私の繊細リーマン生活【適応障害2回目!】
<この記事を読んで欲しい人>
・毎日が辛い繊細リーマンさんたち
・わかるわかる!って言いたい繊細さんたち
・休職するサラリーマンの生活を覗きたい人
こんにちは。繊細リーマンゆうたろうです。
このnoteでは、私の適応障害発症時の経験談を文字にしていきます。
そもそも私は、なぜ好き好んで自分の生き恥をnoteで晒すのか。
それは、同じ気持ちや状況に陥っている誰かが私の記事に共感し、あなたの脳内にセロトニンが分泌されることを祈っているから(冗談です)。
辛いときって同じような境遇の人、エピソードを探してしまいませんか?
私は当時、そうでした。
同じく仕事が辛い・・・という人の話をずっと読み漁っていました。
その時に少なからず気持ちが落ち着き、後ろ向きメンタルを横向きくらいにはできました。
ですので、自分の経験が誰かのメンタルを、横向きくらいに出来たらいいな、と思っています(これは本気です)。
今回も1回目の休職に入るまでの記事に続き、2回目の休職~復職~退職までの体験談を晒させてください。
▽前回の記事はこちら
私の繊細リーマン生活【適応障害1回目!】
休職あけの決意 復職か転職か
適応障害1回目を発動させ、約3ヶ月の休職期間中、ずっと決断を強いられていました。
復職か、転職か。
復職の条件として、環境を変えることが必須だったため、異動先は決めていただいていました。
但し、「私の繊細リーマン生活【適応障害1回目!】」でも書きましたが、会社の価値観自体に違和感があったので、
異動してもなぁ。。。と正直憂鬱でした。
そこで、なんとか知人が勤めている会社を紹介いただけることに。
私の今の業種と同じでコンタクトセンター運営の管理者を、ちょうど探しているということでした。
それなら今までの経験を活かせるし、いいかな。という感じで転職を決意。
転職後の爽快感と落とし穴
30歳も後半のおじさんですが、運よくすぐに転職先が見つかったことで、浮かれていました。
待遇も良く、説明されたキャリアパスも魅力的で、「よし、俺ならやれる」と気分はウキウキ。
妻にも「やっと安心して貰える」と、気分が落ち着いていたのを覚えています。
但しこの時点での落とし穴。私は以下の問題を放置していました。
<この時点での反省>
・紹介してくれた知人に適応障害のことを黙っていた
・心療内科の先生に本当の悩みを相談しなかった
・何も自己分析せず、逃避によって解決しようとした
特に知人を裏切るようなことをしてしまい、大変申し訳ないことをしてしまいました。悔やんでも悔やみきれません。
この時は転職さえできれば良い、人生やりなおしたい!という考えが頭の中を完全制圧していました。
本当に反省しています。
そして適応障害ですが、そもそもこの時点で治ってなんか無いんです。
私が通っていた心療内科ではカウンセリングや投薬治療も無く、症状の説明と診断書を渡され、簡単なアドバイス程度。
適応障害は人によって向き合い方や、解決方法が異なる病気です。
誰かの適切なフォローの中、自分と向き合うことが何より大切。
私はここから徹底的に逃げていました。
そしてそれがこの後、致命的な状態に陥る原因となっていってしまいます。
期待に応えられない日々
転職先では、はじめは好調なスタートでした。
久しぶりのフルタイム勤務ですが、体調も良く、集中して仕事に取り組めていたと思います。
しかし、私が適応障害発症歴を隠していたことと、反して周りの期待は高かったことから、あっという間にどん底へ滑り落ちていきます。
<転職先で同時に任せられたこと>
・管理者が過去何人も潰れた過酷な部署を任される
・入社直後に3~4つのPJメンバーにアサインされる
・スポット受注した業務の管理を同時に任される
もともとマルチタスクは苦手なタイプ。且つ、物覚えはゆっくりなタイプ。
休職あけにやれるようなタスクではありませんでした。
すべて私の責任で起こしてしまった問題です。
とにかく歯を食いしばって、きっと俺なら大丈夫、と言い聞かせながら働きました。
家族と離れて暮らす間に精神崩壊
プライベートのほうでは、妻が出産を控えている時期。
出産予定日が近づいていたので、妻は実家に移り、安静にして貰っていました。
そうすると、私は帰宅後家にひとりきり。
普段から妻とは仕事のことを雑談として話したり、相談したりが日常だったので、私にとっての大事なカウンセラーが不在となりました。
