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道具的存在なソフトウェアのデザイン

本日3月22日(日)のDesign Scrambleに登壇予定だったものの、コロナウイルスの影響で中止となってしまいました...😢開催できなかったことは大変残念ですが、個人的にデザイナーとして働き始めてちょうど1年経過し、学んだことを整理したかったため、当日話そうと思っていた内容をnoteにまとめてみました。よければ読んでみてください。(※こちらの記事は僕個人の見解となります)

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株式会社ゆめみでインタラクションデザイナーとして働いている村上雄太郎と申します。大学まで沖縄で育ち、新卒でミャンマーという国で現地人向けのサービスを展開している事業会社にマネージャーとして入社しました。約2年働いたのち今の会社で働いています。今回は僕がデザイナーとして働き始めて、個人的に学んだことを共有できたらなと思います。
いきなり余談ですが、Design ScrambleのHPにも使っていただいているこのプロフィール写真、個人的には気に入っているのですが他の登壇者の写真と比べるとダサいと社内で笑われました。笑
確かにHP内で他の登壇者の方と比べるとかなりういている(気がする)ので気になるかたはみて見てください。笑
(HPがかっこいいのでより写真が目立つ笑)


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さて、話が少し逸れてしまいましたが、僕自身はデザインのバックグラウンドが全くない状態で新卒で事業会社にマネージャーとして入社し、その後受託制作会社である今の会社にデザイナーとして入社しました。

事業会社と受託制作会社の違いとして、前者と比べて後者は様々な業種・業態のサービスに短期間でコミットする機会が多い、ことがあると思います。なので、僕自身も前職で働いていた時よりも、短期間で様々なソフトウェアに触れる機会が多くなりました。

そんな日々働いている中で、様々なソフトウェアに触れていると、いわゆる「使いやすいソフトウェア」と「使いにくいソフトウェア」の違いはなんだろうと考える機会が多くなりました。


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そんなことをつらつらと考えながら、日々の仕事に取り組み、本や記事等を読んでいるなかで、まずとても参考になったのは、ソフトウェアというものは何かを達成するための道具という考え方でした。
ユーザーがソフトウェアを使用する際には何か目的があり、例えば「ソフトウェアで勤怠管理をしたい」「ソフトウェアで旅行のチケットを手配したい」など様々あると思いますが、それは物理的な道具である「ハンマーで釘をうちたい」といったような目的と変わらないのではと思ったことがきっかけです。

当たり前すぎることをいっているようで恥ずかしいのですが、1年前の僕にはこの視点がありませんでした。ソフトウェアは実体がないこともあり、特別な何かをつくっているという錯覚を起こしていたのかもしれません。笑


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先ほども述べたように、「ソフトウェア=道具」と捉えたときに、それはいわゆるハンマーなどの物理的な道具と概念的には同じということになります。道具というものを考える上では、よく引用されているハイデガーの道具分析がとても参考になりました。
ハイデガー は道具分析の中で「道具的存在」「事物的存在」という説明をしています。道具的存在とは例えばシャープペンシルを使っている時に、自分が意図した通りにそのシャープペンシルを使うことができていれば、シャープペンシルのペン先までがあたかも自分の身体の一部となったかのように身体が拡張した感覚を得ることができる状態のことを指します。一方、事物的存在とは、例えばシャープペンシルの芯が何度も折れてしまい、自分が意図した通りにそのシャープペンシルを使えていないと、「シャープペンシル」自体の存在があらわとなり、シャープペンシル自体に意識が向くことになるといった状態のことを指します。

ソフトウェアという道具を設計している人間としては、ハイデガー が言う「道具的存在」となるようにソフトウェアをデザインできれば、最初に述べた「使いやすいソフトウェア」を実現できるのでは、と考えるようになりました。


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ではこのシャープペンシルの例で出たいわゆる「道具的存在」を、実体のないソフトウェアで実現するにはどうしたらいいのでしょうか。


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その解決の手がかりの一つとして、渡邊恵太さんが自身の著書「融けるデザイン」の中で取り上げている、マルチダミーカーソル実験という実験とその結果がヒントになるのではないかと考えています。
マルチダミーカーソル実験とは、簡単に説明すると、自分が操作しているカーソルに加えて、見た目が全く同じカーソルを同じ画面に複数配置し、その中から自分のカーソルを発見できるかどうか調べるものです。


