消えゆく存在、あの日の思い出
最近、人はなぜ生きるのかということをよく考えます。
幸せを掴むため。夢を叶えるため。運命の人と巡り合うため。生きる意味を見つけるため。
色んな理由がこの世の中には転がっている。
でも、どれも私にはピンと来ないものばかり。
私は、死ぬために生きているのではないかと、よく考えます。
死ぬということ、この世に別れを告げるということは、勇気がいることです。
死を覚悟するには、私の両手の中に邪魔な思い出ばかりが残っている。
この世を去らなければならなかった大切な人や、終わりを迎えたくなかったあの人。
記憶に残るのは楽しかった思い出ばかり。全部記憶が消せたなら、どれだけ楽だろうか。
この先新たに出会っていくひとびととも、いずれ「さようなら」を告げる日がやってくる。
そう思うと、やはり生きることは残酷だと思わざるを得ない。
自ら死ぬという行為が許されない残酷な世界だからこそ、私たちは何があっても息をしていかないといけない。
生きているだけで偉いなんて言葉があるけれど、生きるためにはお金を払って、仕事に行って、関わりたくもないような人たちと笑い合わないといけない。
正直に言います。
この世から逃げるために死にたいと考えています。
逃げるためです。逃げた先には何もないけれど、何もないことが私にとって心の底からの救いなんです。
でもそんな勇気もなく、ただ温かかった日々を思い返して涙する夜が続くだけ。過去の自分の決断を責めるばかりの夜が続くだけ。
楽しみにしていた約束、心の支えになっていた存在、もう一度会いたい人、もう一度笑い合いたかった人。
もう全部、手の届かない場所まで離れてしまって、姿かたちも見えなくなってしまった。
それでも、踏ん張らないといけない。
逃げることは、誰も許してはくれないんです。
そんな自分を抱きしめる毎日です。
みなさんには、穏やかで微笑みが絶えない毎日を送ってほしいと願っています。
美味しいものたくさん食べて、ゆっくり休んでね。
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