初日に客降り食らった医療職が思ったこと
お久しぶりです。こんばんは。
いろいろ書こうとしては消して、書こうとしては消して、をくり返してはいたものの、うまく言葉にできなくて放置していた「note」を書くよ。
本日のお題は「客降り」です。(バンッ)
半分以上、ただの愚痴なので、「てめえの意見なんか聞いてない」って人はスルーしてください。スルースキルって大事よ。
1.師走の劇場は空気が一変してた。
世界にコロナが出てきて、劇場が根こそぎ根絶やしにされてから1年半。
舞台も劇場も、本当に本当に、気と労力と金を使って対策をいろいろ講じてくださったと思います。ありがてえ。本当にありがてえ。
おかげで、職場で何を聞かれても
「舞台は安全です」
と胸を張って言いきれた。
(別に舞台に行きますと公言していたわけではないので、言い切る機会はそんなになかったけど)
11月まではそれでよかった。
時々、お連れで来てる人たちが喋ってることはあるけど、注意されたら止めるし、正直、他が静かすぎて、どの席でしゃべってるのかが丸わかり状態なので、なんとなく声は小さくなっていくもので、それなりに穏やかに観劇が出来ていた。
そんな11月が終わって、12月。
3カ月とちょっとぶりに「推しの舞台だー!」と思って、仕事を爆速で片付けて、会場へと向かった。
着いた会場は静かだった。11月までの舞台とあんまり変わらなかった。平和だった。
公演が始まって、いろんな楽しいことが舞台には変わらずあふれていて。
キラキラしていて。
あー……推しは今日も輝いている……って思ってたんですけど。
この舞台、笑わせに来るんですよね。
そもそも、このコロナ禍の舞台って、「話しちゃいけないのに笑わせに来るのはどうなんだ……」ってずーっとずーっとずーっと思ってたんですけど。
まあ、笑うってことは大事なことだし、舞台の役者はお客さんの反応ほしいよね……
って黙殺してたんですよ。
客も、ちゃんと声を出して笑うの我慢してたし、マスクの下でクスッとするのは許されるべきだろう……と。
ところがどうした、ゲラがいた。
明らかになんの屈託もなく笑う人がいた。
いやまあ、しょうがねえよな。面白いもんは笑っちゃうよね。しょうがないよね……しょうがない……?
いやなんか、別に笑った人を責めるつもりは微塵もないんだけど、明らかに笑った声の感じが違ったんだよ。
今まではなんだかちょっと申し訳なさみたいなのが、笑った後の空気にあったんだけど、そういうためらい的なものが一切感じられなかった。
え? ……コロナいなくなったんか???? って思った。
一人が笑えば他の人もつられて笑う。
別に笑っちゃいけないとは思ってないけど、世の中はなんだか知らない新しい変異が来たヨって大騒ぎしているのに、そこにいた他の客と私との間に世界の隔たりを感じた。怖いって思った。
私が今、戦っているものはなんなのだろう……って思った。
そして、その空気は幕間になっても変わらなかった。
休憩になった瞬間に客が喋る喋る喋る……
今までも、喋ってたやつがいなかったとは言わない。
でもそれって、どこの客が喋っているのか、周りが静かだからすげー目立ったし、スタッフが注意に回れるくらいの人数だった。
でも今日は違った。
全体的にガヤガヤしてて、どこの客が喋ってるのか分からなかったし(比較的前の方は静かだった気がするけど、それすらも声が反響しててよくわからない。
スタッフが拡声器で話している声が聞こえないほどにうるさい。
これはいったいなんだ……?
私の知ってる「安心・安全」な舞台はどこに行ったんだ……? って混乱した。
こうなったらもう、スタッフがいくら注意して回っても無意味だし、スタッフが注意して回れるレベルじゃないな……って、絶望するくらいうるさかった。
ただただスタッフがかわいそうだった……。
自分が主催だったら絶望するなって思った。
正直、今すぐ帰りたかった。怖いって思った。
2.そしてキャストが舞台を降りた
そんな緩んだ空気のまま、後半が始まって。
カテコで唐突に、キャストが舞台を降りて、客席通路を歩きだした。
客、大興奮……
まあ、興奮したのは半分くらいまでで、キャストが「しー」ってやってくれたから、むしろ公演中の方がうるさかったくらいで(笑い声で)、少し落ち着いた空気にはなった。
でもなんか、「あー……こういうことだったんだ……」って悲しくなった。
客降りしてるのに、キャストに「しー」ってしていただかないといけないのが申し訳なかったし。
そういうキャストの姿を、私は客降りで見たかったんじゃないって思ったのが一つ。
静かにできない客席を主催が煽る絶望感が一つ。
これで完全にこの舞台の空気決まったな……って思った。
客降りを喜ぶ客が集まる舞台は、多分きっと、そういうことなんだよ……
残りのチケット売ろうかな……めっちゃいい席なんだけど……って心の底から呪ったし。
やるなら先に言え!! だったら来なかったから!!!! って大パニックだったし。
客降りされて悲しくて泣いてしまったのは初めてだった……。
ただ、休憩中よりも、終演後の規制退場待ちの方が静かだったことはそっと申し添えておく。
キャストが「しー」ってしてくれたからかな。
ありがとうございます。
3.「客降り」は感染のリスクになりえるのか?
