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2021年8月9日が振替休日とされたことに思う

 8月9日は長崎に原爆が投下された長崎原爆忌である。1945年8月9日、この日浦上天主堂では洗礼後に犯した罪のゆるしの儀式「ゆるしの秘跡」が行われていた。しかし、原爆投下によって浦上天主堂にいた司祭、信徒は全員死亡した。このことが何を意味するのかと考えずにはいられない。浦上天主堂も被爆の影響で痛ましい姿となった。

 被爆した後の浦上天主堂を残すか残さないかについて議論になったが、最終的には撤去という形となった。現在も浦上天主堂には遺構の一部があるが、被爆した元の建物それ自体が残されなかったことは残念でならない。

8月9日が振替休日に

 今年は8月9日が「山の日」の振替休日となる。当初、政府は8月9日を「山の日」として祝日とすることを検討した。オリンピック開催の都合により8月9日に「山の日」を移動する予定だったのだが、そこには長崎原爆忌のことを微塵も感じていない様子をうかがい知ることができる。当然被爆者を中心に抗議が起こり「五輪延期に伴って、単純に祝日の日程をスライドさせるような感覚を疑う。まるで原爆の惨禍を忘れているかのようだ」(長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会川野浩一議長)との意見や「『8・9』を祝いの日とするのは、鎮魂と祈りを軽視した発想で、被爆地をばかにしている」(被爆者の声)といった意見が続出した。結果、妥協的に8月8日を「海の日」とし、振替休日の形で8月9日を休日とすることになった(※1)。

 しかし、祝日の代わりとしての振替休日を8月9日に設定することは、本質において鎮魂の日、不戦の誓いの日として祈念することを軽視する効果を生み、被爆者への侮辱、嘲笑でしかない。政府による8月9日の祝日化を目指した動きを見過ごしてきた私たちのあり方も問われよう。(※2)

長崎市長、本島等の昭和天皇戦争責任発言

 私が長崎の原爆に関連したことで印象に残っていることは、元長崎市長の本島等が昭和天皇には戦争責任があると主張したことである。この発言は保守勢力、右翼からの反発を受けて発言の撤回を強要されたのだが、本島は発言の撤回を拒否した。その結果、本島は右翼に狙撃され重症を負った。幸い命は助かり後遺症も残らないで済んだことが何よりであったが、狙撃当時中学生だった私は、中学生ながらに天皇制のタブー、戦争責任のタブーというものの恐ろしさを直感的に感じた。

 その後も本島は長崎原爆忌に際し、朝鮮半島出身者、台湾の人たちが被ばくしたことを忘れてはならないと強調した。唯一の被爆国という神話を否定し、なぜ朝鮮人、台湾人の被爆者がいるのか、日本がなぜ戦争への道を歩んだのかに対する問いかけでもあった。学者や社会党系、共産党系の政治家は、日本がアジア諸国へ侵略し、現地の罪なき民間人を殺害し、また占領地での優位な立場を利用して占領地の人々を自分たちの都合のいいように働かせ、見下した態度で接したこと、捕虜となった連合国の兵士を酷使したことなどに言及はしていた。

 しかし、本島の特徴は本来保守系の政治家でありながら、昭和天皇の戦争責任に言及をしたことだ。昭和天皇の戦争責任については社会党系の政治家はもちろん学者でも家永三郎など相当骨のある人でなければ言及することはなかった。(※3)かつて、昭和天皇は明治憲法下において「神聖ニシテ侵スヘカラス」という位置づけにあって、現憲法下にあっても当時の一般的な人たちは昭和天皇に対しては畏敬の念か、畏敬の念がないにしてもできるだけ昭和天皇に関する問題を避けようとしていた。

 そうした風潮の中で保守系の政治家であった本島が昭和天皇に戦争責任があると言明し、様々な圧力、脅迫、暴力があっても撤回しなかったことの意味を考えなければならない。1995年のアメリカ政府の原爆切手を巡る問題(日本政府からの抗議でアメリカ政府は切手発行の撤回を表明)、2011年のBBCの二重被爆者揶揄問題、2018年の韓国アイドルの原爆Tシャツ着用問題などは、なぜ、沖縄、広島、長崎をはじめ民間人が戦争の犠牲になったのか、その原因について私たちが正面から向き合わなかったことの結果ではないかと考える。

 戦争に正面から向き合うことができなければ、戦争は人災でなく天災として他人事のようにしか判断できない。戦争の真実から目を背けることは、戦争で犠牲となった人々が戦争での犠牲のみではなく、社会から捨てられたという意味で絶望的な状況に追いやられたことを意味するのではないだろうか。

皆が集まっているイラスト1

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(※1)

(※2) 今年の広島原爆忌での首相あいさつの際、以下に引用する部分の太字の部分が読み飛ばされた。

「・・・核兵器のない世界の実現に向けて力を尽くします」と世界に発信しました。我(わ)が国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です。

 近年の国際的な安全保障環境は厳しく、核軍縮の進め方を巡っては、各国の立場に隔たりがあります。」

 読み飛ばされた部分には「核兵器のない世界」の実現に向けた努力の重要性を強調した部分がある。日本が核兵器禁止条約に批准・署名をしていないことを踏まえると皮肉な結果になったと言える。なお、「唯一の被爆国」を強調することから、その部分が読み飛ばされたことに対する批判的見地があるが、それについての私の見解は本文中に示した通りである。

(※3) 被爆者において昭和天皇を含めた日本の戦争責任に言及した例外的存在としては「はだしのゲン」の著者中沢啓治がいる。

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