あくまでも自分の歩みで

少しずつだけど人生が良い方向に進んでいる気がする。

一時的な浮きとか感情の起伏でも良い。藁にも縋る思いでこの気持ちや体験を心に焼き付けて大切にしたい。

僕は事情があって、自分の家ではなく友達の家に半同棲している。そこのアパートの住人の方とかなりの時間話す仲になったのだけど、今日その方(以下Mさんとしよう)に、君が社会に適応できていないのを初めは甘えとかやる気が無いだけだと思っていたけれど、付き合いを深める内に何かおかしい、この子はこの子なりにもがいているのに上手くいっていない気がする、そういう風に言われた。

今書いていて泣きそうだ。神奈川での仕事をうつ病を患ってから退職して、実家に帰り静養しつつ転職を繰り返していた時期があった。その当時に、兄弟や親にうつ病は甘えだと笑われた事がある。

天涯孤独の人になったみたいだった。誰にも理解されなくて、見捨てられて、ただ呼吸するだけの屍になった気分だった。

安直な言葉だけど、本当に辛かった。

そんな嫌な記憶があって、もう誰にもうつ病を理解されずに一生を過ごすのだと思っていた。先に書いた友達は親友と呼べる間柄なのだけど、彼の僕のうつ病への理解は、ある意味で強いられている様な、崖から落っこちそうになっている人に咄嗟に差し伸べる手みたいな、そんな反射的な理解だ。僕が死ぬ間際に居るから理解するしかない、そういうものに感じてしまう。疑心暗鬼なのは分かっているけれど、でも条件は僕に一方的に有利(死ぬの建前がある)なのだから、友達は不利を背負ってゲームに乗っかっている、フェアじゃないから中々心の底から信頼ができない。申し訳ない。

だけれどMさんは言ってみればほぼ他人で、僕の生き死にの責任は負わないのに、理解を示す必要が全く無いのに、理解しようと、してくれようとしている。

感謝しかない。

心の問題は目に見えない、足の骨が折れた人には誰も「走れ!」なんて言わないのに、うつ病には「甘えてるね」「さっさと働けよクズ」なんて平気で言ってくる。

分かるよ、自分が必死こいて働いて生きてるのに、うつ病とかいう訳の分からない病気を盾に他人や社会に頼って生きてる人を見ると、そりゃ何か文句も言いたくなるよね。分かるんだよ。

誰も悪くないのに、どうして上手くいかないんだろう…。

底の無い穴に落ちて、落ち続けている様な感覚があったのだけど、Mさんの話を聞いてから、どこかにやっと落ちて終わった気がする。

自分の人生は言うまでもなく、自分で歩いていかないといけない。

他者は僕を理解しようとして、社会復帰へのお膳立てをしてくれている。僕はどう前進するのが良いか。

きっと自分で前に歩かないといけない。あくまでも自分の歩みで。


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