とりあえず、初見の感想はただただ「恐怖」と「パニック」だったんですけど。
今後の舞台との向き合い方を考えるためにも、寝て起きて、その夜に起こったことについてもうちょっと冷静に考えてみた。
本業なので、この辺りのことはちゃんとリスクヘッジしておくべきだよね。
落ち着いて、私!!!!
恐怖は言語化されれば解消されることもある。
さて。
「客降り」は感染のリスクになりえるのか?
の私の見解ですが。
その行為自体は、「多分」ならないと思う。
そう、多分、ならないんだよ。
ただし、“キャストも客もしゃべらず”、“ただ歩くだけならば”という条件は付ける。
それであれば、「ならない」と思う。
ただ、その行為自体は「ならない」けど、それをすることで、確実に緊張感は緩むので、周り回って、客は喋るから、結局はリスクになるよ。多分。
なので、率直に言うと嫌です。
客降りなんてしなくていいじゃん。なんで今やったんだよおおおおおお。もうちょっとだけ待ってくれればいいじゃん。冬越えるまで待とうよおおおおおお。せめて、1月終わるまで待てよ。
まあでも、逆を言えば。
客降りあろうがなんだろうが、客が静かに出来れば、何の問題もないことがある。
なので、客は黙れ。
4.舞台を生かすも殺すも客次第。(ルールの話)
さて。
終演後、主催のツイートで「東京都の基準には従ってる!」ってことが明かされているわけですが。
そもそも東京都の基準ってなあに? ってことは客も知っておくべきだと思う。
だって、客席の協力なくして、今の状況はありえなかったのだから。
つまりだ。
大声があるかないかで上限が変わる。
いいか。
もう一回言う。
客が声を出すかどうかで収容人数が変わるんだ。
だから本当に、「舞台を生かすも殺すも客次第」なんだよ。
だから頼むから主催のいうことは聞け。
後、客は黙れ。
5.客降りは舞台に必要なのか?
さて、ここで問題です。
客の果たす役割がどれだけ大切なのかは、上記のとおりですが。
個人的にすごくすごく主催に問いたいのは
「どうしてそんなに客降りを急いだ?」
ってことなんですけど、なんで?
本当に本当になんで?
客降りなくても、舞台は成立してたよね? 別に急がなくてもよかったんじゃないの? ねえ?
客もキャストもリスクにさらしてまで、そんなにやらなきゃいけなかったことなの? ねえ????
まぢで答えろやオラ
正直、私が泣いた大きな点はここだったと思う。
すっごくすっごく「舞台に裏切られた」って思った。
今回の舞台に関して言えば、休憩中のお喋り、の形で先に舞台の安全を揺るがしたのは客だけど。
正直、「客降りやるぞ」って空気が伝わってたんじゃないかと思う。
そういうのって、言わなくても伝わるもんなんだと思ってる。空気みたいな。
緩和に向けて走り出したい主催の思いが運営に伝わっちゃったんじゃないかなって……もう、本当にダイノジになりたい。
で。
ですね。
再度、主催に問いたい。
あなたの作ってるものに、本当に客降り(リスク)が必要だったんですか?
もしかしたら、それで動員数変わったり、経済的なものを動かしたりするレベルまで、舞台に占める客降りの要素がでかくなってるんだったら、それはもう、それを必要としない私たちの力不足でしかないので、舞台のために、私はそれを飲むしかないと思っている。飲んでやろう。
他方で、舞台がそんなことになってしまっていると信じたくない自分もいる。
公演終わって、Twitter開いたら、客降りに喜んでるツイートがいっぱい並んでて、世間とのギャップをものすごく感じた。
私にとって客降りは、おまけでしかなくて。
あったらラッキー。なくても普通。
でしかないんだけど。
もし、舞台に金を払う層の大多数が、客降りのために、2時間待ってる層なんだったら、それはもうしょうがないよね……
でも、主催に一つだけ言いたいんだけど。
オタクは優しいから、否定的な話をするときに、わざわざその舞台の名前を出してツイートしたりしない。
ってことだけは、覚えておいてほしい。
6.いつから客降りは再開できるのか?(ただの個人的な見解)
で、まあ、ここまで散々、「客降り」についてネガティヴなこと言ってきましたけど。
結局のところ、コロナになってからのチケットが通路席だと「客降りがあったらなあ……」って思ってたし、本当は客降りのある舞台大好きなんですよ!!!!
