みかんがくさった
昔、1Kの木造アパートに住んでいた時期がありました。
そのアパートはぎりぎり風呂トイレ別ではありますが、日当たりは悪く、一口コンロの使い勝手も悪い。 彼(以下、貝塚さん)が一人暮らしをしていたアパートなので、およそ二人暮らしには不向きな間取りです。
そんなボロアパートで体験した、不思議な話です。
貝塚さんの実家からは定期的に荷物が届けられます。 お正月にはお餅が、夏にはメロンや桃が、秋には新米が、冬にはみかんが、それはもう十二分な量の旬の味覚が送られてくるため、隣近所に配ったり、先輩に持っていったりしながら美味しく頂いています。
けれど、冬に送られてくるみかんが、曲者なのです。
たとえば、メロンなんかは一個一個が嵩張るので、ダンボールいっぱいに詰め込まれていたとしても6~8個。 さらには冷蔵庫に入れておけば、わりと日持ちするという優等生ぶり。
それに比べてみかんのヤンキーぶりといったら。 ひとつひとつがコロコロした手のひらサイズ。 更に、変幻自在に隙間を埋め合わせることが可能なため、一箱に50個以上ぎゅぎゅっとひしめき合って登場します。
そして、みかんの一番の欠点は、そのアシの早さ。 冬場といえども、木造住宅に一週間も置いておけばすっかりカビカビになってしまいます。
あれは年の瀬の迫った12月下旬のことでした。
例のごとく、貝塚さんの実家からダンボール箱が届きました。 蓋をあけてみると、つやつやに輝いたみかんがどっさり。
「「おぉぉー!」」
私たちは歓喜の声をあげ、みかんに手を伸ばしました。 その日から、寝ても覚めてもみかんミカン蜜柑の日々が始まりました。
朝起きてみかん。
トイレから出てみかん。
歯磨きしながらみかん。
ポケットを叩くとみかんが一つ。
もひとつ叩くとみかんが二つ。
食後にはコーヒーを飲みながらみかんを吸い、
眠る前にはそっとみかんと唇を重ねます。
そんな、みかんとの生活も3日で飽きました。
かのイチローはたくあんの食べすぎで足の裏が真黄色に染まったと聞きますが、私はみかんの食べすぎでほっぺたが橙色に染まりました。
みかん一色の生活をしていたにも関わらず、ダンボールを覗くとそこにはまだ半分程の(ツヤ感が失われ、心なしかヨボついた)みかんがこちらを見上げる格好で鎮座していました。
も
う
無
理
これが、貝塚さんと私の間で初めて生じた「以心伝心」だったと記憶しています。
私たちは顔を見合わせ、静かに頷くと、そっとダンボールを部屋の隅に押しやりました。 そして、その上にゆっくりタオルケットを重ねました。
臭いものには蓋をしろ、です。
― 三週間後 ―
暇をもてあました私たちはめずらしく部屋の掃除に取り掛かりました。
みかんだけでなく、色んな臭いものに片っ端から蓋をしてしまう節があるので、部屋の中はゴチャゴチャ。 松井カズヨなら卒倒モンです。松井棒ごときが活躍出来る次元ではありません。
おもむろに、部屋の隅に転がっていたタオルケットを持ち上げた時でした。 件のダンボールが静かに姿を現したのです。
その存在をすっかりうっかり忘れていた私は青ざめました。見ると貝塚さんも掃除の手を止め天を仰いでいます。
でも、あれです。青ざめたのも束の間、好奇心がにゅっと顔を出しました。湿度の高い空間に三週間放置したみかんのその後なんて、そそられます。
私は8割方わくわくしながら蓋を開けました。
きゃあっ!
その光景を目にした私は思わず女子になりました。わくわく撤回。
だって…
みかんが…
ま
り
も
になっていたから。
ダンボールの中には、全身余すところなく、びっしりとアオカビを蓄えたみかんの山。そのおぞましさといったら、筆舌に尽し難く、少なくとももはやこの世のものではありませんでした。
これには貝塚さんも「う゛ お ぉ ー」とボビーオロゴンのような叫び声を上げました。
そして私たちは、まりも(故みかん)と同じ空間で呼吸することに躊躇いを感じ、ダンボールごとベランダに追放してしまいました。
臭いものには蓋をして、それでもダメなら外へ出せ。です。
― 一年後 ―
・
・
・
いや、ほんと、あろうことか一年後です。
私たちてば一年間も、みかんを放置したんです。
ベ ラ ン ダ に 。
このベランダ、日当たりがとても悪くて、何を干しても一向に乾く気配を見せないので物置化して久しく。
私たちがあまりに活用しないので、発情期を迎えた野良猫が出産場所に選ぶくらいに過疎ったベランダなんです。
それをいいことにみかん箱を投げ出したまま見て見ぬふりをしていた私たち。
けれど、冬の訪れと共にその存在を思い出し、さすがにまずい、このままではゴミ屋敷だ!と重い腰を上げました。
一年ぶりに再会したダンボールは雨風に晒され、濡れては乾き濡れては乾きを繰り返したのでしょう…よぼよぼでした。しわくちゃのよぼよぼのぷよぷよでした。
色もなんと申しますか、砂色…百歩譲って、とてもアンティークな装いになっていました。
外面だけ見てもだいぶキツかったので、果たして中にはどんな世界が広がっているのだろうと背筋が凍ります。
みかんの生涯において
生る→熟す→狩られる→更に熟す→しおれる→くさる→まりも→
この一方通行の先にはなにが待ち受けているのでしょう、想像がつきません。
カビ、水垢、埃に滅法弱い貝塚さんは、手袋を二重にしてマスクをかけたまま私の後ろに回りこんでしまったので、仕方なく私が箱に手を掛けました。
わずかに箱の上面を押さえていたガムテープを慎重にぺりぺりと剥がします。何かの胞子が舞い出る可能性を考慮し、息を止めたままぺりぺりと剥がします。
封を解かれ、ぱかっと浮いた蓋。 私はそれに手を掛け、慎重に慎重に、ゆっくりと蓋を開けました。
!!!!!!!!
目を疑いました。
気持ち、瞬き回数が増えました。
恐る恐る覗き込んだその先、ダンボールの中には、
な に も な い
まさかの。
な
に
も
な
い
あれほど、大量にあったみかんが、忽然と姿を消していたのです。
ガムテープの封はそのままに、中のみかんだけが、跡形もなく消えてしまいました。
私の大好きな密室トリックです。UMAです。
これ、未だに何も解明されていないので、こんだけ長々と書いてきてまさかのオチなしですが…とりあえず言えることは
生る→熟す→狩られる→更に熟す→しおれる→くさる→まりも→ 消 え る
が正解です。
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