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遠き南の地からふるさと日本を想ふ。

これを書いている今。NZはAM3:30である。
眠い。頭がぼーっとしつついつも以上に夜更かししながら
でも、この気持ちを熱いうちに残しておきたくて、そのままに書いている。

NZにきて1ヶ月ほど泊まったホステルでは、
いろんな国の人と出会い、
「日本が好きだ。」
「日本で働いて暮らしていたことがある。」
「日本語を勉強している。」
「日本語はかっこいい」
「いつか日本に行ってみたい。」…

ある日の夜、突如ホステルの共有スペースで
はじまった日本語談義。


そんなうれしい声を聞く機会が多かった。
日本語や日本文化について聞かれることも多く、やっぱり挑戦してみたいなと、8月から週に一度、日本語を教えるお仕事を始めることにした。

なんのスキルも経験もないわたしに日本語を教える機会をいただけることに感謝しつつも、
生徒それぞれ学びの目的もレベルも違う中で、
毎週毎週、授業を考えるのにはかなり苦戦、試行錯誤している。
何度も、もっといい学び方があるのではないかと
いろいろな教材や動画をみて、考えては悩みを繰り返し、しまいには日本語って何て難しいのだろう….と
母語ながら頭を抱え、いきづまり、もう嫌だ…と思うこともあるけれど、
改めて日本語の不思議さ、そしておもしろさを学びながら
生徒さんたちと学ぶ日々を楽しませてもらっている。

授業資料を事前に送るのだけど、これがいつも間に合わず
ヒーヒー言ってときに涙しながら乗り切っている。

毎回の生徒さんたちからの質問が本当におもしろくて、私自身にとっての学びに溢れている。
今まで、わたしが意識したこともなかったようなことが質問としてくるので、答えられないことも多くて、何度も持ち帰って、調べて次の授業までに用意することになっているのだが….
日本人だけど、日本のことってよくわかってないものだ。
自分にとってあたりまえになっているもの、そんなものだとなにげなくおもっているものが別の視点から見るとすごく面白く見えたり、不思議に見えたり、感動したりする。
異なるものに出会うというのは自分の当たり前に気づく、出会い直すことでもあって、それがまたおもしろい。

思えば、わたしはちいさなころから異なるものになぜかこころひかれた。
はじまりは、絵本、そして児童文学。
母が好きなのもあり、外国の絵本の原画展に連れて行ってくれた。
本が好きで、休み時間には図書室にばかり通っていた。
高学年のころにハマった「ナルニア物語」「赤毛のアン」「チャーリーとチョコレート工場」はわたしの今につながる原点ともいえる。
本に出てくる名前も聞いたことのないような料理やお菓子、服やまちの様子を文字から想像して心をときめいていた。
いつかこの本にある場所に行って、自分の目で見てみたい。
そんな思いがいつしか芽生えていた。
犬やりんご、同じものをちがった音やことばで表現できるというのも、またおもしろくて英語の授業が大好きだった。
今、思えば、他の教科よりも活動的で生きいきとした学びだったからより楽しかったのだとも思う。
そんなわたしはその後も海外への熱が冷めることなく、洋画や洋楽にハマり、憧れを募らせていった。

わたしが初めて海外に短期で留学したのは高校2年生の夏休みのこと。
訪れたのはカナダ。
(単純に大好きだった「赤毛のアン」の生まれた場所に行きたくて。結局、語学学校の選択肢の多さから都市はバンクーバーになったのだけれど…いつかプリンスエドワード島に行くのがわたしの夢のひとつである。)
あの夏、ひとりで飛行機を乗り継ぎ、カナダに行き、過ごした1ヶ月は、わたしの価値観に大きな影響を与えた時間だった。
見るもの全てが新鮮で、刺激をたくさん受けつつも、自分の無知に改めて気付かされた時間でもあった。
世界は広い。
自分の当たり前は当たり前ではないのだと。
いろんな方法、いろんなあり方があるのだと知った。
どうして日本はこうなんだろう…もっと日本の英語の授業もこうなったらいいのに。と高校生ながらに感じることもあった。
そこで、私は帰国後、教科書のものをそのまま暗記するように覚えるのではなく、英語のおもしろさ、世界の広さやおもしろさをこどもたちに伝える先生になりたいと思うようになった。
先生になる前に、いろんな世界を知りたい!と思うようになった。世界一周も考えた。いろんなところに出かけて今までの自分だったら選択しないような行動をするようになった。
実際に自分の目で見て、耳で聞いて、足を運んで感じたこと、リアルな学びを届けたい、と思うようになった。

小さな頃から日本よりも外の世界に興味関心の矢印を広げていたわたしは今、NZの地に暮らし、働いている。

お仕事で関わった高校生たち。
わたしが初めてひとり
海外に来たのも
彼らくらいの年だったなぁー。
あれから10年。
早いようでいろんな変化がわたしにもあった。
彼らは日本に戻って何を感じるのだろう。
朝からおにぎりを食べられる喜び。
17歳のわたしは日本食が好きではなかったので
全くと言っても恋しくならなかったけれど、
人の味覚って変わるものだなぁー。
ホッとする味を求めている。

