おやすみ、世界
-prologue-
枯れゆく世界
灰色に
もっと灰に
冷たく 哀しく 残酷に
白いベッドに横たわる骸
よく歌を歌っていた
口ずさむメロディーは
聞いたこともないのに
どこか懐かしく
イラつく裏で癒されて
あの声を 欲しいと思った
カケラも醜さ 濁りのない存在
天使がいたなら きっと
きっとあんな風
欲しかった
白い指も 透明な美しい横顔も
無垢な瞳も 薔薇の花びらみたいな
ビロードの紅い唇も
全部欲しいと思った
肌も心も声も全部
なのに
俺はアイツをめちゃくちゃに
穢して 痛めつけて 傷つけてばかりいた
『好き』
という たったひとつの簡単なことがわからなかった
俺はアイツを愛していた
なのに
なのに
なんて言った?
その目で見るな と
俺を慕うな と
だからアイツは……
枯れてゆく 俺の世界
廃墟に朽ちた天使
できるなら
できるなら
あの日
出会ったあの瞬間に戻って
どうか……
【01】天使降臨
廃墟だ
埃まみれ 砂塗れの地下世界
ここはこの国の最下層の人間の住むところ
俺は空を見たことがない
もちろん
太陽も月も
だって空がないんだから
ここにあるのは錆びた鉄の天井と
バカでかい工場
工場の煙突から出る黒い煙
いつも生ぬるい風
ヤク中とアル中
皆 薄汚れた服を着ている
此処には美しいものなど
ひとつもなかった
ただ、時々ひとつしかない
エレベーターから
『上』の人間が降りてきて
工場で作った【エナジー】とよばれる
石を取りに来る
あんなでっかい工場で
大勢の工員が一日中働いて
できる【エナジー】は
わずかだ
なんでも
上の世界では
その【エナジー】がないと
生活が成り立たないとか
なのに給料は雀の涙ほどだ
上の奴らは下の人間を
同じ人間だなんておもってない
軽蔑して
ああはなりたくない
そう思ってる
エレベーターになんとかのりこんで
上に行こうとする奴もいた
だが
必ずそういう奴は
死体でエレベーターを降りてきて
その辺に捨てられた
そんなことが続いて
今ではもう誰も上に行こうとする奴はいない
俺は 工員よりもっと酷い
生まれつき喘息で
工場で働くと咳が止まらなくなる
だから 働くこともままならない
親もいないから
ガキの頃から
危ない薬の治験を請け負っていた
毎回命懸けだ
上の人間が安全に薬を使うために
俺はいつ死んでもおかしくない
危険な薬を体に打っていた
それでもわずか 金が手にはいるからまだマシだ
此処で生まれて
働けなくて
飢え死んだ奴ははいて捨てるほどいた
給料は少ないが
少しのパンとソーセージ
飲める水
それらを買って
何とか生きている
俺はここではマシな方なのだ
そう
言い聞かせることで
何とか人間としてのプライドを
保っていた
そんなある日
夕刻
廃品処理場で
俺は
大変なものを
見つけてしまった
壊れた旧式のパソコンが
そこにはたまに捨てられていたから
それらを修理して
ゲームをするのが好きだった
その日も
パソコン目当てに 廃品処理場に行った
すると
山積みになった
ラジオやらコンポやらパソコンの山の上に
あまりにふんわりと
眠り姫のように
目を見張る程に美しい天使が
眠っていた
羽根はなかったのに
あまりに美しくて
裸足の足も
長い髪も
白い肌も
甘そうな頬も
あまりに美しくて
天使だと思った
俺はいそいで
天使を抱き抱えて
逃げるように
家へ走った
天使を盗んだ!
俺は
天使を盗んだんだ!
