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文章をネットに公開して残す事の有用性

※2つのweb上の記事を引用していますが、その内容を読まなくても話が分かる様に書いています。そして、主題は引用記事とはあまり関係していません。

僕は泡沫ゲームという自分のブログを持っています。そこで以下の記事を書きました。その内容はごりゅご(五藤隆介)さんの「アトミック・シンキング」という著書を元に、その中で語られるアトミックノートというデジタルノートの分類を自分なりにアレンジして使っているというものです。

その記事を書いたあと、ごりゅごさんがSubStackにて以下の記事を投稿していました。僕のブログの方で書いたアレンジ内容の一部「用語ノート」に関する、ごりゅごさんの運用法について書かれた記事です。前述した「アトミック・シンキング」にはトピックノートというノート分類が出てきていて、それを用語ノート的に使っているとの事でした。的といっても、内容はまるで正反対ですし、僕の方がトピックノート的「用語ノート」を始めたという方が正しいです。

SubStackの記事の内容に対しても書きたい事(反論ではなく意見の昇華として)はあるのですが、考えがまとまってから、その事は「泡沫ゲーム」にて改めて書こうと思っています。

この記事ではそれとは別で、自分の文章を他人に見える形で公開した時に現れる、嬉しさとその有用性について書いていきます。良ければ、お付き合いください。

書いたものを公開すると、それを誰かが読み、そこから新たな思考が立ち上がる

僕が記事を書いて、それを元にごりゅごさんが新たに記事を書いた、という構図(全体像の見え方)の話です。

もちろん、こういう風に僕が書いた文章を元にして、他の方が文章を書くという話は今までも有ります。けれど冒頭に引用した文章は僕的に根を詰めて理を詰めて書いた初めての文章で、しかもその内容は自分では稚拙に感じていて、正直批判を恐れながら公開した文章でした。

けれども、その公開前の自分の考えとは裏腹に、ごりゅごさんからは批判ではなく、自分はこういう使い方をしているという一種の返事が、そして、考えが整理できたので嬉しいという文章が返ってきました。

以下にその内容が伝わる部分を引用します。

今回の記事は、泡沫さんが「自分なりの運用の仕方」を書いてくれたおかげで、それに刺激を受けて自分の考えを再度整理することができました。

アトミックノートをアレンジして運用している | 泡沫ゲーム

こうやって他の方から意見をいただくこと、自分なりの使い方を紹介していただくことが、一番の考えるきっかけです。

こういう感想がいただけたことが、一番嬉しいことです。ありがとうございます。

とても嬉しい内容でした。またそれと同時に、書いたものを公開する意義を強く感じました。

これはもしもの話ですが、僕が文章を書いたとしても、何かしらの紙やデジタルのノートに書き留めただけでそれを公開していなければ、ごりゅごさんが新たに記事を書くことは無かったでしょう。

それは自分が「文章を書いて公開したから偉い!」という話ではありません。そうではなく、自分が書いた文章の有用性は自分ではほとんど分からない、という話です。

僕はあのブログ記事を公開するのが本当に恐かったのです。人様の本の内容を勝手にアレンジして、あまつさえ、この使い方の方が使いやすいとまで書いてますから(書き方の問題という話もありますね…)。

けれども結果としては、ごりゅごさんはご自身の考えを整理する記事を書く事に繋がり、また僕としても自分の運用法を見直す機会が頂けました。

批判を恐れ続けて公開するのを辞めていたら、こんな素敵な連鎖は起こりませんでした。

自分が作ったものの内容がどんなに自分では拙く感じていても、それを他者がどう感じ・何を思うのかは予想が全くつかないものです

つまりは、公開して、批判を恐れながらも勇気を出して公開してみて、そこから他者の意見の力を借り、より自分の意見を洗練させていく。その営みにこそ批判を恐れながらも文章を公開する意味・意義を強く感じるのです。

この記事に出てくる話は、理想的というか、上手くいっただけのケースかもしれません。それでも、なにか他者の為に役立つのなら、そして素敵な連鎖が起こり、自分の考えをもっとよりよく改善する事に繋がるのなら、僕は書いた文章をネットに公開し続けたいと考えています。

何かが恐くて公開できていない文章はありませんか?

自分ではやっぱり、自分の作ったものの良さは分からないものです。

その文章を誰かは(あるいは連鎖の果ての自分が)必要としているかもしれません。

お読み頂き、ありがとうございました。

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