音の記憶
音にはありふれた力があると私は信じている。
私は幼い頃から音楽を愛していた。音楽があることで心が穏やかになり豊かになる。
父が愛した音楽。少し離れた場所にいる母が愛した音楽。姉が愛した音楽。祖父母が戦後に愛した音楽。
誰かしらひとつは愛した音楽があるはずで、例え愛していないとしても心に刻まれた音楽はその人を時折救ってみたりするのだ。
音楽はみんなを虜にする最強の存在である。
車を持つようになってから、そんな音楽の力をひしひしと感じることが増えた。
誰かに教えてもらった曲、誰かとドライブで聴いた曲、誰かが好きだった曲。
それらが流れるとその時の風景や匂い、色や空模様を思い出してなんとも切なくなるのだ。
今に始まった思考回路では無いのだけど、少し思い出を重ねすぎてしまったせいか、頭に浮かぶ情報量が多くなってしまった。
きっとそれは今まで歩んできた道が彩って褪せて淡くなっている証拠。
一般的にはいいことなのかもしれない。知識も知恵も増えて、価値観も変わって大人になれているのかもしれない。
けれど私にとっては、それらが刃物のように突き刺さってしまって痛みが生じる。
綺麗な思い出にしたいものほど綺麗にはなりきれず、上辺だけが輝くもの。
誰に教えてもらったのかも誰と聴いたのかも、もう思い出せないのに苦しく切ない記憶だけが残っている。
人は人を3日で忘れることができるらしい。
その人に会わず、その人と会話もせず、関わらなければ3日で忘れて自分の生活を楽しめるらしい。
寂しい事実と少し救われる能力。
私が音楽に思い出を閉じ込めて時々その蓋を開けて誰かを思い浮かべるように、誰かに私を思い出してほしい、と最近思う。
いつか忘れてしまう記憶を音楽とともに何となくでいいから残しておきたい。
一瞬でも私が生きていたことを誰かに覚えていてほしい。
私がここにいて息をしていたこと、彼を愛したこと、私の浮き沈みの激しい生涯を、なんとなくでいいから誰かに覚えていてほしい。
ほんとに、なんとなくでいいよ。
私が愛した音楽が、私という存在を思い出す小さな鍵になれば生きていてよかったと思えるはずなのだ。
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