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無意識を育むのは?

最近はめっきり投稿数が減りましたが、相変わらず「歌声紀行」は続いています。日々のメモは膨大ですが、noteで考察するにはあまりに過去の反復や、同じ事の解釈の違いであったりすることが多く、これまで考察した様々の組み合わせが、延々と行われています。

新しい発見があったとしても、それは過去のAとBの解釈にCの見解が加わるようなもので、その中にはDやF、HやZなど、あらゆる補助的要因が絡むため、なかなかまとめ上げることが難しいです。

過去の記事が売れたりすると、それを読み返す機会になったりもして、今はそれがきっかけでかなりいい感じです。

そんな現状ではありますが、最近読んでいる本の中で、意識に関するとても共感できる一行に出会いました。

「意識的な行動は、徹底的な練習によって無意識へと移行させることができる」

僕が目指していることは正にそれで「無意識」、つまり自然な振舞いとしての歌が、自分にとって最適の音であるように試みるための訓練と言えます。

日々書き込まれるメモや録音は、積み重なり、忘れられ、また掘り起こされ、僕の歌声は常に意識と無意識を行ったり来たりしていますが、その複雑な工程は全てが調和という目標に向かって進んでいます。

また、その目標にたどり着くまでに、どれだけの意識を無意識に昇華したのか?は、技術の転落を防ぐことにとても役立ちます。

例えば、無意識の素晴らしい技術も、一つの歯車が狂うと途端に崩壊する危険性がありますが、その時に助けてくれるのが意識的な過去の経験であり、その数が多いほど問題の解決に応えることができるのです。さらに、転落から回復した後は、さらに良い地盤が形成されていたりします。

歌声の録音と検証も、正にその繰り返しです。

僕は今、膨大な意識と無意識の海の中で反復する波に揺られ、大きな潮の流れを見つけたり、時には見失ったりして歌声を航海しています。

そして「意味のある意識的な繰り返しを見つけ、それを無意識に変換すること」その繰り返しでしか手に入らないものが確かにあると実感しています。

読んでいた本は歌や音楽の類ではありませんでしたが、手中に無い無意識を育むのは「意識的な反復」なのだと、思いがけず歌声紀行の原理的なところを実感させてもらいました。
ちなみに、何の本を読んでいるのかと言えば、こちら。

LIFE3.0──人工知能時代に人間であるということ 
マックス・テグマーク (著), 水谷 淳 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/dp/4314011718?tag=googhydr-22&linkCode=ogi&th=1&psc=1


人類の今と近未来について、とても興味深く読んでいます。





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