罪悪感よりも
興奮が勝った
盗んでどうするかは
考えていなかった
ただ
生まれて初めて見る
美しいもの
それを手にいれたことが
とてつもなくうれしかったんだ
【02】淫婦
「ありがとう」
天使は、天使に相応しい美しい声で言った
「私をたすけてくれて」
瞳を開いた天使は 本当に 美しかった
そしてこう言った
「お礼に夜伽を」
女は天使ではなかった
ただの娼婦だった
姿形だけ美しい
ただの女だった
年は18 リユという名だと言った
もっと幼い頃から
高級娼婦をしていたと
官僚専用の娼婦をしていた
と言った
すっかり気落ちした俺は
一度は断ったが
姿形だけでも美しいのだから
夜伽だけでもさせようと
ぶっきらぼうにベッドに引き摺り込んだ
女は仕草はどこまでも上品で
優雅で 美しくて そして上手かった
その手慣れた姿に
俺は果てながら涙を流した
なんて醜い
美しいからこそ
実際醜いものより
醜く見えた
天使が淫婦なら
それは大変な穢れじゃあないか
裏切りじゃあないか
ならばもっと
もっと
この手で穢してやろう
俺は女に憎しみさえ抱き
そう
心に誓った
深く
強く
誓った
【03】リユ
私は両親に高級娼館に売られたの
仕事は辛かったけれど
自分にはこれしかないんだと思った
自分の価値は夜伽しかないのだと
そう思うのは辛かったわ
悲しかったわ
でも 私って本当にバカで
他のこと何も知らないし できない
だから仕方ないと思ったわ
でもある日
この国の一番偉い男の人と一夜を過ごして
その時その人は いきなり現れた
その人の息子に撃たれた
血が飛び散って怖かった
とても怖かった
そしてその場面を目撃してしまった私は
処分されることになった
だけど娼館の姉さんが
牢に囚われた私を助けてくれて
地下に逃げられるように手配してくれた
真夜中牢屋を抜け出して
エレベーターの警備員に睡眠薬いりの
お酒を姉さんが振る舞って
ひとり
エレベーターを降りた
怖かった
不安だった
エレベーターを降りて少し歩いたけれど
私はずっと眠っていなくて
疲れも限界で
なんでそうしたのがわからないけど
廃品が沢山積み上げられた場所に
入って行って その上で力尽きた
もう死ぬんだ
そう思っていたのに
目覚めた時 驚いたわ
薄汚れてはいるけれど
美しい青年が目の前にいて
私に優しく水を与えてくれた
普段お相手している男の人は
皆父親か それ以上の年齢で
こんな若くて 美しい男の人
初めて見た
だから
沢山お礼をしたいと思ったの
助けてもらって
優しくしてくれて
ありがたかった
でも
私が『夜伽を』というと
青年の顔はみるみる曇っていった
その意味が わからなかった
夜伽をするといえば 男の人は
喜ぶとおもっていたから
そして青年は 貴方は 最後 涙を流した
私 どうして貴方が
泣いているかはわからなかったけど
どうしてだろう
それが凄く 凄く
美しいものに思えたわ
貴方の涙が
純粋で 無垢で 綺麗な涙に思えたの
その瞬間
恋をしたわ
恋なんて したことなかったから
自分でも驚いたわ
でも
確かに恋をしたの
私
恋をしたの
なのに
ああ
神様はなんて意地悪
貴方は
次の日から 私に客を取らせたわ
食わせてやるから働け と
貴方に恋をした私は
もう貴方以外とするのは
苦痛でしかなかったのに
貴方の前で 数人とすることもあった
舌を噛んで死にたかった
でも 私は歌を歌ったわ
せめてもの愛を伝えようと
愛の歌を歌ったわ
行為が終わった後も
貴方が寝付くまで
歌ったわ
優しい 愛の歌
貴方を慕う 哀れな私の心は
歌を歌う時だけ救われたの
【04】リユとルル
「今日は客がこねぇな」
「暑いもの あたりまえよ
それよりルル、たまにはこの働き者に
ご褒美でもあげようとおもわない?
私 アイスクリームが食べたいわ」
「アイスクリーム? なんだそりゃ」
「知らないの? ミルクを冷やしてクリームにしたものよ 甘くて冷たくて おいしいの」
「そんな洒落たもんはこんな地下にゃねーよ
冷たいもんなら ラムネならあるが」
「ちゃんと二本あるの?
