見出し画像

秋山ちえ子について③-秋山ちえ子のジャーナリズム・女性観を中心に

 秋山ちえ子さんについて3回にわたってご紹介しています。
 前回は、秋山ちえ子さんのラジオ人生についてnoteに記述しました。(※1)最終回の今回は秋山さんのジャーナリズム・女性観について記述します。

ジャーナリズムとしての顔

 秋山本人はラジオ放送に50年以上携わっていたことに誇りを持ち、評論家と呼ばれることに対し、自身はラジオ職人であるとしている。(※2)ただ、ラジオ職人という概念は、秋山がラジオという場でもジャーナリストとして臨んでいたことによって成り立っていたのではないか。

 秋山は、毎日、新聞を東京発刊の新聞5紙、地方紙である信濃毎日新聞、山陽新聞2紙の合計7紙を読み(※3)日々の情勢を把握し、メモ帳とシャープペンシルを常に携帯するとともにメモを細かく取っていたという。取材でアテネを訪れた際にはアテネのレストランのメニューだけでなく混み具合、テーブルクロスの様子なども細かく記していたとある。(※4)前回のnote記事で、テレビの取材や地方講演の際に併せてラジオの取材も行ったことを紹介したが、常にジャーナリストとして社会の様々な出来事に関心を寄せるべく、アンテナを張っていたことがわかる。

 1998年には、イギリスのグラインドボールオペラ祭のレストランで元イギリス首相マーガレット・サッチャーと境遇する機会があり、その場でサッチャーに声をかけて3分ほど会話を交わしている。その際に一緒にいたフランス人は自分にはとてもそんな勇気はないと感想を述べたが、秋山は次のように返したという。

 私は昔、プロのカメラマンにプロとアマチュアとの違いを、教えられた。プロは一歩前に出てシャッターを押すと。私はインタヴューのプロだから一歩前に出ただけだと話した。(※5)

これらのエピソードからも秋山がジャーナリスト特有の観察力や様々な視点、行動力を持っており、単なる評論家には留まらないことがわかる。

 また、「秋山ちえ子の談話室」の放送は月曜日を生放送とし、それ以外の曜日を録音としていた。月曜日だけ生放送にしている理由について、戦争になりそうなとき、全部が録音だとすぐに反対の言葉を伝えることができないため、いつでも録音でとった番組内容を変更し生放送ができるような体制を整える必要性があるとして、あえて月曜日を生放送にしていると秋山は語っている。(※6)「秋山ちえ子の談話室」がリアルタイムでの社会状況を意識し、それに基づくジャーナリズム的なスタンスからの番組であることをうかがい知ることができる。

女性の視点

 また、生前秋山ちえ子は女性の視点、女性の社会参加のあり方を重視していた。秋山は組閣の際に女性の大臣がどれだけ閣内にいるかが気になるとして、次のように語る。

 それは男女平等とか女権拡張とかという意味からではない。もっと気持ちよく生活するために女性の知恵や体験を生かす(ママ)ことがいいと思うからだ。強い国、金持ちの国を作るためには男性のこれまでの経験や知恵が物をいうだろうが、子どもの教育のこと、健康のこと、高齢社会のこと、介護のこと、ごみ処理を含めた環境問題等々、具体的な生活の中の具体的な悩み、苦しみ、悲しみ、喜びを体験者としてもよく知っている女性たちの知恵が、法律作りや行政に参加することのプラスを考えるからだ。(※7)

 ともすると、政治は天下国家論という上からの目線で語られがちだが、秋山は政治を生活の身近な問題点を解決するためにあると考えていたことがわかる。女性は生活の身近な状況を知っているため、女性が政治に積極的に参加することで、生活者の政治を促進できるのではないかという願いもあったのだろう。

 生活実感からの女性問題はこれだけに留まっていない。秋山は家事、育児について母親に全面的に助けてもらっていたことを、明治生まれの「良妻賢母」に縋りついたと表現しており、(※8)女性が家庭の問題における中心となってしまう現実を踏まえた葛藤もある。

