シン・仮面ライダーと弱い人間たちの話

昨日シン・仮面ライダーを観た。前評判を聞くに一般評価は良くないみたいで、逆に楽しみだった。

言葉になり難いものを受け取った…。庵野監督に憧れというか、勝手に自分と近い人間かもしれないという気持ちを抱いている。それがほぼ確信に変わったし、やっぱり創作の力を養いたいと思った。

観てすぐに以下のあらすじを書いた。

望まぬ暴力的な力を得た主人公・本郷猛は、自分を改造人間にした博士からそれは君が望んだ事だと告げられる。博士はクモオーグ(敵の怪人)に目の前で殺されてしまい、一人娘のるりこを頼むと遺言される。自身の制御できない暴力に戸惑いながらも、「優しくありたい」父が他人を思いやり殉職した事の意味を心の底から理解したくて、自分も同じく優しくなろうとし人類の敵と戦っていく。

泡沫のObsidianより

この映画で描かれていたのは、ひたすらに弱い人間としての仮面ライダーだった。ヒロインのるりこにコミュ障と指摘され、(描かれなかったけど)様々な経験から力が無い事を痛感し、警察官の父親が他人を思いやって命を投げうった事の意味が分からない。そんな不器用という言葉では表せないような、敢えて言うなら自分を人間未満だと認識して生きてきた主人公・本郷猛の辛かったであろう人生に自分を重ねていた。

庵野監督の作品には弱い人間が沢山出てくる。エヴァの旧劇場版とか分かりやすい、シンジくんも、ミサトさんも、碇ゲンドウも皆弱くてでもかけがえなく生きてる。

孤独を背負って、責任も負って、死ぬまでのリミットに怯えながら人生をかけがえなく生きてる。

庵野さんはシンと名のつく作品を作ってから、また一歩大人になった様に感じた。それは、物語の終わりに明るさを添えるようになったから。シン・ゴジラは人間の強さの話だし、シン・仮面ライダーは(在り方というか精神的に)弱いヒーローに強く居られる理由が宿る過程の話だった。

庵野さんは「創作には人の生きる道を明るくする力が有るし、自分の作品もそうあっても良い」と気付いて、実行している様に感じた。エヴァの新劇場版の制作中に鬱の様になった話と、妻や周りの人の支えでまた制作しようという気になったという話を聞いている。その経験からの変化だろうか。

僕は自分の創作物を省み始めた。友人との話でポロッと言ったのだけど、僕の創作や書き物はいつも「助けて」っていう切実な気持ちを抱きながら作っている。文章にそのまま助けてって書いてはいないけど、いつも何かに追われている気がして、そこから逃れたくて目を背けたくて、そこを発端に何かを作る。

庵野さんの作品にもそれを感じていたけど、シンシリーズを観るに1つ上のステップに上がったみたいだ。創作の力を信じて、そこから明るい影響を注ごうとしている。僕はどうなんだろうと自省する。「助けて」という気持ちでずっと何かを書いてきた。自分に似ていると思っていた庵野さんは1つ先に行った。僕は何をどう作って・書いていこうか。


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