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いつのまにか、ここにいた

――気がついたら、ここは日常だった。そんなオタクのありきたりなお話。

もう十年目に入ろうとしています。二十一歳を迎える学年に在籍している人間の半分ほどの記憶と思い出の中に彼女たちの存在があり続けているんです。どうしてこんなにも好きでいられるんだろう、嫌いになれないんだろう、とふと考えることも時折あって。
気持ちが離れたことがないと言うと嘘になります。記憶している限りでは確かに三回。その時間は必要だったのだと勝手に納得させて、こうして約十年応援しているのだと公言しているわけです。古参ぶりたいわけではないけど、そこそこ長い時間彼女たちを知っていて応援しているのは単純に自慢できることの一つだな〜とは思ってる。多分それが俗に言うマウントを取る、ということなのだろうけど。

最初に好きになったのは、初めて惹かれたのはグループを象徴する女神とも称された人。当時センターポジションに立っていたから余計キラキラして見えたのかもしれないけど、可愛くて綺麗で憧れのお姉さんだったのは紛れもない事実。真っ白な透き通る肌で弾ける笑顔でステージを駆け巡る姿も凛とした眼差しでパフォーマンスする姿も一生忘れない大切な思い出。
 
次に好きになったのはツインテールが似合う目が大きくてアイドルらしい女の子。こんなことを言ったら怒られちゃうかもしれないけど、当初は二番目に好きな子だった。なのに気がついたらいちばん大好きになっていて、グループを大して知らない当時の友人達に名前や必殺技を浸透させるくらいかけがえのない存在になっていて。きっと彼女がいたから……いや、いたせいで今も離れることができないんだろうな。やさしすぎるきらいがあって、少しの事実を知った今ではどうしてそんなに自分を苦しめる必要があったのかと――何も知らなかった、気づけなかった私は少し思ってしまうけど、そこが惹かれた理由の一つなのかもしれないね。
私が「推し」を語る時、必ず彼女からスタートさせるのは一体どうしてだろう。夢中になってその姿を追いかけて、追いかける楽しさを知って、好きになったことを悔やむくらい私に影響を与えた人だから?
ちょうど一年くらい前、時計の針が更に進んで、私は戸惑ってしまって逆にその針を止めることになってしまったけど、不思議と後悔はしていないんだ。やっぱり怒られちゃいそうだなあ。なんというか、こう、深く触れてはいけない聖域みたいな段階に至ってしまった気がする。でも昔も今もずっと救われているのは紛れもない事実なので何もしない自分ではあるけど、これからのご活躍を心から祈っているよ。あとね、もし何かあった時に頼れる存在がいるというだけで私はもう少し頑張れるんだよ。これからも元気でいてほしいな、たくさんたくさんありがとう。

オタクをしていて一番泣いた夏が終わって秋を迎えた頃に目を奪われるようになった彼女の話をしようか。もう春には推しだったり特別だったり、そういったわけではなかったけど、きっかけを作ってくれてはいたんだけど。ちゃんと推すまでに半年もかかっちゃった。どこを好きになったかなんて覚えてないけど、真っ直ぐさや努力を続けているところ、一歩を大切に踏み締めて歩くところはきっと当時もそうで、そこが私の内側に浸透していったのかなあ。
どうして、なんで、が頭を占めたこともあって。振り返ると私もみんなもきっと本人もギラギラしてて周りは多分怖かったはず。あの時は必死すぎて前しか見ていなかったから仕方なかったかもしれないけど、そのことすらも既に思い出になったしまったのは時の流れを寂しくなってしまうよ。
私は、本当は諦めて欲しくないと思っているけど、そういうことじゃないんだよね。彼女がグループ外で輝ける場所は確かにある。そもそもそこは彼女が自ら掴んでいるのだから、私はその背中を追うことしかできないんだ。走って追いかけないと、彼女はどんどん遠くに行ってしまうから。置いていかれるのが怖くて走るけど疲れて休憩して、少し経ってから前を見ると更に進んでいるからまた追いかけて。そんなことの繰り返しで、立ち止まるのが申し訳なくて、だけどフラフラで付いていくにはあまりにもペースが早くて。申し訳ないと思うことは今までも、これからも、これを書いている最中ですらあって、こんな私が応援していると言っていいのかって思うけど、私は確かに彼女のことが好きなんだ。