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この実験からは、以下のような結果が述べられています。

リアルカーソル発見の後は、もはや自分しか見えてこないくらい鮮明に、「自分が」操作している感覚が発生します。操作や制御ができているという状態は、「私が」「自分が」という「自己感」の発生がまず重要であることが見えてくる。
マウスとカーソルの動きが連動し、カーソルまでが自己の一部となることで、人はカーソルを意識しなくなり、対象の方を意識する、つまりカーソルは透明化する。
(中略)
カーソルの登場は「直接操作」を実現し、自己が画面の中にまで入り込んで情報に直接触れているかのような感覚へと辿り着く。
重要なことは、GUI以外のインタラクションにおいても操作的なものがある限り、「カーソル的役割」をしているものがあるということだ。
(中略)
iPhoneでパソコンのカーソル並に身体の動きに連動している部分は「画面全体」である。ホーム画面は指に追従し、アプリケーションリストが左右に移動する。カーソルはないが、カーソルと同じレベルでiPhoneの画面は非常になめらかに連動している。


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引用が多くなってしまいましたが、つまり「動きの連動」によってもたらされた自己感、自己帰属(私が操作しているという感覚)の結果、カーソルは拡張された自分の身体の一部となり、いわゆる道具的存在となります。道具的存在となると、シャープペンシルの例でみたように、自分が行っている行為や対象に集中することができるというわけです。またカーソルのないiPhoneでも同じように、画面全体がカーソル的な役割を果たすことで、まるで自分の身体の一部になったかのような状態をつくり出すことができるのです。


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カーソルやiPhoneの画面全体が、直接操作によって、自己が画面の中にまで入り込んで情報に直接触れているかのような感覚を実現していることがわかりました。ではこの直接操作できる対象である「ソフトウェア」の具体的に何を我々は直接的に操作しているのでしょうか?またそれをふまえた上でどのようにソフトウェアを設計すればよいのでしょうか?


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僕の結論から申し上げますと、ユーザーが直接操作していると感じるのは、そのソフトウェア上に存在するユーザーの概念(オブジェクト)であり、それらを設計するには現在のソフトウェアの主要な表示形態となっているGUI、その基本的な設計手法であるOOUIによって実現できると考えています。


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OOUIについては上野学さんの「OOUIの目当て」や「OOUI - オブジェクトベースのUIモデリング」等の記事を参考にしており、概要の一部を以下に引用しています。

オブジェクティブなデザインとは、ユーザーが対象へ直接的にアプローチできるようにするものです。ユーザーが自分なりの方法で目的に向かっていけること。行動の可能性を解放し、その道具を使うことで仕事や遊びに対する自身の意味空間を創造できるようにすること。
OOUIの目当て

個人的には、ユーザーがあるドメインの中で意識している対象(オブジェクト)を抽出し、ユーザーがそれらと直接インタラクトできる状態(いわゆる名詞→動詞の操作設計)という意味だと理解しています。


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これらの話をまとめますと、「カーソル(または画面全体)の動きの連動によって自分の行為や対象に集中することができ、操作の対象であるソフトウェアに存在するオブジェクトに直接インタラクトできている状態」こそが、今回のタイトルにもある「道具的存在なソフトウェア」であり、最初に述べたいわゆる「使いやすいソフトウェア」なのだと思います。



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ここまでいろいろ話してきましたが、この1年で僕にとってこの「道具的存在なソフトウェア」をデザインすることが一つの基準となり、少しづつ自分の言葉として話せるようになってきたかなと思います。

最後に少し余談となりますが、僕は意図的に自分のことを「インタラクションデザイナー」と名乗っているのですが、それには理由があります。インタラクションデザインという考え方については、Alan CooperのAbout Face 3を参考にしています。

インタラクションデザインとは、人間が直接操作するデジタル製品、環境、システム、サービスなどを設計することである。
製品とのインタラクションのメカニズムをデザインすることによって人々のエクスペリエンスに影響を与えるということになる。

インタラクションデザイン自体は今回話していることよりもう少し広い概念になると思いますが、ここまで話してきた道具的存在を設計することが含まれていると考えています。僕自身はこの営みによって人々の生活をより良くしていきたい、そういうデザイナーでありたいという想いから「インタラクションデザイナー」と名乗るようにしています。

今回の話の中でも粗い部分がたくさんあるなと言葉にしながら思いましたが、今後とも粛々と学び、手と足を動かし続けながら、いつの間にか人々の生活に融けこんでいる、そんなソフトウェアをデザインし続けたいと思います。


ありがとうございました🙇‍♀️



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