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帝都の復讐姫は作家先生に殺されたい 6-2 紡がれ織られてきた秘密(2) 

 宮城(皇居)の南側、虎ノ門から麻布のあたりは、華族の屋敷街である。
 花墨は、暗くなり始めた道を歩いていた。明るいうちに一度長屋の家に帰り、袴にブーツという姿になっている。こちらの方が動きやすい。
 外灯を避け、壁に沿って歩きながら、壁の向こうに見える屋根を見上げる。
 高鳥邸。平屋の和風建築と枯山水の庭を擁する、広大な敷地の屋敷だ。
(この中で、陰陽師の髪を混ぜ込んだ刺繍をしてるはず……でも、千代見姫はなぜ操られてしまうのかしら。それに、どうしたらそれを終わらせられる?)
 何とか中に入れないかと、周囲を見回っていると、塀の内側から犬の吠え声が聞こえた。番犬がいるらしい。
 その時、彼女の足下にボウッと青く光るものが現れた。光は形を取ると、花墨の左手にしがみつく幼い女の子の姿になった。
「星見……?」
 星見は花墨に取り憑いて以来、千代見姫と別れたままだ。薬師寺家で千代見姫が現れた時、星見は姫の味方をして嬉しそうにも感じられたのだが、姫は飛び去っていった。
 それ以来、星見はとても静かで、ほとんど気配も感じられないほどだったのだが、今、不意に出てきたのだ。
 星見は屋敷を見上げ、白い髪の首を傾げる。
『……かすみ。どうして、ここにきたのじゃ?』
「え? ええと……千代見姫と関係のありそうなおうちらしくて」
 花墨が周囲を気にしながらも答えると、星見は黒々とした目でどこを見ているのか、しばらく黙っていたが、やがてぽつりと言った。
『ほしみは、ははうえさまと、ここにおったことがあるのじゃ』
「えっ? この家に?」
『そうじゃ。でも、ははうえさまは、ほしみはここにいてはいけないといった。だからほしみは、かすみのなかに「にげる」ことにしたのじゃ』
 ふっ、と、あの日の記憶が蘇る。
 星見が花墨に乗り移った時、千代見姫はまるで正気の人のような目で、花墨を見て言ったのだ。