あの頃は想像もしなかった今だけど、たしかにつながっているようにも感じる。
そんなわたしもここ数年は自分が生まれ育った国、日本にぐっと矢印を向けるようになった。
もともと歴史は好きだったけれど、より一層日本の伝統や歴史、文化に興味が向くようになった。
着物や茶道、華道にも興味が出てきてお稽古するようにもなった。

わたしがお稽古をするきっかけになった一冊「日日是好日」
この映画も大好きで
ことあるごとにみかえしている。
そんな一作がニュージーランドで
上映されると知り、観に行くことにした。
この日から
わたしの日本語との向き合い直しが始まった。



そうやって内側に矢印を向けていくと、改めて気づくのは日本という国が長い年月をかけて受け継ぎ、深めてきた文化と歴史の積み重ねの素晴らしさである。
本当に日本人ってすごい。おもしろいな〜〜と思う。
日本人だけど、正直なんでこうなるんだろう?と、わからないことも多い。
でも、その「わからなさ」がおもしろいというか。
学んですぐにはわからないのだけれど、じわじわとたしかに自分の中に積み重なっていき、あるとき、これまでの学びとつながることがあったり、頭というよりは心や身体で学ぶ体感的な学びがあったりするからなのか。
とにかく、このわたしが感じているおもしろさやすごさをどう表現したらよいのかわからなくて、まだ自分の中でこの感じているものを表すには語彙が足りないのだけれど….おもしろいと感じている。

ただ、そんな日本が築いてきた文化や歴史、技術が近代化や高齢化に伴い、どんどん消えて無くなっていってしまうのは、個人的にとても悲しいことだなと思っていて、ちいさいけれど自分にできる範囲で受け継げるもの、学べるものは学びたいと思っている。

今日、フラットメイトと話している中で、日本語を教えてほしいという話になった。
生徒さんたちにも聞いているのだが、どうして日本に興味があるのか、なぜ日本語を勉強したいの?と聞くと答えはさまざまでこれまたわたしには思いつかなかったような日本のおもしろさや素敵さに気づくきっかけをくれる。
まさに、私も大好きな番組の一つ「Youは何しに日本へ」のリアル版だ。
「旅行にいきたい」
「日本の友達と日本語で話したい」
「アニメが好き」
「日本語はおもしろい」「昔習っていてその授業が好きだった」
「日本の文化が好きだ」「歴史が好き」「日本は美しい」
「日本人はとても親切でやさしい」…..
ふるさと日本への想いを遠い南の地にいても聴ける。
その喜びとともになんだか少し背筋が伸びる思いも同時に感じている。
彼らと日本について話すたびに、私自身がもっと日本のことについて学び、知りたいなと思う。

お店に来てくれるのは
日本が好きだったり、
日本に行ったことがある人だったりも多い。
日本の抹茶や文化について
お客さんと話せるのもまたうれしいひととき。

今日は、フラットメイトが日本を好きになったきっかけだと話してくれた映画「ラストサムライ」を観た。

時は明治。
廃刀令が出され、日本は近代化に乗り出そうとしていた。軍隊をつくり、鉄砲を打てるように訓練する一方で、侍として最期まで闘ったひとたちがいた。
ことばも通じない異国に囚われ
理解できないことも多い主人公。
それでもここで生きる中で
日本の精神や暮らしを味わいながら学んでいく。
海外見た日本のイメージが
この映画に詰まっている感じがした。


彼はこの映画の侍の精神や行動に感動したという。
それ以来、日本の歴史や文化に興味があるということ。

最近ハマっている「家電侍」
日本は鎖国によって独自の文化をゆっくりと
醸成してきた国。
そんな国に令和の家電が登場したら?という
おもしろい設定だけど、便利になったはずの今
まだ時間に追われるわたしたちに
考えるきっかけをくれる。


アメリカ人の夫もそういえばこの日本人の心の美しさ、素晴らしさについてよく語ってくれる。
時にその質問や視点に困ってしまうこともあるけれど、それ以上に
彼らと話すたびに新しい気づきの扉が開かれる思いになる。
そうか、そんなふうに見えるんだな。
そんな視点もあるのか。と。
そして、自分が生まれ育った日本という国を誇らしく、そしてうれしく思う。

日本から9000kmちょっと離れた南の地から今日もふるさと日本のことを思い、考える。

そんな今を記録しておきたくなった。

ある日の夕焼け。

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このnoteに綴っているのは、わたしの頭の中そのものだったりもします。
それらを開くのは私にとっては、ちょっと勇気がいることだったりもして、これを書きたいんだ!と思いながらも、ドキドキしているわたしもいます。
これを読んでくださった皆さんが感じたこと、考えたことをおしゃべりしてまた自分の考えを深めていけたらなと思いながら。
今夜も、おつきあいいただきありがとうございました。
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2023.008.20.

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