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走った先にあるもの

ロードバイクを始めてから今日まで、実に様々な場所へ行った。
自転車で行ける距離の概念が一般のそれとは変わってきた。
自転車で山に登るなんて頭がおかしいと思っていた。
今はその「頭がおかしい側」にいる。
今日も地元である金剛山を登って降りてきてこれを書いている。

わたしは今自転車沼の中にいる。
自転車の楽しみ方は人それぞれで、
速く走ることも、
景色を楽しむことも、
坂道を登ることも、
レースに出てみることも、
誰かと一緒に走ることも
どれもみんな自転車の楽しみ方なんだなって思う。

ロードバイクを始めて、少しずつ走れる距離が伸びていった。
50㎞ 100㎞ 150㎞
普通に考えて「自転車で100㎞走る」ということは受け入れ難い。
すんなり受け入れる人がいるとするなら、その人は自転車乗りだろう。
かつて自分もそうだった。自転車で100㎞!?そんなに走れるわけない。
だけど、100㎞走れるかもと思ってから実際に100㎞走るまで、さほど時間はかからなかった。

100㎞走れることを知ったわたしは、150㎞、200㎞も走れる、そう思った。
そして、しまなみ海道を往復するというライドを決行する。
愛媛県の東予港まで船で行き、東予港から広島県の尾道を往復する。
距離は約210㎞。
6時半出発、21時までに戻ってこられなければ、わたしの荷物だけが船で大阪に戻ってしまう。
タイムリミットは14時間半、颯爽と出発した。
しまなみ海道の流れる景色は本当に素晴らしかった。

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往路を快調に飛ばして12時前に尾道に着いた。
105㎞、休憩も含めて5時間半ほどで折り返し地点。
これは余裕で間に合うわ、そう思った。

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だが・・・
蓄積された疲労が軽快さを奪っていった。
復路は往路より1時間以上も時間を要した。

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東予港にたどり着いたのは19時過ぎだった。
日が傾き始めてから、心折れそうになるほどつらかった。
まだ時間に余裕はあるのに、もう間に合わないかもしれないという焦りもあって、精神的にじわじわと追い詰められていった感があった。
だけど、限界を感じながらゆっくりでもペダルを回すと前に進んだ。
どんなに遅いスピードでも少しずつゴールに近づく。
そして、東予港の船が見えた時は安堵した。
ただ、帰りの船が見えただけなのに泣きそうなくらいうれしくて、心も身体も震えた。

往復で208㎞走ったその先にあったもの。

そこには何も無い。

無事に家に帰れば、普遍的な日常が待っていて、いつもと同じ毎日がある。

達成感というあいまいで不確かな感情を得ることができる。
ただ、これは誰にも見えないし、誰もが同じ感情ではないだろう。
長い距離を走る、高い山に登る。
そこに至るまでの道のりはそれぞれで、そこに沸き上がる感情もそれぞれ。
やり切ったあとに得られる達成感も満足感も疲労感も、すべてわたしだけのもの。

初めて富士スバルラインを登ったとき、富士ヒルクライムというレースで登った。
試走もせず、ぶっつけ本番で登った。
あの時、スタート地点で
「気をつけて!いってらっしゃーい」
と言ってもらった。たぶん地元の人かな?

レース中も下山してくる人からも、わたしを追い抜いていく人からもたくさん声をかけられた。
ファイト! もうちょっともうちょっと!
そしてFINISHの文字が見えた時、
ああ、もう終わるのか・・・と思った。
身体は辛い、息が苦しい、脚も重い
でも、まだこの熱に浮かされたような場所にいたかった。
熱い、大人になってこんな気持ちになったのは初めてだった。
この感情はあまり共感はされないし、正しく伝えることは諦めてる。

あの熱に浮かされたような感覚はわたしだけのもの。

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