GSS

御殿下サッカースクール(通称GSS)の学生コーチリーダーを務める吉田と申します。

御殿下サッカースクールの価値提供


御殿下サッカースクールは、毎週日曜日の朝、東京大学の御殿下グラウンドで開催されている。会員数は120名ほど、3歳からその保護者さんなど大人(何歳でも)まで老若男女の方に気軽に参加いただいている。

そしてこのスクールは、東大ア式が、文京区やその周辺の地域の方々とサッカーを通した交流・地域貢献活動の一環として活動しており、東大ア式の男子部・女子部員がコーチを務め、全ての運営を行う。

ミッションステートメントとして、「楽しみ、成長し、交流する。」を掲げる御殿下サッカースクール。

会員の方にとってGSSの魅力とは・・・

「子どもたちが思い切り駆け回り、ボールを追いかけることのできる御殿下グラウンドは、文京区内ではとても貴重な空間です。」

「東京大学サッカー部らしい地域貢献ですが、子供たちからの視点では単なるお兄さんお姉さんで、活動内容は良い意味でとても東京大学らしくない雰囲気です。見ていて楽しく微笑ましくなります。
幼稚園の頃から子供がお世話になりました。プロや社会人で続けるほどサッカーは上手くないですが、東京大学の学生さんたちの紳士的な優しい振る舞いを見て、人間力が成長したと思います。」

「〇〇が1年生のときからお世話になっていて、周りの大人より歳の近いコーチのみなさんと関われることが本当に楽しい時間になっているようです。御殿下サッカースクールはクラブチームではない、緩い感じでサッカーが楽しめる素敵な場所だと思います。」

一方で、どのようにしてこのような価値提供を行えているのか、コーチ陣は何を考え、どのように行動しているのか、運営での裏側を聞いた。

おがコーチ(小学校低学年クラス担当)

○導入


大学4年間のおよそ8割の時間を、私はサッカー部の活動に注ぎ込んだ。
それは選手としての時間が圧倒的に多く濃かったが、それに引けを取らず濃い時間を御殿下サッカースクール(通称GSS)のコーチとして過ごせたと私は思う。

○きっかけ


今から遡ること3年前、大学1年の7月に私はGSSのレギュラーコーチとしての活動を始めた。
始めたきっかけは単純に子供がとてつもなく可愛かったからだ。幼稚園生は体の半分がボールで隠れてしまうほど小さかったのが、言葉にできないくらい可愛かったことが非常に印象的だった。
レギュラーコーチとして就任して早々、担当クラスが割り振られ、私は小学校低学年クラスを担当することになった。

○小学校低学年クラスでの経験


小学校低学年クラス。ここはGSSで最も凶暴で元気な子供たちがいるクラス。
担当になって早々、「おい、新入り」とハリウッド映画でしか聞いたことがないセリフを浴びせてきた彼らは、容易に言うことを聞いてくれることはなかった。
元気いっぱいでまだ体も小さくかわいい彼らのことは大好きだったが、唯一言うことを聞いてくれないことだけが歯痒かった。
試合ではルールを無視する子がいることで喧嘩が起き、言うことを聞かない子供たちを世話することで精一杯だった。
そんなことが続いたことから、次第に自分の中で誤ったコーチ像が形成されていってしまった。
それは、コーチは子供たちに言うことを聞かせ、安全かつスムーズにスクールを進行させなければいけない、というものだった。
この文章を書きながら、客観的にこの言葉だけ見るとやはり違和感が大きい。みなさんもそのように感じると思う。
しかし、元気いっぱいな子供たちが暴れ回るあの空間にいると、この違和感は消えてしまう。なんとかスクールを円滑に進行しなければいけない。そのためには、この子たちに言うことを聞かせないと。
そんな風に余裕がどんどんなくなっていく。
しまいには、好奇心旺盛で何かと反抗したがるわんぱくな少年少女らは、コーチたちが言うことを聞かせようとすればするほど言うことを聞かない。
カオスに拍車がかかる。
そしてもっとちゃんと言うことを聞かせないといけないという負のスパイラルに陥っていく。
そんなこんなで最初の2年間は「みんなに言うことをちゃんと聞かせられるコーチ」というものを僕は目指していた。いや目指してしまっていた。

○目指すコーチ像の変化

しかしコーチになって2年くらい経った頃に、この誤った考えを自分が持ってしまっていることに次第に気付かされていった。
冬に片足突っ込んだ11月末の駕籠町小学校でのスクールだったと思う。
あるわんぱくな少年H君はいつも「俺が王様だ」と言わんばかりに下手な仲間をなじり、誰にもパスをせず、自分1人でプレーしていた。
今日もいつも通りそんなプレーをして、そしてそれをまた注意しなければいけないのかと思っていたが僕は目を疑った。
その日行った10vs10くらいのゲームでなんと彼は味方にパスしたのだ。
「パスしたごときでなんの」と思う人が大半だと思う。だが僕は衝撃を受けた。
彼がパスするなんて。。。
ましてや、いつも一番強くなじっていた友達にパスを出すなんて。
その日の彼はいつも通りドリブルはするものの、明らかに味方にパスを出す回数がいつもより多かった。