 また、ともすると形だけの政府、民間の調査会、委員会などでに女性を入れる傾向があるが、形だけ女性を参画することには意味がないとして次のように指摘する。

 一時期、私は数々の政府や民間の調査会や委員会などの理事や委員をしたことがあったが途中でやめた。断わった。今は何もしていない。
 その理由は委員会、調査会の女性の委員は一人だったからだ。少なくとも三人はいていいのではないかと進言したが、受け入れられなかった。これは戦後の民主主義のなかで、「男女平等」が盛んにいわれていた。そのために、どの委員会でも一人だけ女性を入れておけば申し開きができるからのような感じであった。
 女性の委員は民主主義の飾りものかなどと思ったので委員をやめた。(※9)

 秋山が男女平等、女性の社会参画について、単なるスローガンや理念先行ということに留まってはならないと考えていたことがわかる。私たちがジェンダーの問題を考える際には秋山の以上のような問題提起を大切にするべきなのではないだろうか。

さいごに

 いかがだったでしょうか。3回にわたって秋山ちえ子さんについて記載して参りました。このほかにも秋山さんについてはいろいろと興味深いお話があります。

 秋山さんは障がい者を置き去りにしない社会にするべく積極的に活動をしてきました。障がい者の自立支援施設である「太陽の家」の創設に尽力した中村裕医師、中村医師の働きかけで日本初の障がい者の社会復帰のための福祉工場を建設したオムロン電機株式会社の経営者立石一真氏などへの取材や活動への支援など提言に留まらない行動するジャーナリストでもありました。(※10)ジャーナリストの精神だけに留まらず、現場での活動、支援を行ったことに秋山さんの姿勢が表れていると言えるでしょう。

 秋山さんをより深く知りたいという方は、私が引用した文献などを参考になさってはいかがでしょうか。秋山ちえ子さんの見識の深さは私のnote記事よりもご本人の著述が一番優れていると思うからです。最後に秋山さんがラジオの最後に行うあいさつで終えたいと思います。

 「それではきょうはこれで。皆さまごきげんよう。」

皆が集まっているイラスト1

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

(※1)

なお、前々回第1回は以下の通り

(※2) 秋山ちえ子「八十二歳のひとりごと」「私の東京讃歌」P83 岩波書店

(※3) 秋山ちえ子「秋山ちえ子「種を捲く日々 九十歳を生きる」」「第八章 思い出にひたる その3」 「ライターの光のなかで」 P242

(※4) 秋山ちえ子「風の流れに添って ラジオ生活五十七年」「第二章 第三者の「秋山ちえ子評」三角真理「皆様、ごきげんよう」(原典は「毎日新聞 朝刊」2002年10月3日)P70~P71 講談社

(※5) 秋山前掲「八十二歳のひとりごと」「人、人、人・・・・・・」P217 岩波書店

(※6) 秋山ちえ子・永六輔編著「ラジオを語ろう」 P11 岩波書店
また、秋山は2001年の9・11同時多発テロの際にはその翌日を生放送にした旨を語っている。

(※7) 秋山前掲「八十二歳のひとりごと」「女性の大臣」P50 岩波書店

(※8)  秋山前掲 「風の流れに添って ラジオ生活五十七年」「第一章 私自身の自己紹介」「二つの昭和」P46 講談社

(※9)  秋山前掲 「風の流れに添って ラジオ生活五十七年」「第一章 私自身の自己紹介」「二つの昭和」P46~P47 講談社

(※10) 秋山前掲 「風の流れに添って ラジオ生活五十七年」「第七章 今は亡き人への思い」「身障者も納税を! 別府「太陽の家」創立 中村裕」 「第一号の合弁福祉工場建設 立石一真」P188~P199 講談社

サポートいただいたお金については、noteの記事の質を高めるための文献費などに使わせていただきたくよろしくお願い申し上げます。