友 達

私の職歴はかなり小刻みだ。
そんな中でも一番長く働いた職場に、今でも連絡を取り合う友達がいる。

拘束時間が長い仕事なので、一度職場を離れるとなかなか会う機会に恵まれない。相手の家庭の方針で、SNSのやり取りは奥さんチェックが入るのは大前提。(ちなみに我が家は主人の知り合いなら報告する義務はない)

そんなお互いの事情に配慮しながら、つかず離れず、良い距離間で私たちは友達付き合いをしている。年に1度なんて会えない。けれど何か大事があった時には「会って話そう」と言い合える。

過酷な環境で仲間として過ごした時間は偉大だ。
数年ぶりに会っても「久しぶり」という会話が存在しない。
「また太った?」「お前こそ太った?」
これが最近のご挨拶である。


会社を辞めたことが周囲に知れ渡ったことでいろんな人から連絡が来る。
久しぶり。元気だった?なんで会社辞めたの?びっくりしたよ。

そのあとはひとそれぞれ。
ふーん。なんだ。そんなこと!?もっと言ってやればよかったのに!
大変だったね。ま、あの時に比べたらなんでもないでしょ。

人と話しながら、一人で悩んで、誰にも打ち明けられなかった数か月を思い出す。
自分の人生を呪って、悔やんで、後悔ばかりしていた。もっとああしていれば、もっとこうしていれば。あの時こういう受け答えをしていたら、こんな気持ちにもならなかったのかな……消えてしまいたい、いなくなりたい。
暗い気持ちに拍車がかかって、楽になる方法を何度も検索し、グーグルトップに出てくる「相談が必要!」の文字でふと我に返る。それほど失うことへの恐怖と後悔が私の思考を占めていた。

いま、恐る恐る悩みを打ち明けられるようになって、少しほっとしている自分がいる。ああ、こんな簡単なことだったんだ。辞める前になんで友達に相談しなかったんだろう。逆にいまそれが後悔だ。

基本的には、みんな大爆笑。もっとやってやればよかったのに!と他人事。
先輩に至っては私を𠮟りつけてきた。相手を陥れるもっとうまいやり方あっただろう!って。なるほど勉強になります、と笑ってしまった。
でもその距離感がありがたい。深刻な表情で「これからどうするの?」なんて心配されたら、たぶん、もっと落ち込んでしまう。

長い時間を過ごしてきたからこそ分かる励まし方がある。
辛いことは笑い飛ばせ。不幸こそ他人に笑ってもらえ。
そうやって理不尽な状況をかわしたり、すかしたり、時に慰めあってきた。

人生が80年もあるとしたら、まだまだ上り坂なんだと思い出す。
逆に、下り坂と意識する瞬間なんて来るのだろうか。
定年退職しても働かなければならない昨今、よほど裕福な環境でもなければ、誰しも常に現役でいなければ生きていけない。
それなら辛い時にどうしたらいいのか、自分の慰め方をそろそろ身に着けてもいい年齢だと思う。傷ついても傷ついても耐えられるなんて信じちゃだめだ。見えなくても心はしっかり傷ついているし、耐えているようでも、そのうち必ず破綻する。こんなのは「うまくやれている」ことにならない。

今度何かあったら抱えずに話そう。それも、いま職場で働いている同僚ではなく、昔から知っている友達に。今を知っている友達の言葉も大切だけど、過去を知っている友達の言葉は、また重みが全然違う。

これが今回の学び。友達ってやっぱりいいな。離れていても友達。

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