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後悔

最近、後悔というか、そんな感じの感覚に覆われて胸が苦しくなる。

母が他界して3年経った。

3年、だ。

これだけ時間が経ってもまだ涙が出るだけでなく、段々と胸の苦しみ方も変わってきてしまった。

最近は「何もしてあげられなかった」という気持ちでいっぱいだ。

介護中は出来ることはやった。
やれることを頑張った。
その時自分に出来ることをやった。
多分、ベストとは言えないけど、
その時の精一杯は頑張った。

だけど、もっと何か出来なかったのだろうか。

もう少しだけでも、
もっと役に立てたのではないか。

母の為に何か出来たのではないか。

その時はいっぱいいっぱいだったけど、
介護でいっぱいいっぱいになってしまった自分の容量の悪さは自分のせいだ。

私がもっと、賢ければ。
私にもっと、色んなことに気がつけていれば。
もっと察することができたら。

こんなこと、考えても無駄なのかもしれない。

だけど、考え始めたらとまらなくなってしまった。

その時の最善は尽くしたけど、
もっとあの時私が人として成長していれば。
もう少しだけでも、苦しみを緩和することが出来たのかもしれない。
もっとちゃんと母の心に寄り添えたかもしれない。

母は滅多に弱音を吐かなかった。
吐けなかったのかもしれない。

もし、母に弱音を吐ける環境があったら、
私に寄り添える強さがあったら…

過ぎてしまったことを悔やんでも仕方ない。
今も意味の無い涙を流しているのかもしれない。
そんなことより、今自分の生き方をしっかり考えた方が賢いのだろう。

私はやはり賢く生きられないんだなあと、つくづく思う。

そして、母の他界から3年経った今でも、
まだこんなことを考えているのだから、
例え今の自分が3年前に戻れたとしても、
きっと何も変えることはできないのだろう。

人生は1度きり。

過去には戻れない。

悔やんでも何も変えられない。

文字にすることは出来るのに、
それを実現させることが難しい。

きっと今は不安定なだけなんだ、
と思いたい。

解決策がわからないから。

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