(妊娠中の妻にそんなことまで頼るなんて、最低だなと反省しています。)
とにかく今は、絶対に絶対に転職先で頑張らなければならない。
これ以上の失敗なんて許されない。
でも明日が憂鬱だ。。
こんな思いで日々沈んだ気持ちをこらえつつ、出社中に何度も止まる足を無理やり前へ進めて職場へ向かいます。
HSPという言葉とラベリングの怖さ
そんなとき、Twitterをながめていたら「HSP」という言葉を知りました。
※HSPとは
Highly Sensitive Personの略
生まれつき感受性が強く敏感な気質もった人の総称
HSPは病気ではないものの、先天的に繊細な気質を持っているとされる人達です。
自分が該当するか?は様々なWebサイトや本で調べられたので、片っ端から自己診断しました。
そうすると、どんな診断であっても自分がHSPであるという結果になります。
この時私は「安心」しました。
<HSPと自分をラベリングしたことで得たもの>
・自分の情けなさの許容
・HSPという集団への所属感
・今の苦しみへの癒し、受容
しかし、同時に自立への勇気を放棄したようにも思えます。
HSPという言葉、所属感に依存してしまいました。
本来は自分を客観的に捉え、「では、どうするのか?」を考える手助けになるはずのものです。
私はお恥ずかしながら、ただの逃げ道として利用してしまいます。
妻の出産と同時期に症状再発、休職へ・・・
2020年の末に無事妻が出産しました!
夫の立ち合いが可能なところを探していたので、感染対策ばっちりな助産院で、出産からずっと付き添うことが出来ました。
ありがとう。
女性は奇跡をおこせる存在ですね。
私なんかでは想像も出来ない、とてつもない苦痛を経て、この世の奇跡を連れてきてくれました。
そこから出産時の休暇を職場へ貰い、1週間ほど休んで妻と子供と共に過ごします。
この時だけは、辛い仕事も先々の不安も吹き飛んで、幸せな気持ちで過ごせていました。
私は妻の実家に泊まらせてもらい、毎晩、毎朝、助産院に通い、初めてのおむつ替えやミルクをあげたり、沐浴練習をしたり。
そんな夢のような休暇も終わり、仕事を再開。
妻は引き続き実家住まいで、私一人で自宅に戻ります。
この時のなんと寂しいことか。家族と離れたくない。
そして、仕事のハードさが辛さに拍車をかけます。
毎朝、毎晩勝手に涙が流れ、出勤前には動悸がし、ずっと頭にもやがかっている感じでした。
簡単な作業にもミスを連発し、集中力が続きません。
予定を忘れたり、話しかけられても会話の内容が頭に入ってこないことも多くなってきました。
休憩中は公園に座ってぼけっとしてばかり。
こんな感じの状況が1ヶ月ほど続いていて、ある日の夜に妻とLINEのビデオ通話をしているとき。
私は情けない自分を見せまいと、ちょっとした愚痴は言いつつも、気丈にふるまっていたつもりでした。
しかし、聖母のような妻はすぐに私の心情を言い当てます。
「何かあったんでしょ?無理してるよね?」
この一言で、顔面が流れ落ちるかと思うほど泣きました。
スマホの画面には妻の顔と、息子がうつっています。
ー 情けない。悔しい。でももう限界だ。
きっと世の中のお父さんたちは、普通子供が生まれたとき、今まで以上に仕事に打ち込み、家族を守る存在となっていくもの。
私はその対極にいる、ダメな人間だと痛感しました。
それでも、「情けない。このままでは駄目だ」という思いを苦痛が凌駕する。
「なんとかなるから。また少し休もう?」
休むことさえ、妻の判断に甘えてしまいました。
心療内科で2度目の適応障害の診断
私が通っていた心療内科はあっさりしたところで、症状を話すと簡単に状況を説明をしてくれて、終了、といった感じでした。
それは私の症状が軽いからだろうと思い、それ以上自分の状況を説明したりもせず、淡々と受診を終え、診断書を受け取ります。
これは大きな失敗でした。
自分の症状とそれに対する診断結果は正しいものの、「ではどうしたらいいのか?」が一般的なアドバイスのみで満足していたからです。
・適応できなかった環境から少し離れて休みましょう
・適応できなかった環境から異動をしましょう
この2点のみが、私に持たされた解決策でした。
あの時にもっと自己開示して、自分オリジナルな原因があることを考えてみれば良かったと後悔しています。
なぜそこに適応できなかったのか?
