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帝都の復讐姫は作家先生に殺されたい 5-1 百貨店の輝きは闇を隠す(1)

 高鳥屋百貨店は、元々は呉服店である。
 日本が清との戦争に勝って景気が良くなり、高鳥屋呉服店も織物工場を建設するなど事業を拡大した。その後、小規模ながら百貨店を始め、大正の初めには日本橋にビルを建てて新装開店したのだ。
 鉄筋の五階建て、従業員の制服は洋服、エレベーターもエスカレーターも備えている、というハイカラな建物である。
 現在の社長は、四十歳の高鳥秀一。彼の父親の代に、露西亜との戦争に軍資金を提供した功績で華族の身分を賜っている。

 花墨と悧月は連れだって、百貨店を訪れた。
 ルネサンス様式の建物の美しさに感心しつつ、入口の石段を上る。入ると、ホールの吹き抜けから天窓の光が降り注ぐ中、エスカレーターが互い違いに登っていくさまは異国の宮殿のようだ。
 百貨店の象徴であるショーウィンドーには、秋らしい色や柄のバッグや帽子、傘などが並んでいる。
(よかった……先生はともかく私は浮くかと思ってたけど、そうでもないわ)
 行きかう客がごく一般的な帝都市民で、学生らしき姿もあるのを見て、花墨は内心密かにほっとした。
「花墨ちゃん、エスカレーターで行こう」
 平然としている悧月が、何となく憎たらしい。

 エスカレーターに乗って、二人は三階の婦人服売場にやってきた。やはりショーウィンドーは華やかに飾られており、ドレスや女性用スーツを着たマネキンが思い思いのポーズをとっている。
「いらっしゃいませ」
 笑顔で迎える女性店員に、花墨は話しかけた。
「すみません、ちょっとお聞きしたいんですが、これはこちらの商品ですか?」
 バッグからバーネット夫人のショールを取り出し、広げて見せると、店員はすぐににっこりとうなずく。
「はい、ここで販売しているものでございます」
「あ、すぐにわかるものなんですか? 他でも売ってますよね」
「いえ、こちら、高鳥屋のオリジナル商品でございますの」
 店員は二人を、ショーケースの方へ導いた。ベージュと黒、二色のショールが交互に重ねられ、互いを美しく引き立て合っている。ループ状のフリンジがついている、そっくり同じものだ。
「十数年前から自社工場で織っておりますロングセラーで、他では入手できないショールなんですよ」
(ここでしか、買えないショール……)
 花墨がショーケースをじっと見ていると、悧月が隣に寄り添いながら、口を開いた。
「美しいものだね。彼女が、自分と同じものを友達に贈りたいと言っているんだが」
 店員は笑顔で「ありがとうございます」と頭を下げる。二人のことを夫婦か、そうでなくとも深い仲だと思っているだろう。
 ショールを見比べ、悧月が顎を撫でた。
「しかし、ここに置いてあるものには彼女のと違って、刺繍がないんだね」
「赤い鳥の刺繍のことでございますね。これは、社長の高鳥秀一が、お世話になっている方に個人的にお贈りする品にだけ、入っているのでございます。お客様のショールも、高鳥から差し上げたものでは?」
 不思議そうに首を傾げられて、花墨はとっさに答えた。
「母の形見の品なんです。詳しいことは聞いていなくて」
「そうでございましたか。当店に置いているお品には刺繍はございませんが、和装にも洋装にも合うデザインで、自信を持ってお勧めできますよ。ちょうど、これからの季節にぴったりです」
「確かに、いい品だ。さすがは高鳥屋さん」
 悧月はにっこりと店員に笑いかけてから、花墨を見る。
「君、友達とは色も揃いでいいの?」
「え、あ、はい」
 花墨がとっさにうなずくと、悧月は店員に向き直った。
「では、ベージュのをいただこうか」
「ありがとうございます! それでは、こちらでお会計を」
 店員はショールを持って奥に向かった。後をついて行こうとする悧月の腕に、花墨はとっさに触れてささやく。
「ちょ、先生、買うんですか?」
「え、ダメだった? いい品だし、一応ちゃんと比べたいと思って」
 悧月から見ると、ショールは質が良く値段もそれに見合う金額だったので普通に購入したのだが、花墨から見ればそもそも手を出せる値段ではない。今日は聞き込みだけするつもりでいた。
(ま、まあ、何も買わないのも怪しまれるかな。うぐぐ、金持ちめ……)
 またもやちょっと憎たらしく思いつつ、花墨は悧月を見送った。

