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2021年9月の記事一覧
兎がほざく🐇その203
ぼくらは問題のない人を演じるよう強いられる。
でも演じていれば本音に気づかれない。
仮面に隠れて本音を我慢、それがもたなくなって時々吐き出す。
吐いてる同類はけっこういる。
絶望にまで絶望するしかないのか?
甘いと言いたければ言うがいい、ぼくらには愛がある。
兎がほざく🐇その202
アルセーヌ・ルパンの片眼鏡、どうやってつけるものか、最近やっとわかりました。
ガラスと平行に金属の輪がつけてあって、金属の方を眼窩にはめると、ガラスが眼窩から浮いて見えるのです。
コスプレで試したくなりました。
淑女の寝室に忍び込むまではしませんから。
兎がほざく🐇その201
東京でも荒川放水路を越した東には、都心の取り繕った甲羅に隠れた柔らかい身のような暮らしがあります。
エレベーターのないアパート、高架の電車の音。
川風の中、住み着いたばかりの男女を想像しました。
飾らない二人の原液のような愛情が白昼に立ち現れるようでした。
兎がほざく🐇その200
匂い、香り。
イメージと強く結びつく。
バニラの香りとクリームの甘さ。
香りを言葉とする世界のことが書いてある経文があるらしい。
俳優のベルモントは「女はちょっと体臭が匂うのがいい」と言った。
匂いでツイートできたら、アイコンには珈琲の香りを使いたい。
兎がほざく🐇その199
フェアプレイはスポーツで最も大切だと思います。
スポーツはルールを守ってフェアプレイで勝負を争うから、楽しいし、かっこいいし、感動するのです。
フェアプレイでないと観客の心は離れてゆくでしょう。
観客は面白さに敏感で、正直だからです。
兎がほざく🐇その198
ユートピア、あなたにとってはどんなところでしょう?
山?海辺?外国?ふるさと?昔?
ぼくの今の気分はこんな感じです。
夜空の裏側のうらぶれた温泉地、路地の奥まったあたりの、とある旅館で、独り浴衣になって露天風呂に入っている......
なんか漱石の小説みたい。
兎がほざく🐇その197
生きる希望。
それは与えたり授かったりするものとは、違う気がします。
自分を信じることと近い気がします。
時には自分を信じるのは難しいです。
そういう時は、疲れているのだと思います。
自分に鞭打つ時ではなく、休む時なのです。
ちなみにぼくは休むのが下手です。
兎がほざく🐇その196
恋は二つの誤解、なるほどそうかもしれません。
でも、誤解があるから、二人は向き合って夢の住人になるのでしょう。
誤解が修正されると幻は消えてゆきます。
ならば恋は無駄なこと?
無駄でもよいではありませんか。
別れて思い切り泣いてもよいではありませんか。
兎がほざく🐇その195
夕方、太陽の残照の中で、通りの人も草花も美しく見える瞬間があります。
すべてのものが、等しく夜に包まれて変貌を遂げるまさにその寸前の表情を見せています。
束の間の名残り惜しさ。
この束の間に留まることはできないと知りながら、いつも立ち止まってしまいます。
兎がほざく🐇その194
もし生まれ変わったら。
自分に自信のある人はこんな妄想はしないのでしょう。
だからたまには妄想するのもいいでしょう。
神主の娘に生まれて巫女さんになるとか。
舞踊家になるとか。
男女共学の学校に通いたい。
笑顔の明るい、友達ができやすい人に生まれたい。
兎がほざく🐇その193
オシャレは人間に必要だと思います。
それは見栄とは紙一重で異なります。
それは自分の表現です。
それで自分の気持ちを引き立てることができます。
オシャレは世の中への微笑だと思います。
色の取り合わせだけであっても、考える一瞬が大事な気がします。
兎がほざく🐇その192
夏目漱石と宮澤賢治と谷崎潤一郎と太宰治のうち、誰と友達になりたいか、という投稿を見ました。
僭越ながら、後輩にしたいのは太宰、話を聞いてみたいのは谷崎、文通したいのは宮澤、話しかけたいのは夏目、と思いました。
どれもが友達とのあり得る関係でしょう。
兎がほざく🐇その191
ぼくの通った幼稚園は、園長先生が画家でした。
卒園記念に、園児に油絵を描かせてくれました。
ぼくは鶏を描いたのですが、なぜか足を4本描きました。
園長先生は、そう見えたんでしょう、これでいいんだ、と言ってくれました。
だからでしょうか、今も絵画は好きです。
兎がほざく🐇その190
音読は大事だと思います。
教わる人が音読して、教える人がそれを聞き、勉強の時を両方で共有するのが、寺子屋の教え方でした。
教える相手に勉強しろと丸投げしないのです。
独りの勉強でも、音読は大事です。
語学は、正しい発音で音読するのが上達の近道と思います。