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過去と今のこと

お疲れ様です、こんばんは。
今日もとっても疲れてしまいました。そろそろやらかしが露呈しそうで本気で焦ってます。

今日は推しさんのお話を。

三月で推しさんを応援し始めて丸三年!
もう四年目になります。
当初はここまで応援するとは全く思っていなくて、結構想定外の出来事。

コロナ禍を共に過ごせたことが大きかった。
日常が日常じゃなくなった時、色が抜け落ちたようにつまらなかった日々を推しさんが楽しませてくれて、私の一日に彩りを与えてくれて。

「死ぬんじゃねえよ」
は身体的面だけじゃなく、精神的面もあるということ。

きっとご自身も出演予定の舞台が延期になったり中止になったり、それこそ感染に対しての恐怖心や不安もいくらかはあっただろうに、こうしてファンである私たちに希望の言葉をかけてくださったやさしさに惹かれていったんだよなあ。

知った当初は、推しさんのことを「こわい」って思ってたのは珍しい感覚のような気がする。
だってこんなにも いい人 って存在します?

悲しいことに言語化が難しいのだけど、底知れぬ雰囲気が当時の私はこわかった。
猫をかぶっているというかこうしたらこう思われるだろうって計算してそうだな、壁を作ってそうだなって感じてた。あと普段の生活であれば絶対に関わるタイプの人ではないなって。
それは私の推測でしかないし、一定のラインは絶対に必要だけどなんかこわかったんだよね。

当時書いた日記によると、
素を知ってから本格的な演技を見るという矢印が原因なのかなって言ってる。確かに何かしらのお芝居をきっかけに、その俳優さんのことが気になるって矢印の方が多いから、それが逆になってしまったのは理由の一つになりそうだね。

あと推しさんの一人称、私が出会った最初の方は「僕」だった気がするんだよね。
最近はあんまり意識しなくなっちゃったんだけど、今はなんでしたっけ……?有識者〜〜〜〜😭😭


ここからがタイトルの話になるのだけど、
私はあんまり過去のことを振り返らないな〜って。

推しさんの過去の出演作品でみたかった…って唸ったものはいくつかあるのだけど、それを本気で得ようとしたことはないなって最近お知り合いになった方を見てふと思って。
これは応援のスタンスに対しての良し悪しの話じゃなくて、私はどうしてこういう考えなんだろう?ってただ考えるnoteです。人には人の乳酸菌というように人には人の応援の仕方がありますから……!

以前乃木坂ちゃんに対してかいたものになるけど、

私は「今」がいちばん楽しいから。
いつか思い出になってしまう「今」を楽しまないと勿体無いと心のどこかで思っているのだと思う。

ただでさえ容量も悪いのに界隈をいくつか掛け持ちしてて、労働したくな〜い‼️って日々憂鬱な中に、振り返る時間があると頭を使うじゃないですか。
推しさんを追いかけるのは楽しい時間でありたいけど、義務化したくないし、だったら敢えて手放す判断をするのもいいのかなって。

…とかっこつけてるけど、
ゆるゆると沼にハマっていった結果、過去を見る間もなく供給が多過ぎたというのが理由です。多分。

だってコロナ禍の時、ほぼ毎日配信してたもん。
追いかけないと置いていかれちゃうから🥲
その時は頑張って配信見るために時間作ってたし、今もお知らせがあると用事を済ませるようにしているけど、それは「今」しかリアルで味わえないからであって……

推しさんが残してくれた言葉はすごく大切にしているけど、物理的にアーカイブを聞き直したり…っていうことはあんまりしなくなっちゃった。
これは昔からだけど、私はリアルタイムで放送されたものの録画とかタイムフリーは苦手で。その時間を共有できることに意味を感じているんだろうね。

誰かの応援の仕方を責めたり、私自身を正当化したりしたいわけじゃないんです。だけどこのnoteがそういう風に捉えることができるものになっていたら本当に申し訳ないです。ごめんなさい。

最後に。
どこ目線、誰目線、大して詳しくもないのにって話だけど、わたしはこれからも推しに対して誠実でいたいし、いいファンのひとりでありたいな。