 改めて、彼女はショーケースの中のショールを見下ろす。艶やかな、本当に美しいベルベットだ。
(これを機械で織っているのね。技術の進歩ってすごい)
 感心していると、不意に、横から声がかかった。
「気に入っていただけましたかな」
 パッ、と顔を上げる。
 そこには、髭を蓄えた紳士が立っていた。
 四十歳くらいだろうか、髪をかっちりと固め、仕立てのいい縦縞のスーツに身を包んでいる。客である花墨ににこやかに笑いかけているけれど、仕草や話し方は、上に立つ者のそれだ。
『気に入っていただけましたかな』という言葉から、彼が誰なのかは察しがついた。
「はい、とても綺麗ですね。もしかして、お店の方ですか?」
「申し遅れました、社長の高鳥と申します」
 紳士──高鳥屋百貨店社長・高鳥秀一は、右手を差し出した。花墨は目を見開いてみせながら、握手に応じる。
「わあ、どこかでお見かけしたと思ったわ。きっと、新聞などにお写真が載っていたんですね」
「覚えていただいていて光栄ですな。時々、店を見に来るんですよ。やはり現場を確認したいですし、お客様の様子も知りたいので」
「さすがは、こんなに大きな百貨店を経営してらっしゃるお方ですね。おかげさまで、まるで万華鏡みたいに綺麗なお店を楽しませていただいています」
「それはよかった、今後ともご贔屓に」
 そこへ、悧月が戻ってきた。
「失礼」
 彼は、緑の地に赤い鳥の紙袋を持っている。会計を済ませ、ショールを包んでもらったのだろう。
 高鳥はそれに目を留めて、丁寧に、かつ堂々と頭を下げる。
「お買い上げ、ありがとうございます。……もしや、鏡宮悧月先生では?」
 ぴく、と、悧月は眉を動かしたが、愛想よく答えた。
「そうです。僕のような駆け出しの作家など、よくご存じですね!」
「遊麓出版に知り合いがおりまして。帝都大学の薬師寺先生のご親戚が、すばらしい文章をお書きになる、と聞いていたんです」
「そんなそんな、高鳥社長のお眼鏡にかなうような文章ではありませんよ」
「ははは、ご謙遜を。ああ君、こちらのお二人に、食堂のサービス券を差し上げて」
 高鳥は店員に声をかけ、何やら券を持ってこさせた。
「割引など、かえって失礼かもしれませんが、上の食堂で最近パフエーを始めましてね。ぜひお試しいただきたい。何かありましたら、お客様係に忌憚のないご意見をお願いします」
「お気遣い、ありがとうございます」
 悧月は礼を言って受け取り、軽く花墨の背に手を触れた。
「それじゃあ、僕らはそろそろ」
 花墨も挨拶する。
「失礼します、ありがとうございました」
「またのご来店をお待ちしております」
 高鳥はにこやかに、二人を見送っていた。

 エスカレーターに向かいながら、花墨は小声で尋ねる。
「先生、高鳥社長を知ってたんですか?」
 悧月は首を横に振る。
「いや、新聞で見たから覚えてただけ」
「私と同じか。……びっくりした」
「うん。まさかここで会うなんて。……パフエーだって。食べていく?」
 聞かれた花墨もまた、首を横に振った。
「何してるかわからない人の本拠地で、甘いものなんて食べてられないわ」
 いつの間にかとても緊張していたようで、花墨はできれば早く、百貨店の外に出たいと思っていた。悧月も肩をすくめる。
「だね、さっさと出よう。……あのさ、花墨ちゃん。食事といえば、誠子さんが今夜、夕食を食べに来てほしいって言ってるんだけど」
「先生。私、そういうのは」
 復讐を果たしたら、花墨は憑捜に捕まるか悧月に殺してもらうか、どちらかの可能性が高いと思っている。薬師寺家がそんな娘と交流を深めても、いいことなど何一つない。
 花墨が渋面を浮かべると、悧月は困り顔で頭をかいた。
「実はこの間から、花墨ちゃんを食事に誘うように言われてるんだ。料亭とか、レストランとか、一緒に行こうって」
「え……でも……」
「うん、花墨ちゃんはそういう場所は苦手だからって、僕が断ってた。でも今朝になって叔父さんが『忘れてた、今夜は会食が入ってるんだった。夕食はいらない』って言い出して。誠子さん、今日は自分で作るつもりで準備してたらしくて、叔父さんに雪女みたいに冷たく接してた……」
「こ、怖そうですね……。その代わりに、私?」
「うん。『そうだわ、花墨さんに来てもらえれば』って、頼み込まれてしまったんだけど」
「うう……」
 世話になっている手前、誘いを断り続けるのは失礼だとわかっていたし、誠子がいい人だけに申し訳なくもある。そして、外のきらびやかな場所での食事ではなく、場所は薬師寺邸だ。借りたものも返したかったし、武雄の分の食材が余っているなら……という貧乏根性も働いた。
「じゃあ……お邪魔します」
「ありがとう! 誠子さん、きっと機嫌を直すよ。いやもうホント怖くて、女中さんも恐れおののいちゃって」
「先生? 言っておきますけど、私についての話になったら星見のこと以外は正直に話しますからね。売られて色々あった後、今は女給やってるって」
「うん、隠すことはないと思うよ。花墨ちゃんに任せる。じゃ、ちょっと電話をかけて知らせてくるから、これ持っててくれるかな」
 悧月は紙袋を花墨に預け、電話をかけに行った。
 百貨店には公衆電話が設置されており、そして薬師寺邸にも電話があるのだ。そんなところも、長屋暮らしをしている自分とは世界が違う、と花墨は思う。
 待っている間に、花墨は店内にある時計を見て時間を確認した。
 この後、二人は剣柊士郎と待ち合わせているのだ。


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