声から繋ぐ次元
昨年から声楽にいそしむようになり
昨日よりチバハウスで初、堀江秀一先生をお呼びしてのレッスンでした。
10名近い方たちが山の家を順番に訪れて声を響かせてくれた。
それは側にいる私にとっても癒しのひととき。
色んな宝石が輝くことを楽しむかのような贅沢。
声=自分そのもの
と向き合う時間
あらゆるものが露呈する
昨日は珍しく歌った後から「胸」がざわついて
かといって原因も分からずもやもやしていました。
可愛い孫たちが遊びにきているのに抱いているとイライラしたような不穏な気持ちに襲われて
美味しい料理を作ろうとするのに気持ちがどんどん暗く沈んでいく
これは一体どうしたのだろうと
疲れているのか、と一人で二階で横になってみる
下から美しい歌声が響き、涙がこぼれる
私って本当は子供が嫌いなんだ!料理も家事も本当は好きじゃないんだ!
どうしてこんなことをやっているんだろう?
自らやっていることなのに感情が反対方向に揺れ始めている
それがボヤッとではなくかなりクリアに私を直撃した
そして今朝・・・・目覚めると
みなさんがあるがままに歌った空間はもはや聖地のように非常に気持ちが良いのですが、そのせいもあるのでしょうか
ぱああっと
昨日の感情が何であったか一瞬で降りてきました。
それはすっかり忘れた頃のこと、しばらく泣きました。
私が若くして幼い4人娘を育てていた頃
その時のこと
立ち止まったら倒れるので、最後まで座らないように
ただ、ただ、頑張らないといけないと思っていた
具合が悪くても休むことはいけない
心が幼い自分は、毎日が過ぎることだけに必死だった
子育てや家事がこなせてできて当たり前、それは自分の役目
辛いとか嫌だとか疲れたとか、そんなことは思っても言ってもいけない
休日に他の家族が揃ってレジャーに出かけて子供たちだけと過ごす時に泣く子供を抱えて心細く
ああ、私は孤独なのだと。
家族がいても私の理解者は誰もいない、価値観が違う中に一人
地球上に私の仲間は誰もいない、と思った
自分らしさなど、とっくに忘れていた
行き詰まった私は夜、チェーンの飲食店の掃除のバイトに出る
家族に許しを乞い、子供たちを寝かしつけてから家を出て、2時間のホールワークと2時間黙々とお掃除をする
その時間だけが自分に戻れるような気がした
そして家に帰る途中に丘に登って街明かりを見下ろしてため息をつく
また、あの世界に帰るのか
まるで奴隷のよう
私の居場所はない場所に
今思うと自分が勝手に作り上げた牢獄に自分を閉じ込めた
脱出の方法はいくらでもあったのに
幼子を抱きしめると
その頃の自分の孤独や悲しみが沸き起こっていた
わがままいっぱい迷惑も気にせずに泣けることが羨ましかった
可愛い子供を愛せないようで自分を責めてさらに悲しくなった
台所にいると自分がただの使用人でしかないと感じた感覚が蘇っていた
もう、あなたは自由がままに笑顔で人を愛することができるよ
心尽くして楽しみながらお料理ができるよ
そこに至るメッセージ
声を出す時
細胞レベルの詰まりがあると表出を制限する
それが響きによって解かれようとする
今回もレッスンの途中で涙される方たちがいて
堀江先生によりますと
涙は細胞の浮腫や詰まりを解消するような働き
泣くこともいつかは飽きますと・・・・
秀逸なご指導で知る声のはたらき
歌うことでほどくもの
人という存在の変化と可能性
ますます興味深いです。
この写真は行貝チヱさんが舐太郎さんを撮ったもの!
滝での撮影、解放の一歩でしたね☺️
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