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帝都の復讐姫は作家先生に殺されたい 3-1 国際監獄の囚人(1)

 帝都中心部には監獄がいくつもあるが、そのうちの一つである巣鴨監獄には外国人犯罪者が収監されている。最大で二千四百人を収容できる、国際監獄だ。
 その敷地内に、ひっそりと別棟がある。巣鴨監獄は司法省の所管になったのだが、この別棟だけは憑依事案捜査局の支所として、警視庁の権限が残っているのである。

 表門の前にタクシーが横付けされ、先に悧月が降りた。彼がさしのべた手に、花墨はおずおずと掴まって、自分も降りる。今日は『カメリア』は定休日で、仕事は休みだ。
 敷地は広大なのに、壁に囲まれた建物の群れは閉塞感を感じさせる。面会予約を確認した門衛によって、二人は中に入ることを許された。別棟に案内され、面会室に向かう。
 開かれた扉の中の部屋は狭く、机と、向かい合った二つずつの椅子でギチギチだ。譲り合わないと奥の席まで行けない。これなら囚人も暴れようがなさそうである。
 花墨たちが入った扉の向かいに、もう一つ扉があり、その脇には刑務官が立っている。そして、扉を背にして男性が座っていた。
 明るい茶色の髪と髭、ほっそりした青い瞳の中年男性。
 イギリス大使――いや、元大使の、ジョン・バーネットである。
 しかし、かつて責任ある立場で外交を担っていたとは思えないほど、彼は憔悴していた。ちらりと花墨たちを見たものの、すぐに視線を落とし、手錠のかかった自分の手を見つめている。
 悧月が、英語で話しかけた。
『ジョン・バーネットさん。僕は鏡宮悧月と申します。作家です。遊麓出版を通して取材させてもらいに来ました。こちらは筆記係です』
 花墨は黙って帳面とペンを手にし、元大使に頭を下げる。
 実は出版社繋がりだけではここまで来られず、悧月はちょっとした身内のコネも使って話を通しているのだが、その辺は花墨には言っていない。
 元大使は、どんよりとした目を下に向けたまま、ぼそぼそと答えた。
『話すことなど、何も。聴取で全てお話ししました』
『そうですね、何度も聞かれたことでしょう。ただ、僕が原稿を書いている遊麓出版は、怪異にまつわる話をよく扱っているんです』
『怪異……?』
 ちら、と、元大使は視線を動かした。悧月はうなずく。
『はい。一般人には眉唾だと思われてしまうようなことでも、何でも話してみて下さい。もしかしたら、こちらで調べ直せるかもしれません。まずは、こちらが知っていることをまとめてみますね。間違っていたらおっしゃってください』
 悧月は新聞や、花墨が英国人乗客から聞いた話などを、整理して話した。
『いかがですか? 特に、憑き病ではない、と言われていることについて、何か思うところがあればぜひ』
 しかし、元大使はまた下を向いて、ほとんど囁きのような声を漏らした。
『いえ……本当にもう、何も。僕がこの手で、妻を……』
(ああ)
 花墨は、息苦しいほどの悲しみを覚えた。
(思い出してしまう。星見が私の身体をのっとって、父様母様が亡くなっているその場所で、笑ったこと)
 あの時から、花墨は笑うことがひどい罪のように思え、辛くなってしまった。
 元大使も、もし憑かれて妻を殺したのなら、それは自分の意志ではない。それでも自分を責め、言い訳をすることさえ許せないのかもしれない。
 不意に、花墨の耳元で、声がした。
『かすみ このあたりはたくさん ははうえみたいなにおいがするぞよ』
(!? ほ、星見が目を覚ました……って、『母上みたいな』?)
 驚いた花墨だったが、すぐに思い当たる。
(ここには憑き病の人たちと、憑き病じゃないけどそうだと疑われた人たちが、大勢いる。その中にはきっと、何らかの怨霊の影響を受けておかしくなった人もいるんだわ)
 その時花墨は、元大使がちらりと視線を動かしたのに気づいた。どうやら、刑務官を気にしているようだ。
(刑務官がいると、話しにくいのだとしたら。……よし)
 花墨は、わざと鉛筆を取り落とした。そして、椅子をずらして拾おうと屈み込む。
 その隙に、他の人には何を言っているかわからない程度の小声で、囁いた。
「星見。お願いがあるの。あなたの母上の居場所を探すのに、必要なの」

