見出し画像

そこにあるヒカリは・・・

立春を迎えた。

陽のヒカリを含んだ風に乗って、”ハレルヤ”という言の葉が届く。

水星が逆行をしていることもあってか、昔の、大切な記憶の中にタイムスリップしていることが多い。原点回帰。

義務教育や学校というところで、知らず知らずに、また意識的にもだが、
たくさんの知識を植え込まれ、植え込み、外に基準を置く教の中にいた。
でも、きっと、それは、そういう世界での盛大な遊び。
私も遊んでいたんだ、その中で。

大学院の課程修了にあたっての面接で、ある先生に「あなたはいい感覚、センスを持っているけど、知識が足りない」と言われた。私は、その言葉の意味とそこの温度から、あぁ、知識を足せば、鬼に金棒なのかもしれない・・と思った。ポジティブな意味で送ってもらった言葉だと思っている。

私は、私に見えるこれがなんなのか、この感じがなんなのか、それを言葉にするために、知識の海に潜ってみる。興味がないことの知識は全く覚えられない。いつだって感覚、体感が先。まぁ、月が天秤座にある私は、知的欠損なので、知的には7さいまでくらいの力しか発揮できない、特にコミュニケーションにおいては、でってこともある、ハハっ。

20代の頃、戦場みたいな、最後の砦の野戦病院みたいなところでサバイブしていた時。敬愛する班長が、「うたが言葉にしないで誰が言葉にするの。子どもたちの、あの子の言葉にならない、それを、彼らが表現していることを、うたが代弁しないで、誰がするの」と静かに穏やかに、真っ直ぐに、私に囁いた。あの頃の私は、本当によく泣いていた。泣いていたというか、言葉にならない何かが、目から滝のように水のヒカリとなり流れていた。

知識も大事だと思う。知ることで楽になることを、私は知っているから。
でも、知識なんて何一つ及ばない、知識を超えていく時もあるのだ。

今、私は、今まで身につけた知識や概念を疑ってみている。点検している。
それ本当にそうなの?と。

今まで、何か不穏に感じるものも、横目で見ては、時には真正面から覗き込んだりしながら、不器用ながらにも何とかやり過ごしてきたけど。
もうよく見なくても、それがオバケに乗っ取られた方々の大嘘、大騙しであったことが露骨に分かる時が来たね。誤魔化しはもう本当にきかないの。

私は、お仕事でたくさんの子どもたちに会う。社会的に特別な支援が必要と言われる子どもたちだ。私は彼らのヒカリに対して、信頼しかない。本能という輝きを煌々と放っている。私が外では、子どもがいる、子どもに関わる現場でしかお仕事しないのは、私にとって、そのヒカリが灯台だから。彼らはちゃんと見抜いてくれる、自分の前に立つその人が、どんなヒカリを放っているのかを。嘘や誤魔化し、表面的で、小手先の知識やスキルなんて通用しないのだ。ただただ愛のヒカリを放ち、そこに立つ、そうでないと、交流や交信ができない、はじまらない世界なのだ。

知識を超えて、
自分の感覚で、魂の嗅覚と聴覚で、体感という命の肌感覚で感じるのだ。
私は自分の感覚や感性を何よりも信じる。信じている。
自分に見えるヒカリを、その輝きを、私は心から愛している。

たくさんの愛を込めて。#うたのおと



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?