- 運営しているクリエイター
2022年1月の記事一覧
兎がほざく🐇その320
わたしたちは生まれてからいろんなものを借りています。
体だっていつかは返す日がきます。
考えだって借りてきては接ぎ木しているのです。
借りているからこそ粗末でなく大切に扱いたいものです。
借りたものが喜ぶように。
自分のものになるのは思い出だけです、たぶん。
兎がほざく🐇その319
道で通りがかりの人に魅力を感じるとき、自分はその人の何に反応しているのでしょうか?
そういう見方で自分を観察するようにしています。
なんとなく反応のポイントはわかってきました。
それと自分に合うだろうと思っている人のタイプとにずれがあるのも面白いです。
兎がほざく🐇その318
福笑い、子供の頃好きでした。
常識とはずれた表情ができるほど一同は他愛なく笑いころげます。
他愛なく笑うのは心にはだいじなことです。
おおらかに笑われてくれるお福さんのおかげ、感謝です。
また誰かと福笑いをやってみたいです。
一人でやると寂しいでしょうから。
兎がほざく🐇その317
勤め先の図書コーナーの委員を引き受けています。
従業員が推薦した本に短い書評を書くのですが、読んだことのないタイプの本が回ってくるのです。
最近の作品のプロットとキャラクター、ありえなそうでもあり、すぐ手の届くところにありそうでもあり、勉強になります。
兎がほざく🐇その316
いつも見慣れているはずの街並み。
ふと建物がなくなってぽっかり更地になっていると、そこに何が建っていたか思い出せないことがあります。
誰かの生活がそこから消えたのです。
たぶんよそで新しい生活を始めたことでしょう。
思い出せないけれどそう思うのです。
兎がほざく🐇その315
ぼくは人と目と目を合わせるのが気恥ずかしいです。
でもなるべく顔見知りの人の目をちらりとでも見るようにしたいと思うようになりました。
思い切って挨拶の時に目を合わせると、人間の目はどれもきれいなものだと妙に感心しました。
また新しいことに挑戦です。
兎がほざく🐇その314
みなさんの子供の頃の宝物はなんでしょう?
ぼくは小学校の友達のくれた四つ葉のクローバーでした。
いつしか手元からなくなりました。
自分が大人になる時にいらなくなったのでしょう。
本当の宝物はそれをくれた友達の気持ちだったと気づいたのはずっと後のことでした。
兎がほざく🐇その313
わたし、人間ですねん。
吉本新喜劇の女優さんの持ちネタの一部ですが、この部分だけにすると深いですね。
自分のことも他人のことも、人間という当たり前を忘れがちです。
名前という主語に何か述語をつけてわかった気になります。
そんな一言の後ろに必ず人間がいます。
兎がほざく🐇その312
持っている物というのは使いたいときには使える物ということです。
では、使わないときにはその物はどうしているでしょうか?
見にゆけば見えるけれど、見にゆかなければあるともないとも本当はわかりません。
こうして解きほぐすと、持つということの意味はとても曖昧です。
兎がほざく🐇その311
紳士という言葉、今はあまり使われなくなりました。
腕力に走らない男性。
それを示すためか、肉体を露出させない服装で、あえて弱みとして首にネクタイという紐を飾ります。
そして礼節。
紳士はカッコいいです。
ぼくはシーラカンスといわれようと紳士でいたいです。
兎がほざく🐇その310
人間は勝ちたい欲求が根本にあるという人がいます。
ぼくはまだ奥があると思うのです。
勝ちたいというのは従わせたいのです。
相手ひいては世界にわがままを聞いてほしいのです。
つまり世界に愛されたいのだと思います。
ならば勝つよりもっといい方法、ありますよね!
兎がほざく🐇その309
ポンプ式の古い万年筆を大切にしています。
電子機器にキーボードやスタイラスペンで文を書くことが多くあまり出番がないので、よくインクが乾いています。
それでインク壺から補充します。
最後に数滴壺に戻します。
理由のある手順らしいですが儀式みたいで楽しいです。
兎がほざく🐇その308
ハクセキレイという鳥。
漢字で白鶺鴒と書きます。
海辺の新興の副都心に転勤したとき、昼休みに一人で公園にいるとよくこの鳥が寄ってきました。
人に臆病ですが食物のかけらを投げるとひょいと拾ってゆくのが剽軽でした。
リズミカルに地面を跳ねるのがかわいいです。
兎がほざく🐇その307
ぼくは大きな建物のロビーでよく立ち止まります。
BGMでかかっているクラシック、気がつくと聞き入っています。
ピアノのペダルの使い方上手いな、とか思って立ち止まることしばし。
いかんいかん、と仕事を思い出して、続きをハミングでがまんして立ち去ります。