どこが問題だったのか?
どうしてそう感じているのか?
まずはここから考えていく必要があったように思います。
一度だけ通う心療内科を変えようかと思い立ったこともあり、別の病院に予約連絡するも、
「既に通っている心療内科があるのであれば、そこの紹介状が必要」
ということを言われ、繊細な私は挫けてしまいました。
でも当時の自分は多少の違和感がありながらも、
まぁ、また休めばなんとかなるかな。と。
復職するも異動先の人間関係で挫ける
転職先で適応障害の再発。
人生2回目の休職。
40歳手前の年齢になって、こんなことに自分がなると思っておらず、どん底の気分です。
周りの知人や友人は家を建てたり、順調に出世して結果を出したり、独立して楽しそうに働いていたり。
私もそれらを目指していました。
こんな自分と一緒になってくれた妻と出会い、奇跡のようにかわいい子供を授かり。
これから夢のような毎日が、私たちを待っていると確信していました。
にもかかわらず、情けない話ですがこの2回目の休職あけ、復職をするものの結局仕事を休みがちになり、結果退職してしまいます。
異動先の研修講師と合わず、きつくあたられることもあって、それですぐに心が折れてしまいました。
また同じ心療内科へ通院し、診断書が出て、また休職。
そこからは休んでも復職の気持ちになれず、またまた退職をしてしまいます。入社して半年で退職です。
自分はHSPだから、繊細だから、逃げたかったら逃げてもいいんだ。そんなことばかり考えて、また逃げました。
ここから自分と向き合うために、これまでとは違うチャレンジをしていきました。それはまた次回に晒させてください。
まとめ 自分と向き合うことの大切さ
この経験談だけだとこの記事、ひたすら暗く重い感じオンリーで終わるやん。
そう思い、最後に現時点での自分が思う反省点をまとめて締めくくりたいと思います。
自分がHSPだ、繊細だ、と気付くことは良いことです。
但し、そこから所謂HSPさん、繊細さんと言われる人達の情報は、あくまで一般化されたもの。
働くHSPさんがおおよそこういう悩みを持っていて、それならこうしたらいいよ、というアドバイスはネット中にあふれています。
しかし繰り返しますが、これらは皆が当てはまるように一般化された情報です。
私には私の、これを読んでいるあなたにはあなたの。
オリジナルな、他とは異なるユニークな問題が必ずあります。
この世に絶対なんてことはありませんが、これだけは絶対です。
自分を見つけてください。
まとまらない思いは誰かに話してください。
ノートでもスマホのメモ帳でもいいので書き出してください。
旅になんて出なくても自分は見つかります。
私は今も辛い日々を多く過ごしていますが、間違いなく前進しているという実感はあります。
それは自分と向き合う時間をかなりの量、取っているからです。
診断され、カテゴライズされることだけで安心しないでください。
世界は辛い。
素直に怒りましょう。
泣きましょう。
自分の人生に責任をとれるのは自分だけです。
しかし、同じ境遇の仲間は驚くほど沢山います。
共に進みましょう。
それではまた!
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