最後に太陽みたいな弾ける笑顔が似合う彼女のお話を。面白い子が加入したんだと眺めていただけなのに、その笑顔が私に癒しをくれて、ブログを読むのも楽しくて、気がついたら気になる子になっていた。面白いって言われてるけどそれだけが良さじゃなくて、可愛くて真っ直ぐで綺麗な子だと知ったのはすぐのことだった。立ち位置だとか立ち回りとか不器用なところもあるから、沢山沢山悩んで、腐ってしまいそうになったこと、どうして気づくことができなかったんだろうね。そもそも気づくだとか、気づかないだとか、彼女たちの内側には決して入ることのできないオタクの戯れ言なんだけど、好きだから、知りたいと思うのは仕方ないことだ。
もしかしたら私が気づいていないだけかもしれないけど、ここ最近彼女の心の内を教えてくれることが増えた。それがとても嬉しい。夢や目標を共有してくれるようになった。どんなきっかけがあったのかは分からない、だけど目指すものが明確になったのは救いだと思う。もし彼女が望むものへの道が厳しいなら、私はそっとその背中を押してあげたいし苦しいことがあるなら変わってあげたい。その分、好きが苦しいこともある。好きにならなければ、抱かなかった感情ばかりなんだから。何もしてあげられない自分を悔やんだり、周りの人と比較して落ち込んだり。でも、それすらもいつか思い出になってしまう日が来る。アイドルは儚い。
 
四年半もどうにか目を背けてきたのに、また最後の日までのカウントダウンが始まってしまった。
最初に思ったことは「ああ、そうなんだ」なんて推しに対して思うことじゃないけれど。変に納得してしまった。ここ一、二年ほどいつ卒業してしまうのかと思っていたから勝手に先延ばしにしていたから、ついに来たんだなって。だけど、とてもとても、とーーーってもさびしい。私の入口はアイドルである彼女だったから。
ほんのりであろうと彼女に惹かれた時から数えると、もう五年が経った。あの時はまだ高校生だった。そんな私がもう社会人として毎日働いている。考え方もいくらか大人になった。ただ泣きじゃくっているだけの子供じゃない。卒業に前向きな理由が込められていることも理解も納得もしている。ただ私の心がそれを受け入れているかと言うと別問題だ。
生きるために彼女の存在が必要だった。私の何倍も忙しくて、やることもやらねばいけないこともある、時間が足りないなんて感覚は私には分からない。だからこそ、私は彼女を尊敬しているし憧れている。私には何もないから。好きなものをきわめて、努力をして実を結んで。私にはできないこと。それをやってのける彼女は自慢の推しメンだった。
 
私も固執をしていたが、やはり多くの人も「選抜」という枠に彼女を入れたがった。では、もし選抜に入ったら?もっと彼女の負担が増えるのでは?個人仕事の数が圧倒的に多くただでさえ忙しい。それに加えて、選抜メンバーとしてのメディアへの露出も増えるのか、と。そう考えると、選抜にこだわり続ける必要はなかったのではと思う。だから申し訳ないし、後悔している。

いつから変わってしまったんだろう。一緒に変わることができたらきっと楽だったのに。

応援していた時間を振り返ると、良い思い出ばかりだ。初めて握手した日、主とも呼ばれた配信を見た日々、名前を呼んでくれた日、パフォーマンスに目を奪われた日、彼女のことが好きで好きで、必死に背中を追いかけた時間は何よりも大切な財産だ。
 
「味方」という表現が好きだった。これからもずっと私は彼女の味方でいたいと思う。私の生きる糧になってくれた彼女がこれからどんな道を歩むのか、私はその背中を追い続けることができるのか、今はまだ分からない。だけど確かに言えるのは、私は彼女に出会ったからまだ頑張れているということ。
最後の日には笑って「これからもよろしくね」と伝えてあげられるように、残り一か月も過ごしていきたいと思う。
 
 
最後はつい彼女の話になってしまったが、私は乃木坂46というグループが何よりも好きだ。応援をやめようと思ったことも数回、向日葵のようなあの子が卒業したらきっともうここには戻らないと思う。だけど、支えだったグループが存在し続ける限り、私の心はここにあるのだと思う。