その衝撃が強すぎてスクールが終わった後に僕は彼になぜ今日はパスを出したのか聞いてしまった。
彼はキョトンとした顔をしていたが、ぼそっと「だってみんなでサッカーした方が楽しいって言われたから。」と言っていた。

誰に言われたのかはわからないが、そんな一言が彼を変えたのだ。
その後のスクールではドリブラーからパサーに転向し、小学生クラスでセルジオ・ブスケツばりに試合のタクトを振っていた。
そして何よりも変わったのは笑顔の数だ。本当に楽しそうにサッカーをするようになった。

この経験から僕は、コーチの言うことを子供たちは聞きたくないのではなく、自分の中でいろいろに解釈しようと試みているのだと考えるようになった。
コーチたちへの反抗は、子供たちが自分達の判断や行動を決める過程で、僕らの反応を見るためにしていることなのかもしれないと。
この考えの変化は自分の子供の見方を大きく変えた。

彼らの行動には意味があり、僕らの言動は彼らに大きな影響がある。そう思うようになった。

そうであるならば、今の自分のコーチスタイルはこのままでいいのか?
いや、自分のコーチスタイルも変えなければいけないと考えた。

今までは時間通りにメニューをこなし、それらをこなそうとしない子供は頑張ってでもこなさせようとしていた。
だけどこれは子供に対して良い意味を持つのだろうか?いやきっと持たない。

コーチの言うメニューを上手くこなせた人が褒められて、やりたくないという自分の思いを尊重してメニューをこなそうとしない子供が指摘されるスクール。
もちろんプロを目指す子供を育てるサッカークラブならば以前のコーチ像が正しいと思う。しかしここは御殿下サッカースクールなのだ。みんながサッカーを通じて交流し、楽しみ、成長する空間なのだ。そんな空間で、上のようなスクールをやっても意味がない。
そんな気がしてきた。

本当にみんなが楽しめるスクールを作りたい。そう思った時、本当に楽しめることとは、自分の意志で行動を選択できる自由があると言うことなのではないかと感じた。

コーチから言われたことを守るのはもちろん大事だ。だけど自分達で遊び方を開拓して、自分達のやり方でサッカーをする。サッカーをしなくてもいい。
自分の意志でやりたいことをとことんやる。これが「楽しむ」ことなんじゃないか。

○コーチたちの役割

ならば、そんな「楽しむ」ことを実現できる場所を用意するためにコーチたちがするべきことは何か?
それは子供たちが楽しめるように「サポート」することだ。
例えば、子供たちが他の人の迷惑となる行動をとった時(暴力を振るうとかゴールを倒してしまうとか)、その時はコーチたちが止めなければいけない。
でも、子供たちがサッカーをしたくないと言った時、コーチたちは無理やり止めてはいけないのではないかと思う。
もちろん子供たちの話を聞いた上でのことだが。彼らがやりたくないと言うのは彼らなりの理由があるからだ。
その理由がコーチたちで解決できるならばコーチたちは動くが、本当に解決できないのならばコーチたちがやるべきことは、サッカー「も」楽しいという選択肢を子供達に示すことまでだと思う。

○実際に感じた変化

このようなコーチ像を目指してから些細で主観的だが、色々な変化が起きた。
例えば、自分達で試合を仕切ろうとする子供らが増えた。
さらには自分の得意なプレーを見つけて、そのプレーに磨きをかけている子供も出てきた。
はたまた、「自主練してきた」と報告してくれる子供も出てきた。
みんながそれぞれの意思をもって楽しもうとする姿勢が以前よりも増えたと感じる。

○まとめ


自分のコーチとしての立ち振る舞いはまだまだだと感じることも多い。でも、今の自分の考え方は間違っていないと思う。子供たちがいつか自分の過去を振り返った時に、GSSに入っててよかったなって思ってくれる日が来ることを願ってまた今後もコーチとしてがんばっていこうと思う。

幼稚園クラス 楽しいメニュー

おわりに


我々ア式部員は、広々としたグラウンドでスクールの価値を提供できるよう、毎週ミーティングを行うなど最適な企画と運営を追及している。

弊部部員はこれからも御殿下サッカースクールを通してサッカーの楽しさをより多くの人が享受できるよう活動していく。

御殿下サッカースクールHP:https://todai-soccer.com/gss-2/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?