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林羅山と富士山

自分の住む富士宮市や隣の富士市では、林羅山(はやしらざん)の名前がよく知られています。いま現在、富士山の祭神及び浅間大社の祭神は木花咲耶姫とされ、その咲耶姫を祭神と定めたのが林羅山であると伝わるからです。

自分は富士宮に来て郷土の文化に興味を持ち、富士の竹取物語などについて調べるうちにその名を知り、随筆として発表させていただいた後になって、林羅山がすでに街では知られていることを知りました。

林羅山とは

林羅山について簡単に説明すると、江戸時代の学者で、徳川家康の右腕の一人です。希代の天才で、広く学問に精通し、朱子学を重んじたといわれます。

才覚を認められ、幕府の要人となった折、朱子学を幕府の官学とします。そして丙辰紀行という書物の中で初めて「富士の祭神を木花咲耶姫と定める」旨を記しました。

林羅山にはひとつの特異なエピソードがあり、それは「一応は仏教の僧の身分でありながら仏教を批判し、神道を推進させたこと」です。

自分が以前に書いた随筆文の中では、林羅山の目的というのは予想しかできず、詳しく書いていないのですが、実際のところは仏教徒との衝突から生まれた推進の形だったのが事実といわれます。羅山にとって仏教とは知識のひとつでしかなかったのか、単に気に食わないお坊さんがいたからそれごと嫌いになったのか、どちらかです。

林羅山について詳しく調べれば、仏教徒との衝突の話などはたくさん出てきます。結果として江戸時代には排仏論ができ、明治時代には爆発的に大きくなった、というのが大まかな転換の歴史です。羅山は当然のように仏教徒からは嫌われ、神道の人からは特に…というような印象で今の時代もある、といいます。まあ聞いた話です。

富士山の麓の街に残る神仏の伝統

富士宮や富士のように、大きな神社もあり、あらゆる宗派の御寺が残る街は、宗教を取り巻く歴史が他の街より根深いです。ましてこの街には富士山があり、その祭神は神道の女神。元を辿れば日本の中枢なのでどうしても揺るがなく、今の情勢の大元ともなっています。

日本の歴史を紐解けば、仏教無くして文化の発展もなかったように思えますし、かといって神道がなくては日本の今の政治や統一もなかったようには思えます。これらは相対するようで、その実は絶妙なバランスを保っているようにも見えるのです。

他の都道府県の人(奈良や京都以外の人)にはどうも想像しにくいのかもしれませんし、富士の麓で生まれて他の街で暮らしたことのない人にもまた、その特殊性は実感しにくいのかもしれません。事実、富士宮と富士市以外の静岡県内に住む自分の友人たちなどは、富士山の表口であるこれらの街へ特異な印象は確実に持っているそうです。

自分はそれほど宗教色の強くない街で生まれ育ち、富士宮へ移り住んでみた身なので、この街の役目というか格別な立ち位置というのは強く感じます。またもう少し多くの人から注目されて然るべきでないのかな、とは思い続けています。林羅山や神仏の歴史を好くか嫌うの話ではなく、まず知ってみることとして。