見出し画像

物理的制約を排した「書くこと」を目指して_「思考のエンジン第2章レジュメ」

前書き

この記事はブロガー・作家の倉下忠憲さんが主宰している環読プロジェクトという、1年ほどの時間をかけて1つの本を何人かの方々と読み通す、とても面白い企画の1章毎のまとめの記事です。

参加者は同じ本を一緒のタイミングで読むのもそうですが、Scrapbox(現:Helpfeel Cosense)というメモ・ノート共有サービスにて読書メモを共有しています。参加者同士がお互いのメモを見て、誰がどこの部分に疑問を持ったかなどが共有され、読み方の違いなどを楽しめるので非常に楽しいです。

また来年にも環読プロジェクトについてお知らせなどが有るかと思いますので、気になる方は倉下さんをフォローしてみて下さい。

このレジュメは毎回様式が変わっていきます。編集性の訓練としてそういう風にやっていきたいという思いがあります。あしからず。

2章まとめ

本章では、本書のタイトルにもなっている「思考のエンジン(ライティング・エンジン)」を構想する為の前提知識が確認されます。本章は以下の節で構成されています。

  1. 我、書く、故に我在り

  2. 精神の社会

  3. ソクラテス、彼は字を書かない

この章で通底するテーマは「書くという創造的な行為は技法に還元できるのか?」という疑問についてです。

人工知能学者のミンスキーが書いた「精神の社会」において、知能を持っている様に見える複雑動作(エージェンシー)は、単純な非知能的な動作(エイジェント)の集積として表現できると言います。

その例としては、医者が患者を診断するという複雑な行為を、単純なイエス・ノーの連鎖であると示した、エキスパート・システムが挙げられます。

前章において、「書くこと」を考える上で参考とした書籍「作家の仕事部屋」が本章でも参照され、少々時代遅れにも思える手書きを続けている作家達に共通する、書くことで自分の存在を確かめる感覚というものを2章1節「我、書く、故に我在り」にて取り上げています。

手書きによって自己の存在を確かめながら「書くこと」は、タイプライターを用いて表現したい全体像を求めて書く手つきとは、どうやら違うようです。

2章3節「ソクラテス、彼は字を書かない」では、本という、整然として、中心に在る神(イデア)による秩序立った完成された世界を、デリダの言葉を引用して「死の世界」だと形容します。

現代にも本は有りますが、どちらかというとwebメディア全盛の時代です。webメディアはハイパーテキストの世界であり、個々のwebページ同士がハイパーリンクされ、本の様に閉じて完成された世界観はそこには有りません。

本書で引用される井筒俊彦の言葉が、この状況を上手く指していると思います。以下に引用します。

だが、今は「テクスト」の時代。本が閉じられ、テクストが開かれる。

思考のエンジン p36より

本からテクストの時代へ移り変わってきた事で、安定し完成された「本」と、その完全の中心に在ったと考えられる秩序・神(イデア)の死も、ニーチェが言っていた様に確信めいたものにも思えます。

単純動作(エイジェント)の集積としての知能(エージェンシー)、創造的で自己の存在を確かめる手書きでの書くこと、「テクスト時代」における本を成していたと考えられるイデア(神・秩序)の死。

3節における主要な議題が混ざり合い、創造的な書くことを技法化し、その行為を補佐するモノとしての「ライティング・エンジン(WRIT-ING)」という理想的なワードプロセッサー(エージェンシー)の存在が見えてきます。

次章ではこのエイジェンシーとしてのライティング・エンジンを構成するエイジェントを考える為に、アメリカ合衆国における、「書くこと」を技法に還元しようと試みた文章読本を参照していくとの事です。

あとがき

2章を読むと、本書で検討される事の大枠が提示され、壮大なプロジェクトの幕開けだという気がしますね。

レジュメ作成と、Helpfeel Cosenseによるメモ書き、「思考のエンジン」を読み進める事を相互に繰り返しながら、この大作にしっかりと向き合っていきたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?