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勇み肌の政五郎 【演芸脚本】

 ここは深川扇橋 水の上から眺むれば 南に房州 北には筑波 隅田の彼方にお城の甍(いらか) 川を行き交う舟人の 下総(しもうさ)なまりにべらんめい。
 
 江戸の深川扇橋といえば 腕の確かな職人衆が 路地の長屋に肩寄せ合って 将軍様のお膝元 江戸の普請や家具小道具 何でもこなす その匠。内助の功で匠の技を 陰で支えるかみさんたちは いずれ名うての器量よし。物心のつかぬ頃から 水に潜るやら 舟を操るやら 親のやること見よう見まねで やがて二八か二九からず 水もしたたるよい女。その長屋の一件に、鶴八という男が おまつという女と所帯を構えて 三年という年月が経ちました。鶴八は下総中山の百姓のせがれ 兄に田畑みなとられて やけのやん八 江戸に出て つてを頼って火消しになった男。おまつは深川石島の猪鍋屋(ししなべや)の娘 店が貰い火事で燃えるさなかを 火消しに入った鶴八に助けられ それが縁となって 鶴八の女房となった。二人の間に子供はなく 水入らずの暮らしが続く。鶴八は男盛り、ただでもいなせな風情の男が 火消しとあっちゃあ芸者衆が放っておくわけはない。やがて鶴八は家を空けることが多くなった。初めのうちは火消しの寄り合いだの急病人の介抱だのと おまつに言い訳しては ふいっと出て行ってしまう、そのうちおまつに渡す暮らしの金から小遣いを抜いてゆく おまつはいくら惚れた旦那と言っても 女の影がちらつけば おまつの心は穏やかでない。
 おまつは火消しの頭領(かしら)のもとへ 
 
 扇橋の橋板に ころころ響く下駄の音 心ころころ持ちかねて 深川一の侠気(おとこぎ)と あおぎみられるおかしらに 頼るおまつの 心やいかに
 
 おまつは頭領の政五郎の住まいはこのあたりと 材木問屋の持ち物の 長屋の路地に行き着いて たしか入って三軒目と めざす戸口で
「もし、夜分恐れ入ります、深川一組の頭領のお宅はこちらでございましょうや」
 中からのっそり出て来たのは 住み込みの若い衆
「へえ、どちらさんで」
「お世話になります。鶴八の女房でございます」
 その声聞いて組の頭領の政五郎
「なに、おまつさんかえ。こんな夜分にどうしたんだい」
 おまつは下駄をきちんと揃えると 長火鉢の前で煙管をふかしている頭領の前に 正座で深々あたまを下げる。
「じつはうちの鶴八のことでござんす。近頃、日暮れになるとひょいと出かけて、夜分遅くに帰ってまいりますが 火消しに出かけた様子はなし もしや組のお仲間と 何か仔細もあろうかと 詳しく聞かずにおりましたが もしや頭領にお心あたりでもおありかと 恥を忍んでうかがいました」
 深川一の おかしらと その名も高き政五郎 じつは もひとつ あだ名があった。勇み肌の政五郎 早合点の政五郎 生まれも育ちも深川の 江戸っ子気質で気が短いが 短いにもほどがある。お城の向こうの夕焼けを見て こいつぁきっと 川向うで 火事があったにちげえねえと 尻を端折って永代橋に すっ飛んで行ったことが いったい何べんあったことか。
「何そりゃ おまえさん 心配だろう。火消しの仕事は この若い者が呼び出しに走ってった時に限るぜ。おれは鶴八が江戸に出てから 育ててきた 親みてえなもんだが 女ができたとあっちゃあ ただではおけねえ。おまつさん、ひとつこのおれに、この話 預けちゃくれねえか。様子を調べて とっくり意見してやるから。」
「おかしら、よろしくお頼み申します。」
と おまつは畳に額をすりつける。
 おまつが帰って行ったところで 政五郎はトラという若い衆を呼んで
「おめえ 鶴八の居所に心当たりはねえか」
「おかしら そればっかりは ご勘弁を」
「そうか やっぱり。おれの勘に狂いはないな。トラ おめえ訳知りだな。こないだおめえが鶴八と 竜吐水(りゅうどすい)の手入れをしている時 二人でぼそぼそ 何か話してやがると思ったから 眼をつけていたのよ。」
 トラは歳は二十歳前 火消しのくせに小心者 頭領の勢いにただびっくり。
「へえ おかしら よくおわかりで。実は鶴八兄いに ちょいとばかり 頼まれて」
 トラは鶴八の手紙を 門前仲町の芸者置屋の牡丹姐さんに届けるように頼まれて何度か遣いに走ったこと 手紙の中身は知らないが 姐さんいつも手紙を読んで 眼を赤く泣き腫らして トラにおひねり一つを添えて 返事の手紙をことづけたこと 洗いざらいを白状する。
「うん ちげえねえ。ちげえねえ。鶴八と牡丹は人目を忍ぶ仲にあることは まちげえねえ。それで鶴八は 牡丹と会ったりしている様子か」
「それが 妙な具合なんです。あっしも子供に毛がはえたようなもんですが 男と女の仲 ちっとはわきまえているつもりでござんすが その・・・」
「その・・・だと おめえ 言い掛けて黙るたあ ふてえ野郎だ。男らしく言うがいいさ。」
「いえ その・・・鶴八は佐賀町の長屋で・・・子守りを」
「なに、鶴八は子まで成したのか」
「おかしら、しめえまで聞いてくだせえ。子供というのは 牡丹さんの年の離れた弟で、そのおっかさんというのが 夫に死なれて苦労の挙句 四十の年に腰を患って 思うように動けねえ。そこで鶴八が そのおっかさんの代わりに 時々家の面倒を見ているってえわけで。」
「どこの世の中に てめえの女でもない奴の家に上がり込んで 世話なんか焼くやつがあるもんか」
「おかしら 去年の元加賀の火事をお覚えで」
「うん あれは秋風の吹き始めた時分だったな。そうだ おめえの初陣(ういじん)だっけ」
「そのとおりで。その時 隣の貰い火で 駄菓子屋が一軒 丸焼けになったのをお覚えで」
「ああ、年増のおかみさん 六歳ぐらいのせがれと二人 焼け出された」
 そこではたと 煙管で膝を叩いた政五郎。
「そうか そこで鶴八は 牡丹となじみになったんだな」
 さすが名うての早合点。
「火事場で色事するなんざ 火消しの風上にも置けねえやつ」
と 長火鉢の鉄瓶よりも熱くたぎった肚の内。
「あしたの朝まで待っちゃいられねえ。大方 鶴八は その家に上がり込んで 牡丹の帰りを待っているんだろう。トラ 今から出かけるぞ」
と 煙管も置かず立ち上がり 衣紋に懸かる 半纏羽織って 女房が後ろで切り火をするも もどかしく どぶ板踏んで表に出れば
 