『花墨、と申したか。我が娘、そなたに預けるぞ』

(千代見姫が、この家から星見を逃がした……?)
「星見。千代見姫はまだ、ここにいるの?」
『わからぬ……でも……』
 星見は少し上を向き、鼻をひくひくさせた。
『……いるとおもう』
 花墨は即座に決断する。
「じゃあ、会いに行こう。会いたいでしょう?」
 千代見姫が今、どういう理由で、どういう状態でここにいるのかを知らないことには、対処の方法もわからない。
 すると星見は、ククッと笑った。
『こんどは、ほしみが「ころさないでおくれ」とたのんでも、かすみをころしてしまうかもしれぬぞよ』
「そうかもね。それでも、私は中に入ってみたい。まあ……できれば家の人には知られないように、こっそりと」
『こっそりじゃな』
 突然、つないだ手から光が広がり、花墨の身体も包み込んだ。
「えっ」
 ふわり、と二人の身体が浮き上がる。
(うわ!?)
 声が出そうになって、花墨はあわてて抑えた。誰かに気づかれるわけにはいかない。
 そのまま二人は塀を越え、屋敷の敷地内に静かに降り立った。
 美しい庭の片隅だ。庭石や木々が姿を隠してくれる。母屋や離れが渡り廊下で繋がり、さらにそれとは別に建物がいくつかあるようだ。
 星見はあたりを見回している。
「千代見姫はどこにいるの?」
 聞いてみたが、
『わからぬ……なにやら、あたまがごちゃごちゃする』
 と言って片手を頭に当て、顔を顰めた。
(とにかく、見て回ろう)
 花墨は「しっ」と唇の前に指を立て、星見に合図すると、手を繋いだまま静かに歩き始めた。
 途中で、ワン! と一声、犬が鳴いた。
 二頭の大型犬が、息を荒くして駆け寄ってきたのだ。
『わんこがおる』
 星見が立ち止まったので、むしろ逃げようとしていた花墨はあわてた。
「ちょ、星見」
 が、犬たちはだいぶ手前から徐々にスピードを落とし、やがて立ち止まる。
 星見の視線に、射すくめられているのだ。
 にやあ、と星見は笑い、黒い瞳の強い視線のまま犬に近寄ると、手を伸ばした。
『よーし、よーし』
 ゆっくりと、頭を撫でる。
 犬は硬直し、尻尾を足の間にしまってガクガク震え出した。そして、星見が手を離すと、ものすごい勢いで走り去っていってしまった。
『わんこ……』
 星見は寂しそうにしている。
 サーカス団にいた頃も、動物はかなり好きなようだった。ただ、動物の方が威圧されて怯えてしまうのだが。
「わんこはもう、寝るんだって。さあ、行こう」
 母屋の角を回ったところで、ハッ、と花墨は足を止める。
 目の前に、木々に囲まれた社があったのだ。
(敷地内に、お社……? お稲荷様かしら)
 ここは実業家の屋敷なので、商売繁盛を願って建てられたならありえることだ。そうは思ったものの、明かりが漏れていたので気になった。
 数段の階段を上がったところに観音開きの扉があり、上半分が格子になっている。
「星見。こっそり、中を見てみようか」
 花墨がささやくと、ぼんやりと光る初音は『ん』とうなずく。
『こっそり、な』
 ブーツを脱ぎ、音を立てないように階段を上がって、扉の横に張りつく。そっと格子から中を覗いた。
 数カ所に蝋燭がともされ、祭壇を浮かび上がらせている。その手前、左右に、赤い袴の巫女が座って向かい合っていた。
 二人は手に布と針を持ち、黙々と何か縫っているようだ。
(あっ。ショール!)
 花墨は目を見張る。
 巫女はベルベットのショールに、赤い糸で刺繍を施していたのだ。
 よく見れば、祭壇には赤い糸の束が備えられている。
(糸? ううん、もしかして、あれが……陰陽師の髪かもしれない)
 糸に混ぜて刺繍しているのだろう。
(わざわざ、こんな場所で刺繍をしていたのね……工場で女工にさせるんじゃなく、こんな場所で巫女さんに)
 不思議に思いながらも花墨は頭を引っ込めて階段を降りた。一緒に見ていた星見も静かについてきたが、また鼻に皺を寄せてささやく。
『くさいのは、あれじゃ』
(え? 髪?)
『ははうえさまは、あのかみのもちぬしがだいきらいじゃ。ものすごく、おこる。うらんで、たたる』
 千代見姫は「あいつの匂いがする」とたびたび口にしていた。そして、匂いがする者の身内を全て殺す。
(髪の持ち主の陰陽師と、何か因縁がありそうね)
 そのままあたりをよく観察すると、格子扉の反対側、社の奥に、さらに塀で囲まれた区画があった。こちらが拝殿なら、奥は何だろうか。
 その区画には、巫女たちのいる拝殿の中を抜けないと入れないようだ。
(塀を乗り越えない場合は、の話だけど)
 花墨は階段を戻り、再びブーツを履いてから塀に近寄った。ちょいちょい、と指さすと、星見は楽しそうにククッと笑う。
『こっそり、じゃな』
 二人は再びふわりと浮き、塀の内側に降り立った。
「ありがとう」
 星見に言って手を繋ぎなおした花墨は、顔を上げて一瞬、ギョッとする。
 塀の中にもまた、建物があったのだが──
 ──そこは異様な雰囲気だった。
 黒い箱のような、のっぺりした建物。やはり観音開きの扉はあるが、格子にはなっておらず、赤く塗られた木製の扉だ。
 そして、扉を含む建物全体にお札がべたべたと貼られ、ぐるりと注連縄が張り巡らされていた。
(何、これ。明らかに、何かを封じ込めている)
 花墨が動けないでいると、ふっ、と星見の手が離れた。
 ハッと見下ろすと、彼女は両手で自分の頭を抑えている。
『うう……頭が……』
「どうしたの!?」
『かすみ……ここじゃ。ここに、ははうえさまがいる……』
 星見は苦しそうに、顔を歪めている。しかし、花墨にはどうしたらいいのかわからない。
(今は、千代見姫が高鳥家の社に封印されてるとわかっただけで十分だ。下手に封印を解いても、きっと千代見姫が暴れるだけ。いったん出て、対策を考えよう)
 星見に話しかけようとした、その時。
 拝殿の方で物音がした。
 ハッとした花墨は、様子を窺う。裏手にも扉があったが、その隙間から漏れていた灯りが、フッと消えた。表の方で、扉を開け閉めする音。
 どうやら、巫女たちが作業を終えて出て行ったらしい。
 あたりは静かになった。
(今なら、拝殿に入れるかも。そうだ、あの髪の毛を持ち帰ってしまえば、刺繍に使うこともできないんじゃ?)
 拝殿の裏口の扉に近づこうとした花墨の手首が、ガッ、と強い力で掴まれた。
 振り向くと、黒々とした目が花墨を凝視している。
『かすみ。まだかえらぬぞ。こっちじゃ』
「えっ?」
『ほしみは、くるしい。ははうえさまは、もっとくるしい。あそこからだすのじゃ』
 手首をつかむ力が、ぎりり、と強くなる。
「痛……星見、でも、千代見姫は人を殺すでしょう。私も殺されてしまうわ」
『かまうものか』
 即座に言い返されて、花墨は息を呑む。
(……そうよね、わかってる。私と星見は、互いを利用し合ってるだけ。私の都合を聞いてもらおうなんて虫が良すぎる)
「ごめんね星見、とにかく一度、出ないと」
『だめじゃ。ほしみのいうことをきくのじゃ』
 星見の顔に、怒りが満ちていく。まなじりがつり上がり、恐ろしい表情になっていく。
(この子は怨霊の娘。負の感情で、この子もどんどん強力な怨霊になっていく。どうしよう)
 花墨が迷った時──
 ──突然、キーン、と耳鳴りがして、花墨の頭にも痛みが走った。
「うっ!」
『あうっ』
 星見が顔をゆがめ、両手で頭を抑える。
『いたい。いたいよぅ』
「ほ、星見っ……ううっ」
(何? 塀の外から、強い力を感じる)
 花墨は愕然とした。
 人の気配、それは、周囲をぐるりと取り巻いていた。
(囲まれてる!?)
『いやじゃ、いたいの、いやじゃ!』
 星見は叫ぶなり、花墨の中に飛び込んだ。
 とたんに、花墨の痛みが跳ね上がった。星見の分まで引き受ける形になったのだ。
「あ、あああっ……!」
 たまらず、花墨は頭を抑えたまま膝を突き、そしてそのまま砂利の上に崩れ落ちた。
「……な……」
 ぼやける視界の中、ゆっくりと、拝殿の裏口が開く。
 そこに立っていたのは、スーツ姿の髭の男。
(高鳥……秀一)
 確認できたのもつかの間、花墨の意識は急速に遠のいていった。