なので、今回の客降りに関する気持ちで一番でかかったのは。
まだ早い。
のその一言だった。
永遠に中止しろって言わないし、いつかは再開されてほしいと願っている。
でも「まだ」っていうからには「いつか」が「いつ」なのかは言うべきだと思っているので、その勝手な思いをここに記しておく。
言っておくが根拠(エビデンス)なんてない。
でも、プロ(それで飯食ってる人)のいうことには、ある程度耳を貸すべきだと思う。(信じろとは言わない)
個人的な見解としては。
「冬はやめておけ」
「せめて2月まで待って」
である。
なんとなく、感覚的な理由としてはいくつかある。
① 冬はコロナじゃなくても感染症流行るからハイリスク
空気が乾燥してる。寒いから、喚起しなくなるetc でとにもかくにも、感染症をやってる人間からしたら冬はとっても厄介な季節である。
そんな時にわざわざリスク負わんでもよくない? って思う。
② 在宅療養の選択肢増えるまで待て
個人的には、感染症の対応で、何が一番問題になるって「患者に隔離が必要」「接触した人間に移す」っていう点だと思っている。
隔離が必要だから、大して病状が重くない人でも入院させないといけなくなるし、入院させなきゃいけないから入院病床は圧迫するし、病院じゃ足りないからホテルを使う羽目になるし。
接触した人間に移すから、医療者はガウンとかなんちゃかんちゃらを着なきゃいけなくなるから、手間も増えるし、経費も増えるし、仕事を休まないといけない人が出てきて人手不足に拍車がかかるし。
で、いいことがない。
そして何より人が死ぬ。
個人的には「人が死なないこと」を出口にすることの是非についてはいろいろ悩むんだけど、そんな話をし始めると長くなるし、「今、死ななくてよかった人が、今、死ぬ」ってことについては問題があるんだろうなって思ってる。
せめて、準備をさせてあげる期間はあった方が優しいと思う。
そういうわけで。
要は、コロナがいなくなるってことは不可能なので、コロナがいても普通に生活できるって道を探したときに、何が一番いいのかって思ったら。
「感染者をゼロにする」ってことではなく。
「感染しても人が死なない」「医療を圧迫しない」ってことで、そうなると、一番の近道は「入院しなくても治る病気になる」ってことだ。
入院しなきゃ、医療を圧迫しないし。
治るんなら、死なない。
それができる落としどころってどこなのか? って、「自宅で治療できる」ってことだ。
今、日本における「在宅療養」って、何をしてるのかって。
① 自力で治るのを待っている
② コロナウイルスを倒せる薬はないので、症状を抑えるための治療をしている
でしかない。
在宅酸素療法だって、コロナの症状で酸素が足りなくなるから補給しているだけの話で、コロナウイルスを退治しているのは、自分の体の免疫力である。
一部で免疫力を上げてコロナを倒すために使われる抗体カクテル療法ってやつが使えたりすることもあるらしいですが。
点滴なこともあって、あやつは基本的には入院適応(入院して使うことが前提)の薬である。
よって、入院せずに使える、直接ウイルスをぶっ叩けるコロナの治療薬は今の日本には存在しない。
ただ、海外には存在する。
そいつを日本で使えるようにできるのが、「年内」と国の偉い人は言っている。
制度上使えるようになるのが年内なので、流通しだすのにちょっとだけ余裕をもって(年末年始挟むし)。
1月まで様子見てくれたら
というのがちょー個人的な見解である。
本当は春が来るまで待てって思うけど、もう一刻の猶予もならん! っていうにしても、「1月まではステイ」である。
なので。
本当に。
どうして。
後、2か月が待てなかったのか……?
とは聞きたいよー……
ちょっと前まで、あんなにあんなに慎重だったじゃないですか……
ちなみに、ステイしてほしいのは、なくても舞台が成立する客降りだけ、であって、100%動員は収入に直結する問題だからやるべきだと思っているので……(つかそれは私がチケット取れないと悲しいからかもしれないけど)
まあ、こんな葛藤が、すべて「あんなこともあったねえ」で終わってくれることを祈っています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?