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2024/3/9 母の愛、わたしの呪縛

土曜日。実家にいる母と外出する。
すこし散策したあと、ショッピングモールのイタリアンレストランに入って、おいしいパスタを食べた。店内は騒がしくて、ときおり子供が泣く声が聴こえてくる。
「子育てって大変だね」とわたしは何気なく言うと、母は笑った。
「あなたもしばらくしたらわかるわよ」
母は、わたしがそのうち母親になって、子供を産むことを当たり前のように思っている。
わたしは優しい母のことを、母親としても好きだし、一人の人間としても好きだ。

書き手であるわたしは発達障害(自閉スペクトラム障害)として生まれたが、それがわかったのは成人になってからだった。つまり、子供のころはわからなかったし、母もわたしのことを健常者だと思って育てていた。
発達障害だとわからないまま育て上げたわたしの母はすごいと思う。苦労したに違いない。子供のころはいろいろ叱られたし、怒られたりした。そして、わたしは自分がなぜ怒られているのかわからなかった。
本や勉強の知識はあるのに、人のこころが「ある」ということがわからない。人の気持ちもわからない。わかろうとしても失敗する。挫折に挫折を積み重ね、学校にいるのがつらくなってしまった。それは小学生から大学まで続いた。
「なぜわからないの」の言葉は、いろんな場所で言われた言葉だ。
あなたは人の気持ちがわからないでしょう、ということを言われ続け、「人の気持ちには必ず寄り添う必要がある」「わからなければいけない」という気持ちが、強迫観念のように染みついてしまったことに気づく。
もちろん、共感することが悪いわけではない。問題は、何が起こっているかを表面だけでしか理解できず、他者に怒られないためだけにその場を取り繕ったり、反対に、自分をわかってもらおうと他者に無理やり強制させようとしてしまったことだ。
おそらく、わたしと同じような道をたどったアスペルガー当事者は、少なくないんじゃないかと思う。

これははたして、何に問題があっただろう。
「人の気持ちに寄り添うように」と言った母は間違っていない。「あなたはわかっていない」と言った環境が悪かったとも言えない。
ふつうの人が出来ることが出来ず、学生生活をずっと死にたいと思いながら過ごして、メンタルをすり減らしながら社会人をやっている今、周りと自分の人生があまりにも別世界であることに愕然とする時がある。
たまに、周りの幸せな人たちの声に、わたしの呪詛はかき消されてしまうな、と思う。
それもまた歪んでいて、「全員に自分の悲しみをわかって欲しい」「孤独が怖い」という気持ちから端を発していることに、うすうす気がつき始めた。
自分が障害者として生まれたことが悪いんだろうか?
だとすれば、これから自分の人生を変えることが出来るんだろうか?

母とパスタを食べ終えて紅茶を飲んでいた時、母は笑いながら話し始めた。
「そういえば、高畑充希ちゃんっているでしょう。あの子、あなたに似ていると思っているのよ」
「そんなわけないでしょ。わたしはそこまで顔が整ってないよ」とわたしも笑った。
本当にそんなわけがなかったので、わたしは笑いながら、心の奥で少しだけ泣いた。