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本物と偽物のあいだ

ヨーガ行者にとって
然るべき「師」を探す、と言うのは大変重要なことです。

どんな世界にもすでに自分の理想世界を体現している「師」の存在は重要です。
メンターとも言われていますが、導き手なしに悟ることは難しいとされています。
ヨーガに限らず、精神世界において、様々な師について、多岐に渡って学んできたワタクシには語ったらキリがなく色んな体験談がございます!!!

「本物と偽物」がいる。
当初はそのような前提でした。
信頼した師匠がその信頼に値しなかった、と失望し、離れたこともしばしばでした。
びっくりするような体験もしてまいりました。

けれど、最近は、「本物も偽物もねえんだなあ」って感覚です。
師匠と言えども、人間という器に生まれてくるので、そのカルマなどもあり、陰陽が必ず存在する。
いわゆる、一流、本物、プロ、と思う方々は、統合度が高い、というだけであって、陰が全く存在しない、わけではない。
また、ここの能力はズバ抜けているけれど、あっちはイマイチ。
なんてこともある。
全員が「統合」に向かって歩いている渦中なのですから当然です。

「統合度」と共に「体現度」もあります。
儲かります講座をやっている方が儲かってない?
パートナーシップ発信してる方が上手く行ってない?
ダイエット講座の方が太ってる?
やって悪いことはないでしょうが、体現度が高いことが悪く働くことはないでしょう。
逆に体現していても教えるのが下手、ってタイプもいますね。

あとはですね、
「趣味」の問題です。
レースのお洋服が好きな人がいれば、麻のナチュラル系が好きな人もいるし。
「好み」「個人的嗜好」
ですから、あの師匠が私には合わないから必ずしも偽物、ってこともないと思います。
この個人的趣味の結論を他の方に押し付けるのは、「あくまで個人の感想です」と付けないとまずいです。
本物、偽物、関係なく、個性の違いから「この方に導いてもらう」ことが必要、ってこともあります。

それからもう一つ
その師匠の信者である、と言うことはある時期必要なことがあります。
けれど、いつまでも「信者」ではダメです。

守破離
って言葉がそれを指します。

時代とともに、師匠という観念も変わって来ていますね。
頂点に立って指示や命令、と言うよりは、みんなとともに歩く。
これが新しいリーダーシップや師匠って感じでしょうか。

誰もが、どんな導き手であろうと、どんな方の信者であろうと、
マジ、自由だと思います。
みなさんから、「こんなYouTube見てる」って話を聞いて私も見てみますが、ピンと来ない方は実にピンと来ない。
それでオッケーなんですよ。

ワタクシの面白いメンター体験談もまたお話したいですね。

SNSの世界は、意識が反映されているので、何かを叫んだ途端、足元を見られてしまうこともある。
逆も然り。
叫んだ途端、信頼と愛情が集まってくるようなこともあるでしょう。
ある意味、理解が進みますね。

写真は「行貝チヱ」さんに撮ってもらったもの。
確か、『鏡』と言うテーマだったかな。
また撮っていただきたいわあ。

この世界は鏡です。

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