 頃は弥生の朧月 ほころび初(そ)めた桜の花は ようやく二分か 三分咲き 勇む頭領も春の宵 これも何かのまちがいで あってくれよと祈りつつ 歩む川端 柳が招く

 街のはずれの貧乏長屋 日々の暮らしに赤貧を 洗うがごとき人々の 肩を寄せ合いひっそり暮らす その長屋でも飛び切りの 普請くずれて屋根傾き 表の木戸も隙間だらけ 冬の時分は吹く風を隔てるどころではない。トラはその木戸を叩いて
「もおし ごめんなさいまし。」
中から
「ああい どなた」
と子供の声がする。牡丹の弟の長吉だ。
「深川一組のトラだ」
「ああ トラ兄い、鶴八兄さんも一緒かい」
「いや 今夜の連れは火消しのおかしらだ」
 そのやりとりを寝床で聞いた母のおりくは 寝間着の上に慌てて着物を重ねる様子。
 勇み肌の政五郎 その様子を一目見て 何もかもを早飲み込み。
「いや、そのまま、そのまま。これですべてが 解(げ)せた解せた 腑に落ちた。この家(うち)の様子じゃあ、鶴八が牡丹と艶っぽいことの一つもできるもんじゃねえ。」
 おりくは頭領に座布団勧めて
「おかしら いつも鶴八兄さんにはお世話になっております。娘は奉公の年季が明けるまでは 藪入りに帰って来るばかりで 顔を見ることはござんせん。あたしの体がこんな具合なもので 家には男手はおろか 大人の手が動く者がないありさまでございます。それを知った鶴八兄さんは 三日に一度訪ねて来られて 煮炊きや掃除もこまごまと 家の仕事を手伝って行かれるのです。律義者の鶴八兄さん その仔細を文(ふみ)にしたため 娘の許に届けて あたしの容態のことを 細かく知らせてくれていたわいな」
政五郎は腕を組んで
「おおかたこんなことだと思っていたわ。トラ おめえ 何で早く言わねえんだ」
「おかしらが早合点して出かけるてえんで 言いそびれちまったわい」
そこに外から男の声
「おりくさん 今帰ったぜ。鯉のあらいを手に入れてきた」
と言いながら入って来たのは 律義者の鶴八だ。
「あっ おかしら」
「おかしら もあるもんか。おめえ 水臭いじゃねえか。おれに隠れてこんな世話をしていたとは」
 鶴八は荷を土間に置くと そのまま膝をついて 頭領に深々と頭を下げ
「申し訳ねえ ご心配おかけしやした きっとこんなことが知れたら 牡丹さんとの色恋沙汰と あらぬ噂も流れやしまいかと トラのほかには誰にも言わず 時々こして来ておりました。ここでこうして手伝いすると 親孝行のひとつもしないで田舎に残してきたおふくろを思い出すんでさあ」
 義理人情の篤さで知れる 火消しの頭領の政五郎 土間に突っ伏しあたまを下げる 鶴八の前に降り立ち
「まあ その手を上げろ。このおれは おまえも承知の勇み足 ちょっとでもおまえのことを 疑ったのはおれの不覚。わびなきゃならねえのは このおれの方だぜ。」
「おかしらといえば親代わり かえって親不孝をいたしました」
 政五郎はおりくの方に振り返り
「たしかおりくさんと言ったね せっかくの鯉のあらい 早く召し上がって 少しでも体の養いにしなせえ。それから」
と言って懐の縞の財布から 太い指で一分金(いちぶきん)を取り出すと まだ頑是ない長吉の手に握らせる。
「おう鶴八 これから おまつさんに すっかり訳を話すんだ。おれに謝るよりも おまつさんに 謝らなけりゃならねえぜ」
 政五郎は 畳に額を擦り付けて礼を言う おりくと長吉に送られて 鶴八とトラを従えて長屋の表に出れば
 
 春の望月 雲もなく 遠くそびゆる お城の甍 ところどころに咲き初(そ)めし 桜早咲き早合点 勇み肌の政五郎と 語り継がれる男前
                                完

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