつも非難して悪かったわ、今、役に立ってるよ、ありがとうね」と思い出す。

それで、ええんだわ。

そんでアレコレ考えて

年賀状をいただいた方に寒中お見舞いを出す方向で決まりました😊

イエーイ!
ちょっとの違和感、流されずに捉えられるようになってきた自分を褒める!


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