 ゆっくりと、意識が浮上する。
 頭の痛みはだいぶましになっていたが、めまいがひどい。蝋燭のものだろうか、あたりはぼんやりとした光に照らされている。
(……ここ、どこ……あっ)
 花墨はパッと頭を起こそうとして、またひとしきりめまいに襲われた。落ち着くのを待って、慎重に起き上がる。
 牢屋の中だった。頑丈な木の格子に囲まれた、座敷牢だ。
 そして格子には、何か札のようなものが貼られている。
 はっ、と自分の中に意識を向けてみると、星見はまだ彼女の中にいた。
「星見?」
 呼びかけると、星見の意識が反応したが、何か蠢くものを感じるだけだった。返事が言葉にならないようだ。
 そして。
『目が覚めたか』
 低い、女の声が聞こえた。
 花墨は、格子の外に顔を向ける。

 通路を挟んで反対側にも、牢があった。
 そしてそこに――
 ――袿をまとった姫が、両手を天井から下がる鎖に持ち上げられ、座敷の上に正座しているのが見えた。
 人ではない。怨霊だ。しかし何かの術で、封じられている。

「……千代見姫」
『そなた……星見を託した娘じゃな』
 姫はゆっくりと、顔を上げる。
 星見と同じ、黒々とした穴のような目が、花墨を見つめている。
『なぜ、ここへ来た』
「なぜ?」
 花墨はカッとなり、格子を掴む。
「復讐のために決まってる。ずっとあなたを追っていたわ。よくも、父様、母様を……!」
『ああ……そうか。私は、そなたの親を殺したのか』
「覚えて……ないの!?」
 あまりのことに頭の中が熱くなり、息が苦しくなる。
 けれど、辛うじて残った理性が、花墨に思い出させた。
(そうだ。姫は、高鳥に支配されている)
 花墨は大きく深呼吸をして、何とか心を押さえつけた。
「……千代見姫。あなたはいったい、何者なの? どうしてそんなふうに、囚われているの? 高鳥とは、どういう関係なの? 全部話して!」
 静寂が落ちる。
 やがて、千代見姫は口を開いた。
『よかろう。話してやろう。わが身に起こったことを』


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