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万年筆への思い

個人的に、万年筆という文房具に惹かれているということも、私が取り扱い文具の主たるものを万年筆インクにしたいと考えた要因のひとつかもしれません。

私の祖父は、仕事で万年筆を使っていました。普段の日記を書くときなども万年筆や筆ペンを愛用していたようです。祖母との2ショット写真や遺影にも、その万年筆は祖父と一緒に写真に収まっています。愛用していたであろうその万年筆は残っていないのですが、何故かカートリッジだけはキチンと残っています。いつか祖父が使っていたものと同じ万年筆を手にしたいと思い、そのカートリッジを手がかりに万年筆を特定しようと、実家のある地元老舗文房具屋さんにお伺いしたりもしました(その節は大変お世話になりました)。

結局特定することはできなかったのですが、祖父が使っていた万年筆メーカーのカートリッジは今のモデルでも使えるだろうということなど、色々と親切に教えていただいたので、そのカートリッジを使えるモデルで、出来るだけ祖父が持っていたものに近い万年筆をいつか手に入れるのが夢のひとつです。

そして、白秋さんも万年筆を愛用していました。

今はもう存在しない『オノト』という万年筆。

明治45年に丸善さんが発行した『萬年筆の印象と図解カタログ』に、オノト万年筆を題材にした白秋さんの詩が掲載されています

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↑昨年入手した、カタログの復刻版です↑

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ONOTO

わが取る”Onoto”こそ泣かまほしけれ。
そと持てば、ヴエルレーヌたんぽぽに寝ね、
バルナツシヤンの春の名残か、飛ぶ燕。

わが取る”Onoto”こそ泣かまほしけれ、
手あたりのよさはおかるののべかがみ、
手利劔をうつ五右衛門が見得。

わが取る”Onoto”こそ泣かまほしけれ、
驚いて蜜蜂の尻をつまめる
メエテルリンクの目付、わが目付。

わが取る”Onoto”こそ泣かまほしけれ、
鍼醫の針か、しみしみと、意氣で高尙な手ざはりは
シヨウか、ロチイか、輕るいロダンの素畵か

わが取る”Onoto”こそ泣かまほしけれ、
⾭きインクのあやしさはこれ新内の幽靈の
泣いて消えさるさざめごと、ロウデンバッハの羽の音。

わが取る”Onoto”こそ泣かまほしけれ、
またある時のかなしさは 3333333333…………のかたちにて
蟻匍ひいづる楡の木かげのわがうれひ。

わが取る”Onoto”こそ泣かまほしけれ、
げに神通は孫悟空がかの如意棒に似たれども、
さりとては戀のかごとの自由ならぬわが世くるしき。


ちなみに詩の後半、恋のことについて詠んでいるな…と思ったんですけど、この詩が掲載された時期(冊子が発行された時期)を知ると、何となく察することができる気がします。

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例の事件、『桐の花事件』の直前なんですよね。収監されるのが、7月5日なので。

そういう時期に、この詩を編んでいたんだなぁと…( ˘ω˘*)


白秋さんも愛用したオノトの万年筆、いつの日か一目、本物にお目にかかれたらいいなと思っています。