私の分も買ってくれたの? 嬉しい!」
「両方自分で飲もうと思ったんだよ」
「照れてる?」
「照れてない」
「ラムネって 空みたいな色ね」
「……空ってどんなだ?」
「見たことないの? 青くて 高くて 白い雲が浮かんでて……ラムネみたいに素敵よ」
「ふぅん」
「ラムネ ちょうだい……ああ、美味しい!歌いたくなっちゃう」
「オマエがいつも歌ってる歌」
「うん」
「何てタイトル?」
「夕闇、詩を喰む」
「ふぅん」
「恋の歌よね?」
「違うだろ 世界が終わってゆく時の歌だ」
「世界が枯れても愛してるって歌詞じゃない」
「まあどこにフォーカスするかは人によるな」
「恋の歌」
「破滅の歌」
「子供ね」
「どっちが」
シュワシュワ
青い瓶
空みたいに青い
そして2人は
勝手にしゃべって
歌って
出鱈目な作り話で
いつまでも
囀り合う
ぬるい風も
砂埃も
暑さも
今は
今だけは
感じずに
互いだけを感じていた
……感じて いたかった
【05】ただ 空に憧れて
雲行きが怪しくなってきた
どんなに憎んでいても
情がうつるものなのか
それとも 姿形が美しいからか?
違う
リユは
一緒に暮らしてみれば
ただ優しくて 純粋で
娼婦をやっていたのも
親に売られてしかたなく
自分の価値はそれしかないと
思っているだけだった
これじゃあ
憎む理由がないじゃないか
俺は困惑していた
そんな時 チャンスが訪れた
俺が懇意にしている治験の担当者が
体を壊して仕事をやめるという
金を払えば 代わりに 俺にその仕事を
引き継ぐと言う
それは 上の世界で生活できる
ということだった
リユは連れていけない
重要な秘密を知っているので
上に行ったら間違いなく殺される
まてよ
リユと離れるいい機会じゃないか?
リユといると
どんどん自分の中に知らない感情がうまれて
苦しい
だったら離れたら
けど
リユひとりを置いて行ったら
アイツは生きていける?
ひとり
生きていけるか?
たまに
様子をみにくれば……
治験の担当者なら
上と下の行き来が可能だ
そうだ
時々様子をみにくれば
夜
アイツが寝たら
俺は家を出る
この廃墟ともおさらばだ
俺は上に行って
そして
太陽と 月と 空と 雲
綺麗なものをいっぱいみるんだ
金ならある
リユが身体を売って
得た金は
決して少なくなかった
上で
暮らせる
リユを捨てて
俺は
そして数日後
俺は本当に
エレベーターを昇っていた
リユになにも告げず
ただ 空に憧れて
【06】人魚姫
愛しい人は 行ってしまった
私を置いて
きっと私が疎ましかったのだろう
追いかけようにも
私は地上にいけない
いわば人魚姫
この声を捧げれば
貴方の元にいけますか?
ラムネを買ってまっています
貴方は帰ってきてくれるかな?
私
もっとお仕事頑張るから
お金稼ぐから
貴方が上に行ったと聞いた時は
悲しかったけれど
たまには寄ってくれるよね?
そうしたら私
お金を渡すわ
そうしたら
貴方は喜んでくれるかしら
喜んで
またきてくれるかしら
そう願って
毎日待っているのに
貴方は来ない
今日も貴方はこない
でも
いつか
ぜんぶあげる
だから
会いに来て
歌う歌は恋の歌
貴方を慕う愛の歌
風に吹かれて
この
空も 花も 太陽もない場所で
貴方を待っています
【07】大富豪
上の世界に行って
治験の仕事をこなしながら
隙間時間に作ったゲームがバカ売れした
その売り上げで株を買って
それがことごとく儲かった
俺は一気に大富豪になっていた
プールと温泉付きの豪邸も買った
外車もいくつも持っていて
使用人も大人数だ
毎日美味いものを食い
ジムに通って健康を保ち
パーティーと女に明け暮れる毎日
夢のようだった
あの最下層だった人間が
今では上流階級の仲間入りだ
綺麗な服を纏い 外車に乗り
高級シャンパンを飲む
過去のことは全て薄れていった
空が青いことも
月明かりが明るいことも
雲が流れて尾をひくことも
太陽が明と暗をつくることも
もうどうでも良かった
リユのこともすっかり忘れて
俺は毎日楽で楽しい暮らしをしていた
ゲーム会社も作った
作ったゲームはバカみたいに売れた
売り上げで株を買って
また大当たりした
俺はもう