 ──やがて、奥の扉が外からノックされた。
 刑務官が反応し、扉を開ける。いぶかし気に左右を見渡し、そして。
「あっ、お前、どこから入った!?」
 あわてた様子で廊下に乗り出し、「おーい、誰か!」と人を呼んでいる。
 花墨はすかさず、元大使に話しかけた。
『Mr. Ambassador(大使閣下). 実は私も、家族を殺されています。憑き病ではありません。女の怨霊が母に取り憑き、父を殺したんです』
『え』
 視線が合った。花墨は軽く身を乗り出す。
『こんな辛い、ひどいこと、二度とあってはいけません。愛する家族を、その家族の手で殺させるなんて。そうでしょう?』
 元大使の唇が震えた。彼は噛んで、それを抑える。
 花墨はさらに続けた。
『怨霊を何とかしたくて、手がかりを探しています。何か気づいたことはありませんか?』
 不意に、元大使の瞳に生気が宿った。
 彼は早口でささやく。
『私たちは、キモノ姿のゴーストに襲われました』
 花墨と悧月は息を呑む。
 一家は、華族会館でのパーティーから帰る時、駐車場で襲われた。警察が駆けつけ、華族会館の中で事情聴取が行われたが、結局は生き残った彼が拘束されてしまった。
『妻はあの日、子どもたちとともに、早めにパーティーを抜けることになりました。私はそれを見送りに。タクシーに乗ろうとしたところでゴーストが現れて、まず妻に襲いかかり、妻に乗り移って我が子を……!』
 思い出したのか、彼の言葉が乱れ始める。
『私は妻を刺したんじゃない、ゴーストを何とかしようと! しかし間に合わなかった。子どもたちは死んで……ゴーストはどこかへ逃げたのに、どうして妻が……』
 質問しようとした悧月を遮り、元大使は扉を気にしながら早口で続けた。
『事情聴取があると思って、とっさに金庫に……当局には渡したくなくて……』
「えっ? 金庫?」
『帰り際に彼女に渡されて、金庫に』
 扉が大きく開き、刑務官が戻ってきた。
「どうしました」
「あ、いえ」
「申し訳ありませんが、面会はこれで打ち切りとさせていただきます。外部からの侵入者があったようで、敷地内を調べるので、すぐにお帰り下さい。さあ立って」
 刑務官に腕を掴まれた元大使は、オドオドと視線を動かしつつ立ち上がった。
「……そうですか。仕方ありませんね」
 悧月と花墨も、視線を交わして立ち上がる。
 刑務官と元大使が、先に奥の扉から外へと出た。花墨たちが続いて出ると、廊下で元大使が立ち止まっている。振り向いた彼のまなざしは、少し落ち着いていた。
 悧月が礼を言う。
『お話、ありがとうございました』
『いえ。……いつ、大事な人と別れることになるか、わかりません。誕生日などの記念日も、大切に過ごして下さいね……』
 彼は言い、よろめいてたたらを踏んでから、刑務官に連れられて立ち去って行った。

 刑務所を出て、市電の駅まで歩くことにした。
 悧月は周りに人がいないことを確かめてから、花墨に尋ねる。
「もしかして花墨ちゃん、何かした?」
「ちょっと、星見に刑務官の気を引いてもらいました」
「大丈夫? 星見の力を使うってことは、君にも影響が……」
「大丈夫です。それより、やっぱりキモノのゴースト……千代見姫だったのね。ああ、ようやく情報を掴めた」
 花墨は頬を上気させていた。
「大使が憑かれたみたいな報道だったけれど、本当は憑かれたのは奥方だったんですね。大使は奥方を、千代見姫を止めるために……。それにしても、金庫に何を入れたんでしょう?」
「見たいね。バーネット氏は混乱しながらも、とにかく金庫について伝えなくては、といったふうだった。奥方から渡されて、なぜか当局には渡したくない何かが入っている……手がかりになるかもしれない」
「はい。……あの、先生」
 少し心配になって、花墨は尋ねる。
「取材、って形で来たわけですけど、取材したことは書いて載せないといけないんですか? その、出版社的にどうなのかしらって」
「遺族が望むなら書くし、望まないなら書かないよ。そもそも、取材したことのほんの一部しか使えないことも多いって、編集者もわかってる。まあ今回みたいな話は、書いたら売れるんだろうけどねえ」
「ああ、先生には『私』っていう秘蔵のネタがあるんだから、いずれちゃんと売れます」
 花墨は当たり前のように言う。
「私は『望んでいる』ので、何でも書いて下さいね。鏡宮悧月先生を有名にしてあげられるかも、って思うと、少し楽しみ」
「花墨ちゃん……」
 少々困った笑みを浮かべた悧月だったが、ぽん、と両手を打ち合わせる。
「金庫の件だけど、もう一度、出版社を利用させてもらおう。実は今度、華族会館で、とある華族の自叙伝の出版パーティーがある。出版社は遊麓出版だから、声をかければ招待状がもらえるはずだ。もぐりこんで、金庫を調べてくるよ」
「は? 何言ってるんですか、私の問題なんですから私が行きます。決まってるでしょ」
 花墨は憤慨したけれど、悧月は両手で抑えるような仕草をする。
「まあまあ。どうやって入り込むの? 君には無理じゃないかな」
 いなされているように感じて、花墨は少々イラッとした。
「掃除婦なりなんなりで雇ってもらうわ」
「せっかく『カメリア』みたいな健全なカフエーで働いてるのに、転職するの? 金庫の開け方もわからないんだし、まずは僕が行って様子を見て、それから開け方を知ってる人を探してくる。さてどんな金庫なのかな、鍵なのか、番号なのか」
 そんな悧月を、花墨が「あら」と余裕を匂わせた口調で遮った。
「先生、開け方わからないの? 私はわかりますけど」
「えっ!? 何で!?」
「何でって、大使が教えて下さったじゃないですか」
 花墨は呆れてみせた。悧月は本当にわからない様子だ。
「いつ!? どれ!?」
「秘密です。とにかく、私が行くわ」
「いやいや、開けられるならなおさら! 一度入れればいいだけじゃないか! 転職する必要はない」
「それでも、これは私の復讐です。現場を見たいのもあるし、何があるかわからないからこそ私が行かないと」
 花墨の決意は固い。
 うなった悧月はしばらく考えて、提案した。
「じゃ、じゃあ、こうしよう! 僕と君で、一緒に華族会館のパーティーに参加する!」
「またそんなことを……私は庶民で女給です、場違いよ。そもそも着ていく服がないわ」
 つん、とそっぽを向く花墨の前に、悧月はすがりつきそうな勢いで回り込んだ。
「花墨ちゃん、僕に一つ考えがある。ちょっと今から、うちまで来てくれないかな? 頼む!」
「……いいですけど」
 両手まで合わされてしまっては、断れない花墨だった。

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