金にしか価値を見出さない人間になっていた
友人が名画を買ったと言えば
それ以上の名画を買い
ハイブランドの時計を買ったといえば
ハイブランドの中でも
一点ものにこだわって買った
楽しかった
ただ 楽しかった
だが
幸運はそう長くは続かなかった
株が大暴落したのだ
ゲーム会社の方は
乗っ取りにあい 社長を解任され 解雇された
友人たちは金がなくなったと知ると
素知らぬ顔で遠ざかって行った
治験の仕事はもうしていなかったので
俺は一文無しになった
そうして全て失って
空を見た
そうだ
俺はただ空が見たくて
上に来たんだ
急にリユとの生活が懐かしくなった
リユに会いに行こう
そう思った
俺は長い夢を見ていたんだ
気づけば三年が経っていた
地下に帰れば
何もかも元通り
頭の鈍った俺は
お気楽にそんな風に考えていた
【08】帰還
エレベーターを降りて地下に降りると
嗅ぎ慣れた悪臭と砂埃とぬるい風が
俺を迎えた
廃墟を改造しただけの
コンクリート打ちっぱなしの
我が家に帰る
と
中はシン と静まり返っていた
なんだか不吉な予感がして
肩をすぼめる
ベッドに影があった
「リユ」
リユがいたことに安堵した
と
ゆっくり返事が返ってきた
「ルル?」
声はやけにしゃがれていて
か細かった
ベッドに近づき カーテンを開くと
リユが横たわっていた
まるで
まるで
20年は時が経ったような
年老いた姿だった
本当にリユなのかと疑うほどだったが
顔つきは確かにリユの面影があった
ガリガリに痩せて
髪は白くなり
腕には注射針のあとが
隙間ないほど埋め尽くしていた
「恥ずかしいわ
私 お婆さんになったでしょう
薬を打てばお金をもっとくれるというから
毎回打ってたらこんなになってしまったの
今では特殊な性癖のひとしかこないわ
でも お金は貯めてあるの
ぜんぶ ぜんぶ
ルルにあげるわ」
そう言って さらに細くなった指で引き出しを指差した
そこには
リユが三年間
必死で貯めたであろう金が入っていた
それは 上での生活の
使用人一人分の 一ヶ月分の給料よりも
少なかった
突然 俺の中に
リユの三年分の辛さと 切なさと
孤独と 覚悟と 悲しみが
流れこんできた
俺は
涙が次から次へと溢れ出し
後悔と罪悪感と
訳のわからぬ恐怖に
打ち震えた
そんな俺を
慈愛に満ちた目で見つめて
リユは言った
「歌でも歌いましょうか?
貴方の好きだったあの歌」
しゃがれた
掠れた声で
リユは歌い出した
恋の歌
または
破滅の歌を
「やめてくれ!」
俺は思わず叫んでいた
こんなになっても
俺を愛しているリユが怖かった
「どうして?」
「聞きたくない」
「じゃあこっちにきて
顔が見たいわ」
抗えなかった
強い願いは
絶対の命令のようだった
近づくと リユは手を伸ばして
俺の頬に冷たい指先を当てた
「ルル ずって待ってたわ」
愛おしげな瞳 仕草
俺は苦しくて
自分のしてしまったことに恐怖し
リユの愛に恐怖した
だから
だから
凍りつくような冷たい声で
まるで自分のこえではないような声音で
こう言っていた
「その目で俺を 見ないでくれ
俺を慕わないでくれ」
リユがどんな顔をしたのかわからない
けど 息を飲むの音がはっきり聞こえた
「ごめんなさい わかったわ それじゃあ」
目の前で何が起こってるのか
わからなかった
ミシリ
という音がして……
「うわああああああああ」
ポトリ
リユの白い棒切れみたいな指から
床に
眼球が転がった
世界が灰色になる
枯れてゆく
俺と リユの世界
糸がぷつりと切れた
俺は
奇声を上げてうずくまった
意識を失うまで
さけびつづけていた
-epilogue-
冷蔵庫のモーターの
音だけが響く部屋
あれから何日か経っていた
灰色だけが静かに降りゆく
ふらり 青年が立ち上がった
よろよろとベッドに近づき
腐敗し始めた死体に手を伸ばす
死体の目から涙の様に
蛆がこぼれ落ちるのも気にせずに
頬に己の頬を当てる
「綺麗だ……リユ」
うっとりと
陶酔したように呟く
……おやすみ リユ
そして永遠に
『おやすみ、世界』
〈了〉
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